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教育という宗教は、私たちを幸せにできるのか。布教使 片岡妙晶さん インタビュー

お坊さんと聞いて、どんな人を思い浮かべますか?
私は、年配の男性で坊主。物静かな人を想像していました。

しかし、今回取材した片岡妙晶(かたおか みょうしょう)さんは、そんなイメージとはかけ離れた、20代の女性のお坊さん。

小学校から高校まで不登校を経験し、進学先の美術大学も2年で中退。その後は仏教学院へ入学し、僧侶の道へ。枠にはまらない活動で人々の日常に「あたたかさ」を持ち込み、仏教界に、そして社会全体に、新たな風を吹き込んでいます。

片岡さんがどのような経緯で仏教の道を志し、どんな影響を人々にもたらしていくのか。その活動に秘めた力強い想いをお聞きしました。

プロフィール

片岡妙晶(かたおか みょうしょう)さん

香川県まんのう町出身。小学校から高校まで不登校を経験。養護学校を卒業後、京都嵯峨芸術大学短期大学部(現・嵯峨美術短大)へ進学。2年で中退し、仏教の道を志すため中央仏教学院に入学。卒業後は京都にある本山での勤務を経て、現在は実家である慈泉寺(じせんじ)の「衆徒」(しゅと)と、丸亀市の郡家興正寺別院(ぐんげこうしょうじべついん)の「承仕」(じょうじ)を務める傍ら、布教使として仏教の教えを広めるために活動している。


お寺の外で活動するお坊さん

——本日はお忙しいところありがとうございます。最初に、現在の活動内容を教えてください。

私は仏教の布教使です。仏教には法話と言って、仏様の教えを説く講和の時間があるのですが、それを専門に行うのが布教使の役目です。現在は、京都と香川の2拠点で活動をしています。

一般的に、お坊さんはお寺にいるものと思われがちですよね。でも、私はお寺以外の場所で仏教を広めたくて”Adopara”(アドパラ)という活動を始めました。

“Adopara”は、仏教について考えたことがないような方々が、仏教とはかけ離れた空間で、仏様の教えについて学ぶ体験です。地域のカフェやちょっとしたコミュニティで開催されます。ただ私が法話をするのではなく、こちらは参加者の方がメインになるようなワークショップを中心にしています。


——カフェや地域の集まりも活動拠点になるのですね。多様な層を取り込めそうです。

私は、若者や仏教についてあまり関心がないような人にも仏様の教えが伝わるように心がけています。美術大学に通っていたこともあって、イラストも取り入れながら説明をすることもあります。

また、オンラインの活動も行っています。「こころのゴハン屋さん」という取り組みは、「誰かにされたら嬉しいことをお坊さんにしてもらう」というコンセプトのもと、ウェブサイトでお坊さんにしてほしい事柄を募集します。

例えば、誰かからの何気ないプレゼント。
申し込んでくれた方のSNSからその方の嗜好を推測し、贈り物を送るというものです。お坊さんからプレゼントが来ることなんて滅多にありませんから、面白い取り組みとして認知されています。他にも、お坊さんと手書きの手紙のやり取りなどのサービスもあります。

そんな活動を通して、皆さまに心温まる体験を届けています。


違和感を感じ続けた学生時代

——片岡さんは、どのような学生時代を過ごしましたか?

幼稚園の頃から通園が嫌で、小学校5年生で全く学校に行かなくなりました。そこにきっかけがあったというのではなく、集団に対して言葉にならない違和感をずっと感じていて、その我慢が限界を迎えたんです。

しかし、「学校へ行かないのは悪いことだ」という考えが家族間での通念だったため、家で何かをしていると罪悪感を感じてしまい毎日何もせずたた部屋に篭り過ごしていました。

そんなある日、先代の住職である祖父が「せっかく学校を休んでいるのに家に篭っているのは勿体ない」と言って、私が元々行きたがっていたお城をめぐる旅行に連れて行ってくれたんです。
それがとても楽しくて、元々好きだった歴史により興味が湧きました。

それでも登校することは難しく、小学校はそのまま行かずに終わりました。


中学校2年生からは、学校内の相談室に通うようになりました。他の生徒より遅く来て、早く帰る。授業を受けるのはストレスだったので、そこにいる間はカウンセラーの方とお喋りしたり、絵を描いたりしていました。

