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「特攻で自己啓発」問題をちゃんと考えるための本&記事リスト

早田ひな選手の「特攻資料館に行きたい」発言と、映画『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』について書いたのですが、これだけだと「特攻の自己啓発的な受容」という問題の複雑さが伝わらなそうなので、関連する本と記事のリストを作りました。

そもそも、『あの花が咲く丘で~』は、年長世代よりずっと個人主義的なZ世代の価値観に合うよう、絶妙にチューニングされていて、評価が難しい作品です。

CDBさんが指摘しているように、『あの花が咲く丘で~』は『恋空』や『君の膵臓を食べたい』のような恋愛映画の系譜にあります。さらに、『永遠の0』のような特攻映画を、令和版にアップデートした作品でもあるわけです。

特攻を題材にした自己啓発本そのものを読む

『あの花が咲く丘で~』はたしかに「特攻の自己啓発的な受容」の流れの中にありますが、いちばんマイルドな部類に入ります。特攻がなぜ自己啓発の題材になるのかを知るためには、自己啓発本そのものを読んでみるのがいいでしょう。『人は話し方が9割』(すばる舎)で知られる永松茂久さんの『人生に迷ったら知覧に行け』(きずな出版)は、2014年刊行、2023年に新装版が出ています。

井上義和さんのインタビューと著書

「特攻の自己啓発的受容」についての研究は、帝京大学教授の井上義和さんが第一人者です。まずはこの記事を読んでください。

特攻に触れることによる自己啓発は、特攻という作戦の否定や、反戦のメッセージと両立すると井上さんは指摘しています。

知覧を訪れ、戦死した特攻隊員の物語に触れることでポジティブな力を引き出す「活入れ」は、戦争の悲惨さや指導責任とは切り離して、何のために、誰のために自分の命を使うのかを考えるという、普遍的で純化された気持ちを呼び起こすものです。「お国のために命を投げ出す」自己犠牲ではなくて、「大切な人のために命を使う」こと、つまり「使命」を見出して、誰かのために自分のできることをひたむきにやるといった利他的な意識と行動が促されるのです。

「戦死」語る言葉なき日本で「特攻」が刺さる理由(JBpress)

より詳しくは、井上さんの著書『未来の戦死に向き合うためのノート』(創元社)に書かれています。その元となった論考も収録されている『「知覧」の誕生―特攻の記憶はいかに創られてきたのか』(柏書房)も、知覧が「特攻の聖地」となる過程を多角的に知ることができ必読です。

特攻を描いた小説については『特攻文学論』(創元社)を。『永遠の0』あたりまでは、特攻体験者の生き残りが若い世代に伝えるという形式だったのが、特攻体験者の高齢化により「継承の媒介者」の役割を果たせなくなったとの指摘があります。『あの花が咲く丘で~』はまさに、戦争体験者をスキップして、主人公と同世代の特攻隊員からダイレクトに記憶と想いが継承されている点が非常に重要なポイントです。

noteの連載では映画版の『あの花が咲く丘で~』も取り上げられています。

「戦争体験」の継承めぐる議論

『「知覧」の誕生』の編者でもある福間良明さんの『「戦争体験」の戦後史:世代・教養・イデオロギー』(中公新書)も必読です。わだつみ会(日本戦没者学生記念会)を中心に、戦争体験の継承をめぐる議論を追います。

戦死に意味はあるか、「崇高」とまつりあげることも「犬死」と切り捨てることも傲慢ではないのか、兵士たちは被害者か、戦争加担者であり加害者でもあるのではないか、インテリ学徒兵と農民兵士の立場と心情の差、国家への動員であれ反戦運動であれ戦争体験が利用されることへの忌避感……など、非常に多くの論点があり、戦中派と戦後派の対立、戦中派のなかでの意見の相違もあったことがわかります。そして、『あの花が咲く丘で~』はそういう“面倒”な戦中派を登場させないことで、複雑な部分は描かずに成立している作品だということにも気づかされます。

さらに、映画『あの花が咲く丘で~』の原作小説からの改変や、『永遠の0』との比較などを書こうと思いましたが、長くなりそうなのでまた別の記事にしようと思います。

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