一番つよい火で、わたしの眼を焼いてからいなくなった人の話。


その人は2018年、去年の夏、板の上に現れた。名前は紅島 弓矢。10年前から毎年上演されているガールズ演劇作品、「アリスインデッドリースクール」に登場するキャラクターの一人。

10年前。アリスインデッドリースクールは初めて上演された。

ずっと観たかったものがそこにあった。そしてもうそれは永遠に観ることができない。なぜって、舞台だから。同じ座組で物語を続けるテニミュ(と、キャスト目当ての舞台)に通っていたわたしにとって、それは本当に儚い夢のような時間だった。通える公演は全部通った。そんなわたしの昔話はどうでもいい。

 アリスインデッドリースクール、というお芝居の説明を先にせねばならない。愛心学園という女子校の屋上が舞台の一幕もののお話だ。

 大筋だけ話すと、世界中に同時多発的にゾンビパンデミックが起こった日に学園の屋上に逃れてきた女の子たちの、その一日だけの物語。

 登場人物は。漫才研究会でコンビを組んでいるノブとユウ。変わり者の科学部・氷鏡。ある理由から映画を撮らなくなった映画研究会部長の衣鳴と、ドキュメンタリー映画監督志望のキリコ。カタブツの生徒会長の和磨と、和磨を慕う書記の静香。強く優しい保健委員の舞と春菜。誰とも群れることができない帰宅部二年の水貴。映画研究会へ取材に来ていた他校生徒の堂本。漫画研究会で漫画家志望の恵美と声優志望の夏樹。ソフトボール部三年高森と、高森を慕う一年塔蘭と薫。そして、そしてそのソフトボール部でエース<だった>紅島弓矢。現在の座組ではここに自衛官の珠子と柏村。

 (うわ。この人数で一幕って正気かよ。と、演劇を見慣れている人ほど思うかもしれない。しかしそこは脚本麻草郁のすごいところで、全員のキャラがしっかりハッキリ色分けされており、不必要な子が一人もいないし、本当にびっくりするくらいスルスル入ってくる。なので心配せずに観て欲しい)

10年間、いろんな女の子が紅島を演じた。いろんな女の子からだを依り代に、たくさんの紅島に出会ってきた。

髪には赤からピンクがひと房ふた房、もう少し多い時もあった。きつく上がった眦に赤いリップ。まっすぐな軌道を描く金属バット。それらを従えた紅島は強く美しく、迷わなかった。

わたしは歴代の紅島 弓矢がキャラクターとして好きだった。造形も言動も立ち振る舞いもすべてが凛とかっこよく、重心を斜めに預けるシルエットがたまらなく好きだった。

2018年の夏。誰もが覚えている通り、暑い夏だった。異常な熱に茹でられたわたしの目の前に現れたのは、例年と全然違う紅島だった。

当日、わたしは時間に間に合わなくて、追加椅子の端っこに座っていた。

OPのダンスも観れていなかったし、すでに事が起こった後で、紅島弓矢のシャツはすでに血に濡れていた。あの、ごめん、本当に文章の体裁とか一切とれないんだけど、そこにいたのは紅島先輩で、この9年間、違う女の子の身体を借りてやってきた紅島先輩が初めてご自分の足で舞台に立たれていた。分かるかこのショック。そこに紅島先輩がいたんやぞ。わたしは初めて紅島先輩の顔を見たし、紅島先輩の声を聞いたし、紅島先輩の笑顔を涙を見た。そのショック以外の記憶がほとんどない。ただ覚えているのが、手首のブレスレットが、一度小さくカシャンと鳴ったこと。今まで同じブレスレットをしているのにそんな音聴いた記憶がなくて、そっか先輩ってこういう音がするんだなって思った。泣きたくなるような音だった。

不自然なウィッグでわたしの期待を殺したパンフレットとは違い、けぶる金色はトレードマークのピンク色を捨てていた。ライトににじむその金色のことを実際のところあまり覚えていない。ただ、にじむ視界にきれいに溶けて、何度も目をこすった。

先輩は歴代のどの先輩よりゲラゲラ笑ったし、おじさんみたいだったし、やたらと顔を触ったり、目をしばたかせたり、顔をくしゃくしゃにしたり、めっちゃ美人な顔とブスな表情になるのを何度も往復していて、それはただそこにいる人間だった。わたしはきれいな紅島先輩が好きだったのに、顔をくしゃくしゃにした時の先輩から目が離せなくて、泣かないでって祈った。祈りは届かない。だって舞台だから。

歴代の紅島 弓矢がまっすぐに振りかぶった金属バットの切っ先を、2018年の紅島先輩は躊躇に揺らしていた。自分の身を守り、下級生たちの身を守るために振り回す金属バットの重さは彼女の重りだった。無敵キャラだった紅島弓矢はもういない。そこにいたのは知っていたかもしれない顔をぐにゃりと潰した後悔と興奮と罪悪感で、指が白くなるまでバットを握りしめている17歳の紅島弓矢だった。