高校は、香川県の善通寺にある養護学校に進みました。そこは全国的にも珍しく、身体障がいだけでなく精神的な悩みを持つ子どもも受け入れていたんです。

学力によってクラス分けがされていて、私は一般の高校でも使われている教科書を使って、一般の高校と同じ内容が学べるクラスにいました。

中学の終わりから画塾(美術教室)にも通うようになって、続けていくうちにコンクールで賞をいただくまでになりました。その実績を見た京都の美術大学から推薦をいただいて、そこへ進学することにしました。


——養護学校では、違和感を感じずに過ごせたのですね。

学校という存在に対しての違和感は、変わらずにありました。

加えて、養護学校に通っているうちに「自分は何もできないんじゃないか」という思い込みを抱くようになりました。


一般の子どもと比べて、出来ないのが当たり前。そういうふうに扱われるんです。

だから、大学進学が決まって一人暮らしをするという時も、先生たちには「お前には出来ない」と言われました。挑戦すらさせてもらえないのです。

他人のせいにするわけではないけれど、そうやって周りの大人たちにレッテルを貼られることで、そうなってしまった。けれど、そんな大人たちの庇護下にしか居場所を知らなかった私は、周囲が抱く「不登校児」というイメージに沿い続けるしかなかった。

そこで「嫌だ」と言えるわがままさがあればまた違ったのかもしれませんが、幸か不幸か、堪えられてしまったんですよね。


——他人からのレッテルに縛られるのは大変なことだったと思います。そんな経験を経て進学した美術大学は、片岡さんにとってどんな場所でしたか?

本当の意味での私の人生は、京都に出てからだと思っています。

京都は、私にとってまさに「新天地」でした。地元のようにレッテルを貼られたり、先入観を持って見られるようなことがなく、初めて「自分」として扱われたように感じました。それに、美術大学では、ちょっと変わった人が沢山います。不登校だった経験を共有しても貶められるようなことはなくなく、むしろ「面白い」と、そこに価値すら見出されました。責められることが当たり前だった私にはその全てが新鮮で、「世界って優しいな」と想いました。

それでも授業に出席するのは難しくて、「学校」というものに対する違和感は残り続けました。代わりに、地域の町おこしなどの学外の活動にはよく参加していました。そうして、様々な人と関わる中で、ものづくりを行う職人さんたちと出会いました。

2年生のタイミングで、学校に対する拭いきれない拒否感から大学を休学し、京都市内で働く職人さんや社会人の方々と関わりを持つようになりました。将来について模索するようにもなり、そこで、自分は伝統工芸に携わる職人さんたちのような哲学を受け継ぐ人に憧れているのだと気がつきました。

そこに幼い頃の祖父の姿が重なったんです。住職をしていた祖父がお寺の哲学を受け継ぐ姿勢が蘇ってきて、自分の本当にやりたいことはお坊さんになることだと。

それも、哲学や知恵を受け継ぐ、祖父のようなお坊さんです。それから美術大学を中退し、仏教学院へ進学しました。

女性宗教者としてのスタート

——仏教の学校では、どんなことを学ぶのですか?

座学では、仏教の成り立ちからその変遷までをしっかりと学びます。入学した時には分厚い本を何冊も配られて、それをもとに授業が進められます。しかし、授業中に全ての本を扱うことは出来ません。それ程の量の学習が、僧侶には必要になります。

内容は暗記する事柄が多いので、理解度はペーパーテストで測られます。普通の勉強と変わらないかもしれないですね。

私のところでは寮に住むか通学するかが選べたのですが、寮生は授業に加えて、朝、昼、夜と御勤め(お経など)なども行います。休みの日も当番が発生するので、プライベートの時間はほとんどありません。修行に近いですね。

私はここでも退学になるギリギリまで欠席してしまいましたが、年齢や経歴の違う方々と学び合うのは新鮮で、面白かったです。
最後には、無事に卒業できました。

私にとって、ここで学んだことは種に過ぎないと思っています。実際に僧侶として活動を始めてから、体験が積み重ねながら種を育てていく。それが僧侶の務めだと思っています。


——布教使というお仕事について教えてください。

法話とは、仏法のお話です。私たちが生活する上で守りたい仏の教えなどを謳ったものなのですが、その内容はどれも当たり前のことばかりです。

周りの人に感謝しましょうとか、謙虚な姿勢を持ちましょうとか。しかし、これだと抽象度が高くて伝わりにくいですよね。そこで私が意識しているのは、自分の実体験を織り交ぜてお話しすることです。

お坊さんの言葉って、不思議と聞きやすいんですよね。他の人が言うとイライラしてしまうことでも、お坊さんが言うと素直に受け止められる。私は法話では、仏教をそのままではなく、自分の言葉で、想いを乗せてお伝えします。知識ではなく心を受け取ってもらう為です。


——私も、お坊さんのお話は人々の心にスッと届くイメージがあります。それは自身の体験を交えて語るからなのかもしれませんね。でも、片岡さんはまだ20代の、しかも女性の布教使は少数派です。大変なことはありませんか?

