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一冊!取引所の代表は、突然に

                                                                                                            三島邦弘

 昨年10月、一冊!取引所を運営する会社の代表になった。自分がもう一社の会社の代表になる。それは、そのことが決まる前日までは自分の中に全くない選択肢だった。ふいに、思いがけず、未来からやって来る。そんな言葉が散りばめられた本の編集をちょうどしていたからだろうか。その書籍の刊行ひと月前に、僕にとっては、思いがけず代表、というほかない事態が訪れた。
 奇しくも、15年前にたちあげたミシマ社という出版社が15周年を迎えるタイミングと重なった。15周年記念の本の刊行や書店フェアが目白押しという時期である。つまりは、超弩級の忙しさが訪れるだろうということが「無計画」と言われがちな僕でもはっきりとわかっていた。
 ミシマ社のメンバーに代表就任を報告すると、一人が「おめでとうございます」と言ってくれた。
 おめでとう、か・・・。内心、驚いた。正直、とてもじゃないけど、喜べる余裕などなかったのだ。
 代表変更の膨大な手続き。登記はもちろん、銀行、クレジットカード会社、各種ネットサービスへの変更申請、加えて、支払いの仕方、クラウド会計の見方などこれまでミシマ社では人に任せてきた仕事も覚えなければいけない。この会社では、自分以外にする人はいないのだ。社員は元ミシマ社の渡辺だけ。私が代表になると同時に、これまで代表を務めていた蓑原と役員の今氏は退任することになっていた。
 そして代表になることは同時に、このわずか創業一年半の間に生じた会社の負債を負うことを意味した。その手続きがまた面倒極まりないものだった。銀行からすれば、「ほんとに連帯保証人に自らなるのですか?」というものだったのかもしれない。結局のところ、会社で借りたお金とはいえ、個人が保証するのだ。中小企業、とりわけ個人会社に近い零細企業にとって金融からの借入は、個人が担保せざるをえない。ともあれ、何度も面談を経て、恐ろしい数の判子と署名をくりかえし、めでたく連帯保証人となった。
 めでたく?
 いや、まったくそうでも言わずにはやってられない。一冊!取引所が始まる段階で、僕名義で800万円を借り、運営会社の株式会社カランタへ渡した。その後、前代表名義で約1500万円を借入、その分の連帯保証人にこのたびなったというわけだ。そして、僕が代表になってすぐに、600万円を追加で借りる手続きを進めていた。これでざっくり3000万円の借金を個人で背負うことになる。
 念のため言うが、この事業で僕は一円ももらっていない。つまり、無給だ。創業以来2年間、給料をもらわず、従事している。
 無給で膨らむ借金ばかり。
 ・・・・・・・。
 突然、代表に着いてからの3ヶ月、予想していたとはいえ、なかなかに大変な日々だった。会計ソフトを覚え、エンドレスと思えてくる名義変更手続きを苛立つことなく淡々とこなし、資金繰りの目処をたて、ミシマ社では「時間の無駄」と切り捨て極力役所と関わることを避けてきたというのに「そうは言ってられぬ」と補助金の申請を行い、慣れぬ、というか未だ使えぬエクセルを触っては「禿げる〜」と絶叫した夜もあった。
 同時期、ミシマ社では僕が編集長を務める雑誌「ちゃぶ台」第8弾の制作まっ只中だった。さらには15周年記念企画として出した『くらしのアナキズム』『思いがけず利他』『その農地、私が買います』が各所で紹介され増刷に次ぐ増刷。毎日がお祭りのような事態と言っていい。もちろん版元としては歓喜の多忙である。そのまっ最中に新卒採用。
 ある人へのメールに、「死にそう」という表現を使ってしまうほどの多用を極めた。それまで、そういう言葉を冗談でも使うことはなかった。実際、ずっと会いたかった方と会食する機会があったのだが、あまりの疲れに抗えず、大きな欠伸をしてしまった。大失態。そうした失態を思い出しては、じわりじわりと精神が蝕まれる。そんな悪循環に陥りかけたりもした。
 まったくめでたい、めでたい。そう皮肉まじりに言うことで、乗り切ろうとしていたのかもしれない。

 2022年元日。 
 3ヶ月遅れでおめでとう、と自分に言った。
 そこには、シニカルさは微塵もない。ただ、気持ちいい清々しさが満ち満ちていた。


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