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絵空事 -himno- 第3話「満ちる月」

「それにしても、あんた…、のこのこうちについて来て、大丈夫かいな。」
よくよく考えると、妙な男だ。――こちらの言葉を鵜呑みにしているようにしか見えない。

「おや? もしや私を隠すつもりかい?」
「…。もしそうやったら、どないするん?」
余りにも容易くこちらの言葉に乗るので、少し揶揄うように尋ねてみた。

「ひょっとすると君は、人を誑かすのも好きなのかい。ふうん…」
にこりと微笑んで感心すると、男は此方の手を払い除け、目にも留まらぬ速さで何やら印を結んだ。

――途端に、四方に人影。
「…っ!?」
あまりの速さに状況は掴めないが、此方に良いようにはならないだろう。

「ちっと揶揄っただけや! 堪忍してや…!」
「命乞いなら、貸す耳はないよ?」――先程と寸分も違わぬ表情で、ぬけぬけと言う。

「そ、そうやなくて。…ほら、此処は、うちの棲んどるとこやろ。あんたに何かするんやったら、もっと早うに手ぇ付けとるわ…!」
――こいつが山に入った時点で、分は此方にある。…にも関わらず、これだけの事が出来るのだから、この男は余程腕が立つのだろう。

「………。ふむ。では、これくらいにしておくか。」
そう呟くと、私を取り囲んでいた人形が音もなく消えた。

「痛っ。」
――が、首の周りがちくちくと痛む。
「…、何やこれ」

「もしも君が何か今後、変な気を起こしたら、次は躊躇なく締めるからその心算で。」
「な…っ」
私は驚いて、首の辺りを擦る。――何をされたのか実に気になるが、自分の首なので見えるはずもなかった。

「もしもこれに懲りたのなら、二度と私を揶揄わない事だね。」
「………、山の神の遣いに手ぇ出すと、あんたも唯じゃ済まんで。」

「先に仕掛けたのは君だろう。」
「…せやから、さっきのはただの冗談やて…!」

「君の言葉のすべてを鵜呑みにするほど、私が愚かに見えるかい?」
「…、うちの冗談をすっかり真に受けたあんたは、阿呆とちゃうんか?」

「己の身を守る為に、手を尽くしただけさ。」
「…。冗談も解せん男とは。つまらん奴やなぁ」

「君にそこまで親しくされる覚えは、此方には無いのでね。――つとめることがことだから、先ず疑ってしまうのさ。」
「外から来た奴やから、面白そうやと思てたのに…。」

「おや。…私のような流れ者は嫌われるのが常だけれど、君は違うのかい?」
「後から来たやつが嫌われるって言うんやったら、うちらにとっては麓の奴らも余所者やし。…どっかから来て勝手に居ついた奴と、ふらっと来ても、すぐ出てってくれる奴とやったら、すぐ出てってくれる奴の方が図々しくない。」

「ふうん。成程ねぇ。」
「…少なくとも、うちと話せる奴には久しぶりに遭うた。…なんぼ言うても居座りおる奴らと、分を弁えてるあんたとやったら、あんたの方がええ。」

「確かに。――同じ流れ者ならば、話の出来る方がまだまし、ということだね。」
「せや。…やし、あんたに害を加える気はあらへん。――そもそも、あんたがさっきやった印がなかったとしても、今あんたを隠したところで、損するんはうちや。」

「それも、そうか。」
「ああ。――信じる気になったか?」

「…まぁ、ひとまず君の案内に着いてゆこうという気にはなったかな。」
「ほーか。そんなら良かった。…ほな、行こか。」

――それにしたって気の早い男だと、私は男を横目で睨む。
「…? 何か?」
すぐに視線に気付かれ、訝しそうに此方を見てきた。

「…そういや、あんたの名、聞いてへんかったなと思って。」
慌てて、他意はないのだと誤魔化すように、直ぐに視線を前へ戻した。

「成程。――私は銀翅(ぎんし)という。…君に名はあるのかい?」
「ない。…何か適当に呼んでや。」

「おや。…折角の名だというのに、私が決めても良いのかい?」――くす、と銀翅は笑う。
「気になるんやったら、仮ってことでもええからさ。」――つられたように、私も笑ってしまった。

「ふむ。…では、先頃遭うた日の月に因んで、十六夜(いざや)という名では如何かな?」
「…気に入った。ほな、そういう事で」
仮でと言ったが、意外にも好い名だったので、これからはそう名乗ることにしよう。

「…しかし、何で月なん?」
「それを言っては面白くなかろうよ。」――銀翅はさも可笑しそうに、ふふふ、と笑った。

「えぇ~。…まぁ、えぇけど。気になるわ。」
「また何かの折に、話すこともあろうさ。――おや。」

そんなことを話しているうちに、目当ての場所にたどり着いた。
「よし、着いたな。…まぁ、見とき。」
「ほう。何をする心算かな。」

銀翅は此方を見、腕を組んだ。
――と、ちり、と首筋が痛む。袖の下で印を組まれているのだろう。…まだ警戒されているらしい。

「…。まったく…。」
仕方のない奴だと思いはするものの、揶揄ったのは此方なので、少々気が咎める。

「すぐ済む。」――気を張り詰め、呼吸を整える。
「…。」――銀翅は、何も応えない。

「…! ほう…」
――目を閉じていた私の耳に真っ先に届いたのは、銀翅の感嘆する声だった。

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