布教使を始めた頃は「本気でやっていない」とか、「不真面目だ」などと言われました。

特に悩んだのは、女性らしさをどこまで出すかです。女っぽくしてしまうと、それを売りにしていると思わわれるのが嫌で、最初の頃は男性のように髪を短く切っていました。チャラけて見えないようにメガネもかけて、かなり気を遣っていました。

でも、段々と、自分の根本がきちんとしていたらどんな外見でも良いのだと納得してきたんです。女性でも、若くても、きちんと仕事をしていれば評価は後からついてくる。

他人からの批判は、あくまでも一つの視点でしかないですよね。

同じことでも見え方が人によって違うのは当たり前で、「褒められたら嬉しい」、「叩かれたら哀しい」のも当たり前です。でも、その感情に呑まれて都合の良い言葉だけを鵜呑みにするようなことはしたくなくて。

どんなに受け入れがたい意見でも、その言葉が生まれた以上、そういった視点があることは事実です。なら、私はどんな視点も否定せず、それぞれの意見と向き合って、貪欲に取り入れていきたいですね。それが僧侶としての在り方に通じるとも考えています。


教育という宗教

——いわゆる「普通」ではない学生時代を過ごされた片岡さんにとって、教育とはなんでしょうか?

現代の教育は、社会を回す歯車を生産するものだと思います。その歯車で経済を回し、どこまでも社会を豊かにしていく。

しかし、立ち止まって考えてみてください。私たちは、何のために生きているのでしょうか。息を吸って心臓を止めないだけの人生を送るような社会を、私たちは望んでいるのでしょうか。

教育もある種の宗教だと思います。有名な大学に行って、皆と同じように就職活動をすれば安心だ、という宗教。「常識」という名の宗教。そんな保証はどこにもないのに。

法律をはじめとする人間の作ったルールは、本来ならば人が生きやすくなるための道です。それなのに、今では人々を苦しめてしまっている。ルールが自分を守るものではなく、自分がルールを守るような、縛り付ける枷になってしまったように感じます。

そんな私たちにいま必要なのは、宗教、芸術と哲学。人の心を具象化し、共存を図るための精神文化です。これらは三位一体となっていて、宗教が気付かせ、哲学が導き、芸術が体感させる。そうして、物質的な充実に偏りがちな私たちへ心の存在、本当に大切なものは何かを問いかけてきます。そうして、私たちが人間である以上避けることの出来ない「共存」の為の心持ちを学び、身に付ける。

ご近所付き合いや、知らない人に挨拶するような、昔は当たり前だったような取るに足りないこと。それらが実は、社会を回す歯車が円滑に回るための「潤滑油」だった。これから私たちが取り組むべきは、そういう精神文化の向上だと考えます。


——改めて教育の意義を考えさせられます。人々に仏様の教えを説くことも教育の一つの形だと思うのですが、教育者として意識していることはありますか?

何よりも独りよがりにならないことです。
最初は新人の学校の先生のように法話の原稿を用意して、それを何度も繰り返して丸暗記していました。いかに練習通りできるかを考えすぎていたんです。

段々と原稿を見なくても自分の言葉でお話ができるようになってきて、それで余裕が生まれた時に気がついたんです。これは、ある意味では自分を信頼できるようになってきた証拠だと。その状態でお話しすると、これまでの自分は相手の存在を無視していたのだということに気づかされました。「聞く」ことの大切さを説いているのに、自分が相手の声を聞いていない。これではいけない。

相手の存在を意識する。今では、それを常に考えながらお話しています。

私がお坊さんを続けられているのも、他者に生かされているからです。例えば、急に大きな出費が必要になっても、どこからかちょうど収入が入ってくる。

難しい事柄に出会えば、ふと誰かが手を差し伸ばしてくれる。そんな経験を幾度も重ねると、私は自分の力でお坊さんとして在るのではなく、運命とか、別の何か大きな力でそう在るように導かれていると感じるようになりました。

もし私がお坊さんとして在るべきでないなら、救いの手は現れない。

よって、私が今お坊さんで在れているということは、少なからず「そう在ってほしい」と想う誰かの存在があってのものです。現代は文明の発達によって「自分の力」を過信し、「一人で生きられる」ような風潮をよく見かけます。ですが、やっぱり人間は他者と関わらずには生きていけないし、本当の意味での自分の力なんて些細なものです。

「お坊さん」としての在り方を通し、人間としての在り方、他者との向き合い方を伝えていけたらと思います。


——人々がもっと生きやすくなるために、教育にできることは何でしょうか?

