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#22 命を大切にね!社会の安定と生類憐みの令

このエピソードで学ぶこと

日本はついに安定した社会を手に入れました。
平安時代末期の保元の乱以降、血で血を洗う戦乱の時代が続きましたが、
武士以外は武器を捨てることができるようになりました。
安定の時代に、生類憐みの令が果たした役割とはいったい何だったのでしょうか。

本編(0分51秒)

・第4代将軍徳川家綱は幼少で将軍となるが、大きな問題もなく継承することができた。
・徳川幕府の体制が安定していた。政治だけでなく文化も発展していき、第5代将軍徳川綱吉の時代には元禄文化という華やかな時代となっていった。
・儒教を奨励し、生類憐みの令、貨幣改鋳を徳川綱吉はやっていった。
・生類憐みの令は、戦国の荒々しい気風を穏やかにしていく効果もあった。
・貨幣改鋳は小判の金の含有量を減らして、貨幣供給量を増やしたため、貨幣経済が発展した。
・こういった背景で元禄文化が育ったのだが、インフレによって幕府の財政支出が増大してしまう。
・幕府の財政はコメ収入が大半であったため、幕府の財政逼迫が課題となった。

今回のおさらい(9分44秒)

Q1:徳川綱吉が奨励した学問は何か?
→儒教、湯島聖堂を建設したり、自分で講義したりするほど重要視したんだ。
Q2:生類憐みの令がもたらした効果は?
→確かに厳しい法律だったけど、命を大切にすることで戦国時代の荒々しい雰囲気が沈静化する効果もあった。
Q3:綱吉時代に元禄文化が栄えた要因は?
→平和になったことで生産性が上昇し、貨幣供給量を増やしたことで貨幣経済がいっそう発展していったこと。
Q4:その反動で起きたことは何か?
→インフレが起きて幕府の財政支出が増大した結果、幕府の財政逼迫が起きてしまった。

次回予告(10分39秒)

悪名高い徳川綱吉による、生類憐みの令と貨幣改鋳。
しかし、そこには政策的な必要性もあったのです。戦国時代の荒々しい気風を押さえることになった生類憐みの令
小判の金の含有量を減らして貨幣供給量を増やしたことで貨幣経済が一層の発展を迎えて、
元禄文化という華やかな時代を現出することができました。
しかし、その一方で幕府の財政状態は支出の増大によって悪化。
収入は農地生産物に依存する形のままであって、なかなか増やすことができない。
時代は、倹約思考へとならざるを得なくなります。
次回、米将軍と呼ばれた徳川吉宗の幕府財政再建プロジェクトです!

次のエピソード⇒#23_暴れん坊将軍というよりも、米将軍徳川吉宗の改革

前のエピソード⇒#21_平和が一番。秩序の成立とパックストクガワーナ江戸幕府の成立


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