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読まれるnoteとは

一般的な話

読まれるnoteには3種類ある気がします。
私の独断と偏見による勝手な分類ですが。
①お役立ち情報型
②名言・格言型
③圧倒的内容型

①お役立ち情報型について

何かを調べた内容をわかりやすくまとめていたり、紹介しているような記事がこれに該当する。読み手が欲しいと思っている情報をまさに載せているようなもので、商品のレビューや〇〇をやってみた、のような内容も含まれる。場合によっては書籍の内容を全文公開しているものもある。単純にその情報を欲している人間からすれば重宝されるのは当然のことであり、多くの人に読まれるのも納得。noteに限った話ではなくネット上にある記事の多くがこの形であり、キーワード検索で引っかかりやすく、欲しい情報が明確な場合にヒットされやすいのが特徴。ただ、読む人によっては欲しい情報が充足されていないと感じる場合もある。一方で、細か過ぎても読む気がなくなり、簡潔にまとめて欲しいと思う人が出てくる可能性もあり、さじ加減が難しい。ただ、取捨選択は読み手側で自由に行うので書き手側は気にせず思うまま書いた方が良いと思う。

①に該当すると思った例を以下に示します。
少し古い記事になりますが、そのあたりはあまり関係しません。
いずれもスキをされた数が1000を超えており、シンプルにすごい。
スキの数でこれだけあれば、単純な閲覧数だけならどうなることやら。
ここで挙げる例はいずれも、後で述べる③の要素も入っていると思います。


②名言・格言型について

人生の教訓や偉人の言葉など含め、心に響く言葉を綴ったようなもの。実際に言われた言葉や日常生活の何気ない会話から出たものなど、とにかく良いと思った言葉の共有。比較的短くて読みやすいものが多く、気軽に見れてかつ心に響くので読者から好まれる。特別な人間だけでなく、一般人の何気ない一言が実はとても素晴らしいものだと気づき、これまた特別な人間ではない普通の人がそれをnoteで共有する、これもnoteの良さだと思う。良い言葉が「良い」と気付けるのも一種の才能で、誰かがそれに気付いて発信することで他の人もそれに気付けるようになる。文章に特化したWebサイトの良さが存分に活かされているように思う。ただし、短文であるためか、盗作のようなものも見受けられる。どう考えてもこのnoteはあのnoteのパクリじゃないか、みたいな。その場合でもたくさんのスキがついているのを見ると少しモヤモヤする。初めて読む人にとってはどっちでもありがたい言葉になるので差が出ることはないということだろう。

ここではあえて例は出しません。
紹介によって今後の盗作云々のもとになるのは困るので。


③圧倒的内容型について

これぞnoteという感じ。引きの強いタイトルとそれに負けない内容。とにかく引き込まれる内容。「文章は書き方のテクニックが重要で〜〜」みたいな考えを一蹴してくれるくらい圧倒的。しゃらくさいテクだの何だのなんて関係ない、重要なのは内容だ!と感じさせられる。「記事」とは内容が面白ければ読まれるもの、これが真理。ある程度は論理的に伝わる文章を書く必要があると思うが、小手先の文章テクニックなど圧倒的内容の前では誤差の範囲だと言える。もちろんここで紹介するどのnoteも文章は上手で読みやすいが、おそらく拙い文章であっても関係なく読まれると思う。正直、読む側が猛烈に読みたい内容であれば、多少文章が読みにくくてもそこまで気にならない。その面白さというのは、笑えるものもあれば考えさせられるものもあり、泣けるものまである。とにかく目を引くものもあるが、一見すると何てことなさそうなのに読んでみると引き込まれるものもある。重厚な内容で本一冊分ありそうなnoteもしばしば。