終わってすぐに物販に走った。物販で2000円分買うと、イベントに参加してサインがもらえる。指が震えて1000円札が2枚出なかった。5千円札を出した。

でもきっと、この人も普通の女性で、紅島先輩じゃないから期待なんかしないし、とにかくお礼を言おう。先輩に会わせてくれたお礼を言いたかった。列には女の子がたくさん並んでいた。そりゃそうだろうなと思った。だってわたしの先輩は世界で一番かっこいいんだから。初めて見たくせに、9年前から知っているわたしの一番かっこいい先輩を誇っていた。順番が近づくにつれて何を話せばいいのか全然わからなかった。並びながらも何回も顔をチラッとみては、何か先輩すごく優しそうな人なんだなって思った。順番がきて、先輩、こと栗生みなさんと目が合った。

会話の内容の詳細は割愛。これはわたしと先輩と栗生さんの間の話なので割愛。でもたくさん御礼を言った。握手をしてくれた手は暖かかったし指が細くて、先輩こんなきれいな手なのにバットを……と思った。

その日からわたしは劇場に通った。行けるだけ行った。大人になってあんな無茶苦茶な観劇の仕方をすることがあるだなんて思わなかった。タバコを吸う紅島先輩の指が灰を落とす様子をジッと見つめるために、毎日池袋の駅から走った。

恋をしていたのだ。

恋にも種類がある。わたしが抱いたのは思春期のあの頃、同性の先輩に抱いていた憧れを煮詰めて作り上げた、いびつだけどよく光る透明な結晶だった。その人とどうなりたいなんて考えることもできない、ただ好きで好きでそこにいるだけで泣いてしまう後も先も無いただの感情だった。

自分でも現実に戻るために書くと、わたしは二児の母だ。どこか冷静に、実在しない人間だから入れ込めるという打算もあった。というか、現実に存在する人間にここまで入れ込んだこともない。自分を蚊帳の外に置いた二者の関係に燃え上がったりはしたけれども、自分を勘定に入れてこんなに気が狂うのは初めてだった。まさかこの年になって。人生が狂ってしまった。返して先輩わたしの人生。

9月に入ってすぐ。恋は終わった。なんてことはない、舞台の幕は下りる。

その頃、わたしには新しい友だちができていた。一緒に先輩に狂ってくれた年下の女の子。その子と次の日の仕事も考えず毎晩LINEで語り合ってはわんわん泣いた。ひどいよ先輩、わたしたちの事を置いていくだなんて。目をはらして仕事へ行く日々だった。

狂っている。焼かれたアスファルトの上に出た幻を、ひとに見立てて恋しがっているのと同じだ。

ちなみに今も引き続き絶賛気が狂っている。分かっている、本当に狂っている正気ではない。一方では仕事と育児をし、夫とも良好な関係を築きつつ、わたしは二度と会えない女に狂ってしまったのだ。

その後、先輩の残り香を探して栗生さんの金魚のフンのように、芝居を見て回り、それはそれで穏やかにファンをしているのはまた別の話。栗生さんは先輩だけど先輩じゃないので、栗生さんに向けている気持ちと先輩へ向けている気持ちは驚くほど違う。

そしてまた夏が来た。からだが夏を迎える準備をしていると、気持ちがあの夏へ向かう。その人は赤い指先で星を描き、その眼の光はわたしの眼を焼いた。もう一度会えたなら、わたしはどうするんだろう。どうもこうもない。その人は幕が下りれば去っていく人だ。でもわたしは、もしもう一度会える日があるなら、先輩、贈り物があるんです。いつも先輩タバコその辺に捨ててるでしょ、マナー違反ですよ。だからこれ。携帯灰皿。薫に見つかったら怒られるなんてもんじゃないですよ。だからこれ、ハイ。そう言って渡す。なに目線だ、大丈夫か?正気は保っているか?そう、死んだんだな。お前は社会的に死んだんだ。役者は客殺してなんぼの商売だ。つまり先輩はわたしを殺すことで完成してしまった。先輩の礎になったのだ。よしじゃあもうしゃべるな。

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こんな感じの狂人の恋文を、去年の夏からつらつら壁打ちをし続けていたら、アリスインデッドリースクールの少年版のお手伝いをすることになりました。 

アリスインデッドリースクールという物語はマジ最高なのでとにかく観て下さい。どのくらい最高なのかというと、夫が原作脚本の麻草さんと友だちで漫画家なのを良いことにコミカライズまで持ち込んで、作品のログを作り、ソフト化されていない作品を何とか誰にでも追えるようにまで持っていったくらい。本当に最高なので、最後の方に電子のリンク貼っておくので読んでくださいお願いします。映像作品の方をあんまり進めないのは、わたしがあくまでも作品推しで作品の純度みたいなものに対して、こう、いろいろあるからです。察して。


久しぶりに狂人の恋文を書いたので疲れました寝ます。明日も朝からカイシャです。泣いちゃう。

アリスインデッドリースクール少年 は、物語の筋はそのままに男女逆転させた物語です。わたしと原作脚本の麻草郁さんともう一人のお友だち三人の10年の悲願でした。絶対100%面白くて絶対に後悔させないので観て下さい、よろしくお願いいたします。チケットはこちら↓


デッドリー少年についての詳細なお話はちょっとまた別のところに長く書きます。壁に描いたお友だちも10年話かけたら返事をするみたいな話です。


おやすみ。

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サド先輩は?という質問を受けましたが、わたしは優サドであって、自分を勘定に入れるなんて大それたことはしておりません。優サドやぞ。

2020年の冬の生ハムを買います。