掌篇小説|十三夜
句会が終わると、津舟が近づいてきて、お月見をしましょうと云った。
「今日は十三夜だったね。何を準備したら好いかしら」
「栗名月だから、マロングラッセを用意しました。紅茶をお願いできますか」
「かまわないけれど、女の子のお茶会みたいだ。藍子さんも……」
と云いかけたら、津舟はあからさまに慌てて、
「藍、藍の花は秋の季語ですね」などと、訳の分からないことを口走った。
津舟は、うちの裏の娘の藍子と、恋仲であったようだが、藍子が学校を卒業しても、結婚を申し込むでもなく、大学での研究にうつつを抜かし、そのうちに、藍子の父親が、有望な銀行員を見つけて嫁にやってしまった。
津舟に、彼女をどうするつもりだったのか、尋ねたことはない。句会で逢うと、話をするでもなく、顔を赧くしたまま、隣り合って坐っていた二人のようすを思い出した。
「何時でも、都合の良い時にいらっしゃい」
私が云うと、津舟は、まだ動揺したなりで、それでは後ほどと足早に帰って行った。
去年の暮れ、裏庭で藍子を見かけた。年が明けて二月も過ぎたころ、実家にこもりきりで、まだ婚家へ戻っていないようだと、うちの者が云うので、ただごとではない気がして、津舟に教えてやった。彼は前から藍子の相談に乗っていたらしく、彼女に対する夫の非道い振舞いを云いたてた。離婚調停はこじれたなり。夫が押しかける。騒ぎになる。密通を疑われないよう、逢うのも我慢する。膠着状態のまま、すでに十月も半ばを過ぎてしまった。
藍錆びる空に静けし後の月
これは、今日の句会に送られて来た藍子の俳句だが、そばにいるのは叶わなくても、せめて津舟と同じ月を見たいと願ったのだろうか。津舟に藍子の窓を見せるためには、裏の縁側に月見の設をしなければならない。
午後から曇りがちだった空が、徐々に晴れてきた。ついこの間まで夏日が続いていたのに、すっかり肌寒くなった。この気温で外にいるのはやりきれないから、アルコール耐性のない津舟には悪いけれど、お酒を飲ませてもらおう。マロングラッセに合わせるなら、コニャックか、ラムか、と考えているところへ、津舟が大きな紙袋を下げてやって来た。
「それは何かな」
「冷えるといけないから、ボアを持って来ました」
「毛布くらい、うちにもあるよ」
「そうなのですが、藍子さん用の……」と云いかけて、急に畏まると、「ぼくは、まだ研究員でお給料は少ないのですが、結婚しようと決めたのです」
「もしかして、離婚が成立した」
「はい。問題は、解決しました。ようやく、静かな心持ちで月を愛でることができます」
藍錆びる空に静けし後の月、という藍子の句は、それを知らせる合図でもあったのか。
「藍さんと結婚を決めましたけれど、別れてすぐとは参りませんし、大っぴらに逢うのも、まだ不謹慎なようで」
「熱いお茶を淹れるから、早く呼んであげたら好い」
十三夜の月は輝きを増し、裏の潜門のあたりを明るく照らしている。津舟が、縁に荷物を投げ出して呼びかけた。潜門を開けて現れた藍子は、こちらに向けて頭を下げると、涙のいっぱいたまった眸で、津舟を凝っと瞶めた。
『 藍錆びる空に静けし後の月 』
季語:後の月
子季語:十三夜、名残の月、後の今宵、他
これは、すみか🌝moonさんの白杯への投句作品です。藍錆びる、の語に吸い込まれ、まず泉鏡花の物語的な世界を想起しました。男に裏切られた美しい女が、怨みを抱いて淵に身投げをすると、たちまち嵐が起こり、大水が溢れて、女を惨く扱った男を村もろとも押し流してしまう。そして水が引いた後の静かな水面、その上に冷たく輝く十三夜。女は淵の守り神=妖怪となって、長い時が過ぎ、再び悲しい娘が世を儚んで淵を訪れ、みたいな。
だけれども、歳を重ねると悲劇が辛くて耐えられなくなるので、ハッピーなエンドにしたくなりました。そもそも、お月見は、旧暦八月十五日の十五夜と九月十三日の十三夜と、セットで行われたとか。二度も同じメンバーで月を愛でるとは、なんとも平和で幸せだよねと思い、このような仕上がりにしてみました。
そして本日、十月十八日は十三夜。
樋口一葉の『十三夜』、久生十蘭の『西林図』『水草』を真似っこしました。否、パスティーシュです。
これで、あなたもパトロン/パトロンヌ。