Caja de música.
私がそれを見つけたのは、古びた骨董屋の中だった。
Caja de música.
その骨董屋を見つけたのは、ある休日の夕暮れ時のこと。
その店がある通りは決して人通りが少ない訳ではないが、誰もその骨董屋には見向きもしない。
店内も薄暗くて、何だか不気味な感じ。
その店に、人の気配はない。
店員さんもいないのかな?と思いながら店に近付くと、
私は突然、その店の一枚の窓に施された美しいステンドグラスに目を奪われた。
窓の外から差す夕日の光が透けて、綺麗な色が店内に差し込んでいる。
虹色の光が差す先に、一つの大きな箱があった。
何だろう?
なにか小物を入れる箱にしては、中途半端な大きさの箱だ。
私はその箱に、とても惹かれた。
…さっきから、ステンドグラスにこの箱、と、何やら惹かれるものが多いな。
どうしてこの店、誰もいないのかしら。今日はお休み?
「すいません。…あの、何か御用でしょうか?」
突然、背後から声をかけられた。
驚いて振り向くと、買い物袋を持った、私と同い年くらいの、――二十代前半から半ばくらいの男性が立っていた。
「あ、…ご、ごめんなさい。…このお店、今日はお休みなんですか?」
「あぁ、お客さんですか? 良かったらどうぞ、見て行ってください。」
「え、…は、はい。」
彼が店員さんらしい。…少し年季の入った骨董屋に対して、店員の彼は少し若すぎるように思う。
店を開けながら、彼は言う。
「うちの店は、お客さんが訪ねて来たときだけ、開けるようにしてるんですよ。」
「どうしてですか?」
「店内に、物があふれちゃって。たくさんお客さんが来ると、入ってもらえないんですよ。…狭くて。」
「…、なるほど。」
「だから、俺の親父が…お客さんが来ないようにって店をあんまり開けないようにしてたら、お客さんが来なくなったんです。…俺が店を手伝うようになってからは、お客さんが来なくても出来るだけ開けるようにしてるんですけどね。」
少し苦笑気味に、彼は言った。
確かに、店内に入ってみると、まるで古文書のような本やら、古い蓄音機やら、所狭しと骨董品が並んでいる。
…うっかり、手に持っているバッグを何処かに当ててしまったら、くずれ落ちて来そうだ。
もしどこかに当たって、何か売り物を壊してしまったらどうしよう。
今の私には弁償、出来ないだろうな…
「良かったら、お荷物お預かりしますよ。」
「あ、はい。…お願いします。」
私が不安そうな顔をしていたからなのか、
それとも客にはそう尋ねることにしているのかは分からないが、とにかく…助かった。
「カウンターに置いておくので、安心してくださいね。」
私の目に見えるところに、ということだろうか。
「でも、まぁ…盗っちゃうひとなんて、いないんですけどね。」
それはそうだろう。この場で窃盗があったとしたら、今、私の目の前にいる彼が容疑者になるだろう。
それはともかく。――さっき外から見えた、箱。
何故かそこだけがステンドグラスになっている窓の、傍にある。
「…あの、これって、…何ですか?」
「あぁ、…触っていただいて、結構ですよ。」
そう言うと、店員である彼は私のカバンをカウンターに置いて、買い物袋を持ったまま、店の奥に姿を消した。
――恐らく、この店は彼らの住宅も兼ねているのだろう。
そうですか、と言おうとしたものの、彼の姿は既に消えていたので、
私は無言で、恐る恐るその箱に手を伸ばした。
箱を手に取り、手のひらの上にのせる。
見た目より、少し重い感じがした。
木で出来た箱で、蓋に細かい細工がしてある。
細工に使われているのは…銀、だろうか。――よく分からない。
そっと、蓋を開けてみる。
すると、――可愛らしい音楽が流れ始めた。
オルゴール、か。
「あ、それ。……良い音色でしょう。」
またしても背後から、声をかけられた。――先ほどの店員ではない。
振り向くと、少しお年を召した、男性が立っている。
しかし、物言いもしっかりしていて、若々しい。――先ほどの男性の、父親だろうか。
「あ、――はい。」
「蓋の細工もきれいに残ってますが、相当古いものらしいです。…詳しいことは良く分からんのですが。」
箱の中に、値段の書いてあるラベルが貼ってある。
――二万円と書いてあるが、二重線が引かれ、何度も値下げをした後があった。
現在の値段は――五千円。
「これ…随分、高かったんですね。」
「普通のオルゴールは、同じ曲を何度も繰り返すでしょう。しかし、そのオルゴールはね、…曲が変わるんです。」
「曲が、…変わる?」
「ええ。そういう仕掛けがしてあって、ツメが一周するごとに少しずつずれて、流れる曲が変わるんです。…確か、四曲ほどあったかな。」
確かにオルゴールにしては少し大きめの箱だと、思った。
――こうして話している間にも、曲が変わっている。
何だろう。オルゴールの音色を聴いていると、落ち着く。
「……、気に入って頂けたようで。」
「あ、はい。…オルゴールなんて、もう随分聴いてないな、と思ってしまって。」
「そうですねえ。…こんな立派なオルゴールでなくても、普通のオルゴールなら、持っている人は多いでしょう。でも、…大人になったら忙しくて 、聴くことは少なくなってしまうでしょうからなあ。」
「…その、通りですね。」
時間が、ゆっくりと過ぎていくような、そんな気がする。
オルゴールって、こんなに綺麗な音だったかしら…
――やがて、流れる曲は少しずつ遅くなり、そして、――止まった。
私は、値段の書いてあるラベルを見て。…そっと、蓋を閉じた。
「――どうです。…お買い上げになりますか?」
「…悩みますけど……今日のところは、やめておきます。」
「そうですか。」
店の主人である彼は、私を見ると目を細くして、ふっと笑った。
思わず私も、つられて笑いそうになる。――すると。
向かいにいる男性の肩越しに、店の時計が目に入った。
…少しの間しか店にはいなかったと思ったのに、もうこんな時間か。
「…大変。もうそろそろ、お暇しますね。」
「はい。…いつでも、いらしてくださいな。」
以前は客を拒んでいた、という風には思えないくらいあっさりと、彼は頷いた。
カウンターにあった荷物を受け取り、慎重にお店の外に出た。
「それでは、失礼します…!」
「はい、…ありがとうございました。」
微笑みながら、その客を見送る。
そうしていると、店の奥から息子が出てきて、言った。
「…久しぶりのお客だったな、親父。」
「ああ、そうだな。……この店も、客足が途絶えきっちまう訳じゃなさそうだ。」
「そうだな。――だからもう、安心していいんだぞ、親父。」
彼は、ふっ、と――…笑った。
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