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☆40歳の地図☆

『クオリティ』

凄く気に入ったデザインの服がある。

 しかし、とても高価だったので断念する…。

 似ているデザインで安価な服を見つける。

 断然安いのだがやはり質感や色合い、肌触りなどさっき気に入ったものとは異なる。

似たような服でもう少し質感の良いモノを探す。

 中程度の価格で先程の安価なモノよりも気に入る。

 しかし、これが本当に欲しいのか?と問えばそうでもない気がする。

 最初の服は気に入っている。

しかし、3分の2の価格だったとしても買うか?悩むのだ。

買わない事になる。 

とにかく安ければなんでもよい買い物をする時もある。

俺にとってはティッシュやトイレットペーパーなどはその代表例だ。

値段ではなくとにかく特別なお店へという時もある。

ヒトをもてなすような時にね。

そこにも目的が存在する。

ヒトは購入する時にとても敏感であり、厳しく、妥協がない。

何を良いと想うのか?それは好みもあり、人それぞれだ。

 

だが、目的に合った価格、魅力、品質、そういったクオリティのすべてに満足、納得しなければ買う事はない。

 俺がたくさんお金を持っていたとしても最初の気に入った服はあの値段であれば買わないと想う。

スエット上下を10万円で買いますか?みたいなものだと想ってもらえればいい。

 

ハイブランドだったとしても

気に入ったとしてもポン!

と買って身に着けて高揚しているクオリティは

俺はあまり好まない。

(そういう自分のクオリティにげんなりしてしまう・・・)

 

俺が購入しなかった服の数々もたくさんのアイディア、デザイン性、価格、マーケティング戦略、トレンドそういったたくさんの人たちの努力や試行錯誤を経て市場に出されているモノだ。


俺1個人だけを取れば売れなかった事になる。

(本当は爆売れしている商品かも知れない。)

 

少し傲慢な言い方をすれば 

価格や品質のクオリティが俺の望むものではなかった事になる。

 

なんて偉そうなんだ(笑)

 

創る側の視点に立てば

クオリティを求めるユーザーに対して納得を生む必要がある。

クオリティの追求にここまでやればOKというものは存在しない。

 

達成できたと感じて世に出してもユーザーが求めるクオリティに

届かないために売れなかった服というの山ほど存在している。

 

良いと想ってもらうモノやサービスを生み出すために

仕事として求められるクオリティ

 

それこそエゲツナイものである。

 

働き方改革、やりがい搾取、ブラック企業といった言葉がどんどん現れる。

 

昭和の時代には聞いたこともない言葉だった。

 

24時間働けますか?

 

栄養ドリンクのキャッチフレーズで

20年くらいしかたっていない。

 

これに違和感しか感じなくなる時代に間違いなく変ったのだ。

 

働き続ける事、勤め続ける事、長時間頑張る事。

そういったもののクオリティを見直すということなんだろう。

 

週休3日制度

男性の育児休暇取得推進

フレックスタイム制

テレワーク

ジョブ型雇用

残業無し

細分化、分業化、

会議やミーティングのオンライン化

etc…

 

企業や社会が変わる中で

長時間でこなしていたものを短時間に凝縮するクオリティ。


頑張ることで成し遂げられてきたモノを 

頑張りすぎなくても出せるテクニック、アイディア、実行力という

システムとマンパワークオリティ。

 

それが無ければ個人も会社も淘汰される。


なりふり構わず頑張ってきたからこそ保ったクオリティは

さらりとこなして誰がやっても創れるクオリティの高い

組織、システムになるのか?


ならないならば

あなたや俺が求めるクオリティのある商品とサービスは

決して世に出る事がない。

 

とりあえず勤めておけば良かった時代から


限られた時間の中であなたはどれだけの仕事が出来て会社に何をもたらすことができるのか?

という厳しくもごく当たり前の本質を突き付けられていることになる。


いきなり変革されても厳しいよ。

 

全員でもうクオリティを求めない。

しょうがないよね。 

というやり方や生き方もあるだろう。

 

そういう社会的な疲弊感や欲求の表れが社会変革なのかもしれない。

 それも素敵に想うよ。


しかし、俺は 

クオリティを求めずにこのあたりでしょうがないよね。


そこに 

心動かされることはないだろう。

 

あなたの仕事のクオリティ

お客のあなたが受け取った時に満足できるものですか?

 

俺は俺の中に在るクオリティに向き合っていたいと強く想う。

 

その向上意欲は、半ば狂っていると自覚する。

だけど自分がわかるから。

クオリティに妥協した事は自分自身がわかるんだ。

 わからないなら幸せだ。


100だと想ってたら1,000があった。

世界は拡がり続けていくんだよ。


自分自身が最高だと想っていたクオリティでさえ世に出た時に手に取ってもらえる事すらない。

それを自分で足りないと想ってとりあえずこれでいこうというクオリティなんて納得させられるわけがないのだ。

 

しょうがない

難しい

折り合い

 

それが調和を生み、笑顔を創る事が出来る事は良くわかる。

 

ただ自分自身は深く傷ついたりするのだ。 

飽くなき探究心や向上意欲は近くにいるヒトを傷つける事も知る。

 

ただ、もう一度言うが

 

本当に欲しいモノを買う時に

しょうがないからこれでいいや

ということは絶対にない。

 

 

 

クリフトストレングス

自分の内在する強みを知る、自分を可視化するようなテストの中で

 

俺の強み上位の中に

最上志向というものがあった。

 

この特性を活用すると

あなたは最高の仲間と最善の仕事をすることを好みます。

あなたは個人、グループの改善を促す方法として長所に着目し、優れたモノを最高レベルに変えようとします。

 

というモノがあった。

 

その中で注意喚起されているのが

 

『時には十分良い状態が適正かつ適切であることをあなたは受け入れなければなりません。』

 

『許容範囲であるが理想的ではない状態であってもがっかりしないようにしましょう。』

 

ということが記されていた。

 

俺はこのような点を他者や自分に求めてがっかりしたり、衝突したりすることは

よーくあるのだ。

 

少し理解したのだがしばらく実践してみたところ


自分が自分ではない感覚に陥り、簡単に言うと

つまらなくなってしまった。

  

バトルスタディーズという野球の漫画で

 突き抜けてる主人公が3年生になり

突っ走ってきたからヒトの意見に耳を傾けたい。

間違っていたらどんどん言ってくれ!

 

と仲間に言うシーンで

チームメイトが

 

最初から間違ってるぞ。

 

間違えていけよ。

 

間違えなくなったらお前がただの凡人になってしまうよ。

 

そんなやり取りのシーンがあった。

 

 

俺のクオリティ、向上意欲は他者にとって理解する事も難しく

周りを傷つけてしまうことがあることを理解する。

 

しかし数パーセントでも

ほんの数パーセントでも

 

俺だけにある良さを感じてもらえる瞬間があるのならば

 

そのあなたが良いと想える手に取るに値し高揚するクオリティは

 

その他者をも傷つけるような俺自身の狂った程の特性から生み出された

クオリティだ。

 

しょうがないよね。

よくやったよね。

 

といった不純物が混じらない純正のクオリティなんだ。

 

答えも正解もない。

 

でも

 

ヒトは絶対に

自分が手に取りココロ振るわせられるクオリティを求めている。

 

そして俺も

誰一人として傷つけない極上のクオリティを求め続けている。

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