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#29 明治政府への抵抗は、一揆する?反乱する?それとも言論かしら?

このエピソードで学ぶこと

明治政府への不満は農民にも元武士たちにも溜まっていきます。
その結果、農民一揆や反乱といった形で全国各地が混乱の渦に。
明治政府はこれらの反乱を鎮圧し、やがて抵抗手段は言論へと舞台を移します。
国の在り方を考えるべく、自由民権運動が盛んになり、明治政府自身でも内閣・憲法を定める。
さあ国会が開かれます!日本の近代化が具体的な歩みを始めました。

本編(1分09秒)

・明治政府による様々な改革によって不満が溜まっていってしまう。
・農民たちは地租改正に対する不満、旧武士たちは精神面・経済面での苦境が不満の根源。
・農民一揆が頻発した結果、地租が3.0%から2.5%に軽減されることになり少し不満が緩和された。
・旧武士たちは武力による反乱を各地で起こし、最大のものが西郷隆盛が中心となった西南戦争。
・この西南戦争が明治政府の勝利で終わったことから旧武士たちの反乱は下火に。
・一方、板垣退助は自由民権運動という言論活動で明治政府へ不満をぶつけていく。
・議会開設と憲法制定に向けての圧力が強まる中、明治政府自身がこれらを主導的に整えていった。
・1885年に内閣制度、1889年に大日本帝国憲法、1890年に議会開設へと繋がった。

今回のおさらい(10分05秒)

Q1:明治政府への不満はどんな形で表れたの?
→地租改正への反発で農民一揆が多発。既得権益を奪われた元武士たちも各地で反乱を起こした。
Q2:元武士たちの反乱はどうやって収まったの?
→最大の反乱である西郷隆盛が主導した西南戦争が失敗に終わって鎮まった。
Q3:明治政府への抵抗はなくなったの?
→武力を使った抵抗は下火になったが、言論をベースにした自由民権運動は、より盛り上がっていった。
Q4:自由民権運動を受けて日本の政治体制はどう変わっていったの?
→明治政府自身が主導して、内閣制度・憲法制定を進めて1890年には議会が開設された。

次回予告(11分03秒)

地租改正後3%だった税率は2.5%となり、西南戦争で西郷隆盛も敗れると、
明治政府への抵抗運動も下火となりました。暴力的な手法で明治政府を動かすのではなく、
自由民権運動という言論をベースにした方法で自分たちの権利を拡大していこうとの動きが加速します。
明治政府自身も国の安定、興隆のために内閣制度、憲法制定を実施していき、
近代的な政治制度を整えていきます。1890年には満を持して国会が開設されました。
政治制度が固まっていく過程においては、国家の底力も上がっていきました。
近代国家としての内政面での諸制度が整った日本。
次回、日本と諸外国との関係を学んでいきましょう。

次のエピソード⇒#30_日清・日露・第一次世界大戦。戦争ごとにステップアップする日本

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