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#07 祈りよ届け!聖武天皇の大仏建立

このエピソードで学ぶこと

舞台は奈良の平城京へと移ります。
律令や身分制度、歴史書などのソフトの編纂に加え、
奈良の平城京というハードを整え、政治に必要なものは全て揃ったように思えます。
しかし、そこにはまだ足りないものがある。
奈良の大仏、その誕生の背景にあった当時の日本について、学んでいきましょう。

本編(0分56秒)

・710年に奈良の平城京を作った。中国の長安を真似してつくった。
・官公庁という容れものとしてのハードが重要だった。中央集権を進めるためにはソフトだけじゃダメ。
・712年・720年に古事記・日本書紀が出来上がってきた。大宝律令の改良として養老律令。
・天武天皇の曾孫にあたる聖武天皇の皇后には、藤原不比等の娘である光明皇后になる。
・光明皇后は皇族以外で初めての皇后になる。
・藤原氏が権力を握るかと思いきや、天然痘の大流行が発生し、反乱も起きて世情不安が起きる。
・それを解決しようとお寺を全国に作ったり、奈良の大仏を作ったり、中国から鑑真を呼んだり。
・しかし、それでも聖武天皇には後継者の問題というものが残ってしまうのです。

今回のおさらい(9分51秒)

Q1:聖武天皇のお妃で、皇族以外で初めて皇后になったのは?
→中臣鎌足の息子藤原不比等の娘である光明皇后
Q2:聖武天皇の時代に世情不安を起こしたことにはどんなことがあったの?
→天然痘の大流行、内乱の発生
Q3:聖武天皇が世の中の安定のために仏教関係で取り組んだことは?
→国分寺建立の詔(みことのり)と 大仏建立の詔(みことのり)
Q4:奈良時代に日本にやってきた中国の偉いお坊さんの名前は?
→鑑真和上、日本に来るために何度も渡海に失敗してもあきらめず、遂に来日を果たしたんだ。

次回予告(10分40秒)

日本は律令国家としての体裁を整えることに成功しました。
中国の首都長安をまねて作られた奈良の平城京。
政治に必要なソフトとハードは揃ったのに、
天然痘の大流行や内乱の発生など世情は落ち着く様子がありません。
全国各地にお寺を作り、大仏も建立し、中国から高僧も招聘し、
心の平穏を求めていった聖武天皇。
彼にはまだ残された課題がありました。それは後継者問題。
次回、聖武天皇の跡を継いだ娘のチャレンジ、天皇位を巡る争いを取り上げます。

次のエピソード⇒#08_ドロドロ、ややこし、孝謙・称徳天皇の後継者問題

前のエピソード⇒#06_壬申の乱、不満分子を一掃した天武天皇のチャレンジ


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