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#0113【行いよりも、心のあり方(旧約聖書:アブラムとの契約)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。

旧約聖書の物語、前回触れたとおり、カナンの地(現:イスラエル)に辿り着いたアブラムたちでしたが、飢饉にあってしまいます。

(前回:No.112【「現状維持への戒め」と「決断の重要性」(旧約聖書:アブラムの召命と移住)】)

仕方なく約束の地であるカナン地方を離れ、エジプトへと移住します。その後、再びカナンへと戻りますが、増えた財産の管理でアブラムと甥のロトとの間で争いが起きます。

争いを回避するためにアブラムとロトは分かれますが、ロトが他民族の襲撃を受けて財産とともに捕虜となってしまいました。

アブラムはロトの救出に向かい、敵を打ち破り、すべての財産と人々を取り戻すことに成功します。

以降の流れについては聖書(<>括弧内)から引用します。

<「恐れるな、アブラムよ。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きいであろう。」

アブラムには子どもがいません。そのことについて尋ねると「あなたの子孫は数えきれない夜空の星のようになる」と答えました。

アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。>

「アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。(創世記第15章第6節)」

この文言は非常に重要な文言です。何をもって神(創造主)は人間を認めてくれるのか。それは「行為」ではなく「信じること自体=信仰」によってであることを示しています。

内面の重要性に触れている箇所です。

良かれと思って実施した行為が裏目に出てしまうことがあります。あるいは、合理的な行動が必ずしも良い結果に結びつくわけではありません。

この一節には、そういった行為の結果に対して人間は気にする必要がなく、信仰さえあれば良いという「信仰絶対主義」に繋がります。

結果ではなく、心のありようが大切だということに対して信仰の立場から離れても肯定的にとらえることができると思いますが、これがのちにキリスト教が高圧的な布教活動に邁進した背景の一つとなったことは付記しておきます。

神とアブラムの対話・契約は続きます。

<「あなたの子孫は異国の地の居留民となり、奴隷として苦労することになるが、必ずここに戻ってこれる。」

「あなたは多くの国民の父となる。あなたはアブラムではなく、アブラハム(諸国民の父)と名乗りなさい。」

「わたしは、あなたが滞在しているカナンの地を永久の所有地として与えることを契約する。だからあなたたちも、わたしの契約を守りなさい。わたしとの契約のしるしは男子の割礼(包皮の切り取り)である。」>

あらためて、神はアブラハムと契約を結び、カナンの地を永久に渡すことを約束したのでした。

前回との違いは、結んだ相手が「アブラム」ではなく、「アブラハム(諸国民の父)」と結んでいる点です。

アブラム個人との間ではなく、神を信じる人間全体を対象としていると考えられます。前回触れたとおりこの中にはイスラム教徒も含まれると解釈ができます。

以上、本日の歴史小話でした!

(続き:No.114【不信仰者でも救われる(旧約聖書:イサクの誕生予告)】)

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