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104.結局、大丈夫なのよ

わたしは家での書き物は全て鉛筆。
短くなってきたら、二本の鉛筆のお尻をくっつけて長くして使ったりしていた。つなぎ目がなんかぐらついて、安定感がなくて落ち着かなかった。
それで、子どもの頃使っていたのを思い出して「真鍮製 補助軸」というのを買った。

長くなった鉛筆を使うと、手がのびのびしてゆったりと字が書ける。
小さな変化だけど、とても快適。

話は変わるけど
椅子の座布団カバーを洗濯したので、今朝は座布団なしで椅子に座っていた。
3センチくらい下がった目線での風景がいつもと少し違っていた。どうっていうことはないけれど、小さな変化で感じ方も変わるんだなあと思った。

気ばかりを使っていた時期が長かったから、変化によって感じることがひとつひとつ新鮮だ。

感じるというチカラが自分にあったことも新鮮。

そして、今まで考えていても、解決しなかったことが感じることですぐに答えが見つかることにも気がついた。

わたしは今なにが食べたいの?
わたしは今なにを着たいの?
わたしは今なにをしたいの?

感じられたら、速い。
まだ感じられないこともある。感じられないときは、なにもしないこともあるし、あえてやってみることもある。結局はいいようになっていくんだけど。

感じていたことに疑問を感じたり、間違えたと思ったときもある。
そんなとき、外からの出来事で、その決断がよかったと知らされることもある。

今日、わたしはバランスボールを買った。ずっと欲しいと思っていたバランスボールがたまたま入ったお店の入り口すぐのセール品のワゴンに入っていた。運命だと思った。それでも迷った。近くにセール品じゃないものも売っていたから。しばらくじーっとその場で迷い続けた。で、セール品に決めた。決めたら、にやりとしてラッキーって思った。

帰ってきて、空気を入れたら、サイズが小さかった。ガッカリ。フリマアプリで売ろうと思った。写真を撮って、送料の計算をしたら、送料がかなり高くつくことが分かった。値をあげないといけないな、それじゃ売れないよ、うじうじしていたら、妹が「使えばー」と言った。
わたしはそのとき、すとんとこころのつかえが取れた気がした。
「そっか、使えばいいのか」
わたしは安心した。このサイズだと思い込んでいた自分を責めていたけど、これでも使えないことはない。これで大丈夫だ。

今、わたしの部屋には小ぶりのバランスボールがある。使ってみたら、これで十分だった。

今日は妹のひとことで、原点にかえれた気がした。
わたしはバランスボールの上で膝立ちになりたかったのだ。
トレーニングとしてやりたかった。

小さくても、わたしの膝立ちの支持基底面に支障がない。曲面が気になるなら、空気を抜けばいいだけ。

また、考えていたなあ。
でもね、結局良い方向に行くんです。
すぐ忘れてしまうけど、本当にそうなの。
だから、大丈夫なのだ。


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