特攻は自己啓発のツール? 早田ひな選手の発言と映画『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』に思うこと
早田ひな選手が帰国直後の会見で、「特攻資料館に行きたい」と発言したことが話題になっています。
「鹿児島の特攻資料館に行って生きていること、そして、卓球ができることが当たり前ではないということを感じたいと思う」という発言をもって、早田選手が右寄りだとか、軍国主義的だというのはまったく違うと思います。ただ、「特攻」への接し方がとくに若い世代で大きく変化していることは、見逃せない現象だと感じました。
すぐに想起されたのは、昨年12月に公開された映画『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』でした。
Filmarksの投稿には、「好きなことをして生きていられる今が本当に幸せだと思い知らされる」「今こうして自由に生きれていることに感謝を忘れずに、毎日しっかり生きていきたいと改めて思わせてくれた大切な映画」といった、早田選手の発言と同じような感想が多数見つかります。
映画のあらすじは、親や学校、すべてにイライラして不満ばかりの高校生の百合(福原遥)が1945年6月にタイムスリップ。百合は特攻隊員の彰(水上恒司)に心惹かれていく――、というラブストーリー。ことさらに戦争賛美とか、自己犠牲を美化しているという描き方ではありません(下記の記事によれば、原作小説にある彰の「愛する人たちを守るために、俺は死にに征くよ」といったセリフはカットされているそうです)。
ただ、「こういう風に特攻を描いていいのだろうか?」という違和感は抱きました。「イライラして不満ばかり」だった百合は特攻隊員との交流を経て現代に戻り、母親や周囲の人に感謝して一生懸命に生きようと決意します。すごく「自己啓発的」なストーリーなのです。
実は「特攻で自己啓発」という流れ自体は以前からあり、社会学者の井上義和さんが『未来の戦死と向き合うためのノート』(創元社)などで詳しく分析しています。たとえば2000年代に入ってから、巨人時代の松井秀喜、ラグビー・U20日本代表、眞鍋政義監督率いる女子バレー日本代表など、スポーツ選手が知覧の特攻平和会館へ行く事例がいくつもあります。
さらには、知覧で自己啓発セミナーや社員研修も多数開催されるようになっています。『人は話し方が9割』(すばる舎)で知られる永松茂久氏には『人生に迷ったら知覧に行け』(きずな出版)という著書もあります。また、元ホストクラブオーナーの井上敬一氏が主宰する「知覧立志合宿」のウェブサイトには次のように書かれています。
なぜ、特攻と知覧が自己啓発の題材になるのか。井上義和さんは次のように分析しています。
そして「特攻隊員の物語を、戦争や作戦の評価とは完全に切り離して、つまり歴史認識の脱文脈化を経たうえで受容」するため、「戦争の悲惨さや平和の尊さといった平和教育」と「特攻隊員への感謝」は両立すると井上義和さんは指摘しています。これは、『あの花が咲く丘で~』の特攻の描き方とかなり重なっています。百合は「戦争に意味があるんですか?」といった反戦的なセリフを何度も発しているからです。
では問題ないかというと、そうは思えません。三宅香帆さんは『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書)で、牧野智和さんの著書を参照しつつ、自己啓発書は「自己の行動の変革」、さらには「自分の人生の変革」を促すものであり、その特徴は「ノイズを除去する」姿勢にあると分析しています。特攻を自己啓発のツールとするとき、「ノイズ」となる歴史的事実の多くはカットされてしまう。とくに戦争の「加害」を見過ごしてしまうと思うのです。
まず、自国民への加害。戦争末期に実行された特攻は国民を守るための作戦とは言い難いものです。むしろ国体、つまり天皇を守るために、国民を犠牲にする作戦でした。沖縄戦を描いた映画『島守の塔』と見比べれば、『あの花が咲く丘で~』が、国家のために国民が犠牲になるという構造をいかに描いていないかがわかるはずです。
そして、他国への加害。特攻で他国が描かれるとしてもアメリカだけ。特攻ばかりがフォーカスされることで、先の戦争で日本が「加害国」であったという側面が見落とされてしまいます。アジア各国の死者数は2000万人以上とされています。「侵略戦争ではなかった」などと主張する人も一部にはいますが、軍人だけでなく多数の民間人が日本軍により殺されたことは否定しようがない事実です。それらを自己啓発のストーリーに落とし込むことは、到底できないでしょう。
早田選手の発言に、右派論客から「称賛の声」が集まる一方で、左派からのコメントはあまり見当たりません。「特攻資料館に行きたい」発言を取り上げなかったテレビ局も多いようです。どう扱っていいかわからない、ということでしょうか。繰り返しますが、この発言単体は問題視するようなものではありません。ただ、「特攻の自己啓発的需要」という大きな現象は無視できないし、この傾向が強まることで見失われるものがあるように思えてなりません。
(追記)書ききれなかったことを少し書きました。
関連する本と記事のリストも作りました。
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