学校は、何かを学ぶ場所ではなくて、能力を見極める場所であったらいいですよね。子どもの頃は、何かを覚えさせるより自分の姿を明確化できれば良いんです。

国語や数学の問題を解きながら、自分の得意なことと不得意なことを知る。全ての科目で平均点を取ることがゴールではないんですよね。得意なことをもっと追求するでも良いし、苦手なところに集中するでも良い。平均をとることが得意なら、それも良い。

その見極め方とか向き合い方を子どもの頃に知っておけるかどうかで、その後の人生が全然違ってきます。自分の身体能力を把握するのと同じことです。

なので、まずは自分の能力を見極める場所として、教育機関が存在したら良いなと思います。


社会にとって異物である宗教

——日本人は宗教意識が低いと言われていますが、何かを信じるとはどういう状態でしょうか?

一言で言うと、安心ですね。

神様とか仏様とか、そういうものを超えて、いつか終わりが来るという安心感。または、先祖とか過去のような、社会や私の力の及ばない、揺るぎないものを心の芯とする。そんな安心出来る状態が、何かを信じているということだと私は考えています。

あとは、何か嫌なことがあって感情が揺れ動いた時でも、スッと我に返してくれるものですね。私はこれを、自分の中にある他者だと考えています。

私たちは、昔から「お天道様が見ている」というような表現を使ってきました。「お天道様が見ているからこれをしてはいけない」という考えは、自分の意思なのかお天道様の意思なのか曖昧ですよね。

その考えや選択肢はすべて自分自身から発生していて、何を選びとるかも自分が決めることです。でも、その大きな方向性だけは生きてきた環境や他者の存在の影響によって決められている。いわゆる「道徳」の観念ですね。

そんな風潮は現代人にも変わらず根付いていて、私たちは自分が思っているよりも宗教的です。漠然とした安心感を抱くという意味では常識や教育もやっぱり宗教で、それに影響されて私たちの選択肢は変わるのです。でも、社会の常識や教育は変化するものだから、そこに自分の芯を置いてしまうと不安定になる。現代人の精神的な弱さの理由は、そこにもあると考えています。


——最後に、これからの宗教の在り方について、片岡さんの考えをお聞かせください。

宗教は、社会において「異物」なんです。
宗教と社会は隣り合っているものの、その道理は全くの別物です。

今の社会は、平和が故に問題をつくり出し、それを解決しようと生産と発展を繰り返します。それは終わりのないゲームのようなもので、私たちは息つく暇もありません。
そういう時に、宗教が人々に寄り添うのです。

宗教は、いつでもそこにあって、社会ではなく人間に寄り添う存在です。そこでは、日頃は人目を気にして表に出せない悲しみや喜びを表現して良い。自分の気持ち、意見も思い切りぶつけて良い。それこそ、「不登校児」と認識する社会の眼では「ルール違反」で終わるような存在でも、宗教の前では「ひとつのいのち」です。否定されることはありません。

よく勘違いされるのですが、宗教は悩みを解決してくれるものではありません。


解決するのは自分自身であって、宗教はあくまでも自分の考えの整理や、新たな気づきの手助けをするだけです。悩んでいる時点で、答えは自分の中にありますから。それが感情の揺らぎや社会のしがらみによって見えづらくなっているだけです。

なので、そうやって感情を吐き出し、「社会人」ではなく「一人の人間」としての自分を取り戻すことが、私たちには必要なのです。身体を生かすだけではなく、心も活かさなければ人は生きていけませんから。そうして、社会人として頑張りながらも、一人の人間としての心は保ち続ける。

その一助として、宗教が在れたらと思います。

インタビューを終えて

発展し続ける社会に、疑問を呈す人は多くいます。

労働の価値が生産性で測られるとき、人々は脇目も振らず働き、ただ生きるためだけに食べて、寝る。真っ先に排除されるのは、宗教や芸術、哲学といった精神文化かもしれません。

しかし、私たちは心を豊かにしてくれるものを望んでいる生き物です。
片岡さんは宗教者として人々に寄り添い、これまでの経験を踏まえて語れる言葉を届け続けてくださることでしょう。


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この記事は、過去のインタビューを『無花果シロ』としてnoteに移転したものです。現在と状況等変わっている場合もあるかもしれませんが、その場合はご了承ください。


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