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#0058【吉田茂(日本、20世紀)】

1日1分歴史小話メールマガジン発行人の李です。

今週は日本の戦後政治家を取り上げます。まずはGHQ占領下における民主改革から日本独立までを支えた吉田茂です。

1878年東京に生まれた吉田は、1881年に貿易商の吉田家に養子に入ります。養父が若くして死去したため11歳で莫大な遺産を手に入れ、後に「貴族趣味」と揶揄される生活を形成するようになりました。学校は入退学を繰り返しますが、最終的に1906年東京帝国大学を卒業し、外務省へ入省しました。同期トップ入省は広田弘毅でした。

外務官僚としてキャリアをスタートした吉田ですが、当時の花形コースの欧米勤務ではなく、最初の20年間を主に中国担当として過ごしました。1909年に明治維新の三傑である大久保利通の実子牧野伸顕の長女雪子を妻に迎え、薩摩派に連なります。
中国大陸への赴任を繰り返す中で、対中強硬派となり、1928年の田中義一内閣では外務次官(外務省官僚としてのトップ)に吉田が就任しました。しかし外務大臣である幣原喜重郎と対中政策について意見が合わなかったことから1930年にはイタリア大使に転出させられます。
二・二六事件後の1936年に広田弘毅が総理大臣になると、吉田は外務大臣となる方向で調整が進んでいましたが、対中強硬派である一方、欧米に関しては岳父牧野の影響もあり「親英米派」と目されたことから、軍部の反対により実現しませんでした。慰撫人事で吉田は希望のイギリス大使となり、駐在中は大いに英国生活を楽しみ、貴族趣味に拍車がかかったと言われています。駐在中は日英親善に向けて尽力し、日独伊三国同盟にも強硬に反対します。日本政府の方針から逸脱していった吉田は1939年に外務省を退官させられ、外交の第一線から退くことになりました。その後も日米和平の活動を秘密裡に行ったため1945年4月に拘留されますが、5月のドイツ降伏をうけて釈放されます。

敗戦後の日本はGHQの占領下におかれましたが、選挙で主流派となった政党から総理大臣を輩出し、GHQと協調して政治をしました。選挙に勝利した政党が組閣に動こうとしましたが、党首であった鳩山一郎が公職追放になったため、吉田が総理大臣になることになりました。これは軍部に投獄された過去が良い影響を与えました。
総理大臣になったものの吉田は与党内に自分の子飼の政治家がいなかったことから官僚の中でこれはという人材を集めて立候補させ議員にするとともに主流派に属していない議員を取り込んでいきました。その議員たちに自分の政治理念・政治思想を叩き込んで鍛えたことから「吉田学校」と称されるにようになり、日本の戦後政治に大きな足跡を残した池田勇人、佐藤栄作、田中角栄を育てました。

首相在任中に日本国憲法、教育基本法、労働基準法、労働組合法、公職選挙法、生活保護法、破壊活動防止法、厚生年金保険法、自衛隊法などを成立させました。今の日本の法律のベースは吉田内閣において作られたのです。

またアメリカ占領中はGHQ総司令官のマッカーサーとも良好な関係を築いており、日本の早期独立を成し遂げることができたのも吉田の大きな功績です。

1951年のサンフランシスコ講和会議において日本は米国と西側欧州を中心とする国々と条約を結び、独立を果たしました。その一方で冷戦が激化する世界情勢下で駐留米軍の軍事力無しでは日本を守ることはできないため、講和条約の調印とともに、日米安全保障条約の調印も同時に行いました。
これは、政治的には大変難しい状況であり日本帰国後に糾弾されるおそれもありました。吉田は閣僚の多くを講和会議に連れていき、講和条約への調印には吉田を始めとした他の閣僚もサインをしましたが、日米安全保障条約については吉田一人がサインをしました。
次世代に調印に関する責任が追及されないようにするための吉田の配慮でした。吉田には「ワンマン」で「強引」で「無礼」な人間として敵対者も多かったですが、その裏返しとして取るべき責任を一身に背負う度量のあるトップであったと思います。

ユーモアもあり、長生きの秘訣を聞かれて「それは君、人を食っているのさ」と答え、居留守がばれて客人に抗議されると「本人がいないと言っているのだから、それ以上確かなことはないだろう」と言い訳をしました。政界引退後も大磯の私邸には多くの人が集い、賑わいをみせました。1967年に89歳で死去します。

多くの政治家を育て上げ、さらには孫の麻生太郎も総理大臣になりました。麻生太郎の貴族趣味的なところは祖父譲りなのかもしれませんね。

以上、本日の歴史小話でした!

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発行人:李東潤(りとんゆん)
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https://note.mu/1minute_history/m/m814f305c3ae2
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