以下に例を示します。
スキの数がえげつない。
10000を余裕で超えているものもある。
多分note使っている人ならどれか一つは読んだことあるはず。


番外編

ちなみにnoteで最も多いであろう個人の日記やブログ的なもの、またはこのnoteのような特定の物事への考えなどの記事はあまり読まれないのではないかと思う。これらのnoteはおそらく書き手が誰なのかに大きく依存するから。すでにファンがいる有名人や継続して読んでくれるフォロワーがいる人のnoteであれば読まれると思うが、膨大な数のnoteの中から一般人の雑記が読まれるのは難しいと思う。ただし、特定の業界のニッチな悩みや雑感は同じ業界の人からは共感が得られやすく、他を探してもなかなか見つからないので重宝されやすい。とは言うものの、特に読まれなくても大きな問題はないように思う。なぜなら素人の日記や雑記は自分の頭の中を整理する意味合いも大きいと思うから。頭の中で考えているだけの時は完璧に思えるようなことも、いざ文章に起こしてみると意外に論理が破綻していたり、まとまらなかったりすることに気づく。少数とは言えネット上で他人に見られる可能性を考えて文章を書くとなると、多少なりとも伝わる文章を書く意識が働く。そのため、ある程度の論理性は自然と身につくようになる。書き出してみれば自分の考えなんて案外大したことないものだと気づく、という体験こそが非常に重要だと思う。とにかく誰に読まれるでもなく、noteを書いてみようと思う人の多くはこの体験を求めているのではないでしょうか。少なくとも自分はそう。


自分のnoteから考察

続いて一般的な読まれるnoteの話ではなく、自分が書いてきたnoteで読まれてきたものについて。ダッシュボードというところから自分のnoteの閲覧数やスキの数が一覧になって見れるようになっており、週ごとや月ごとの閲覧数も表示される。そのデータをもとに考察してみます。

通常はnoteを投稿して1週間くらいでピークが来て徐々に閲覧数が減っていくようなものばかりだったが、ずっと安定的に閲覧され続けているものもあった。おそらく、最初に述べた①のお役立ち情報型のものほど安定的に読まれ続けているのだと考えられる。私の場合は下記のnoteがそれに該当する。

このnoteは他のnoteと比べても毎月一定の数は読まれているようである。おもしろいことに、このnoteの閲覧数自体は一定数あるもののスキの数は少なく、その少ないスキのほとんどがnoteユーザー以外の閲覧者からのものであった。おそらく、異性体について勉強している学生がネット上でキーワード検索したところ、たまたまこのnoteに行き着いたのだろう。正直言ってかなりニッチな話というか特定の理系学生にしか伝わらないような内容であり、noteユーザーが暇つぶしに何か読もうって思って読まれるような記事ではない。そもそもこのnoteを書いた理由も、自分が学生の頃に勉強していてややこしいと思って検索で調べたが、あまり思うようなまとめ記事が見つからず、それなら自分で作ってみようと思ったからである。おそらく同じような悩みを持つ人は一定数いて、検索して探していたら私のnoteのところにやってきたというところだろう。わかっている事実は「一定の閲覧数が恒常的にあること」と「noteユーザー以外からのスキがほとんど」ということだけであり、ここで考えていることはあくまでも推測にすぎないが、あれこれ想像してみるのは非常におもしろい。

もう一つおもしろいと思ったのは、スキは多いが閲覧数は多くないnoteがあること。つまり、読みっぱなしではなく読んだら高確率でスキが押されていたnoteである。これはおそらくnoteユーザーに読んでもらえたことの特徴だろうと思う。自分でnoteを書くような人は文章を書く苦労や楽しみも理解していて、スキをしてもらえるありがたさを知っているからこそ他人のnoteでも積極的にスキを押していってくれる。少しでも内容におもしろさを感じれば気軽にスキを押していってくれているのだろう。noteユーザー以外から好まれるのはお役立ち情報型のものがほとんどだと思われ、内容は短くて簡潔であるほどよく読まれるようであるが、noteユーザーに好まれるのは多少長い記事でも共感を得られたり感情が動かされたりするようなものである。noteユーザーは自身でも文章を書くため、他の人よりも長文への耐性が強いように思う。先の一般的な話で説明した③などはどれも長文であるが、みんな好んで読んでいる。昨今は長い文章を読むのが苦手な人が増えているというニュースも見るが、noteではそこまで気にしなくてもいいように思う。それよりも内容が重要だと思う。私のnoteで一番スキが多かったのは「自己啓発本を読まなくなってきた」という何ともネガティブなタイトルのnoteである。このnoteは自分が思う自己啓発本とはどういうことが書いてある本なのかを説明し、なぜ読まなくなってきたのかを説明しただけのnoteである。正直に言えば、そんなにポジティブな話でもない、ただ素直に思ったことを書いただけの記事ではある。おそらくそんなネガティブな感情でも同じように感じる人は何人かいて、それを何となく良いと思ってくれたのだろうと思う。


以上、読まれるnoteについての勝手な考察でした。

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