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「人間の本質とは何か」「人間とは何か」の違い

存在論
「この世には、何かの本質があるはずだ」
(何かが存在する)

認識論
「固定された本質などはなく、人がそれをどう捉えるかだ」
(人がどう認識するか)

私は20代まで吹奏楽や教育を無限にやりました。
午前3時まで学校にいました。
年間の休みは8月13日と、12月29日~1月3日のみです。
年間7日間以外は、毎日学校や研修でした。

その末に思ったことは
「人間の本質は何か?」
です。
生徒たちを上手に指導できず、
どんな指導がよいのか悩みました。
世界中の教育を知ろう、
教師としての力を高めようと思って、JICA海外協力隊に行きました。

今は、
「人間の本質は何か?」
とは一切思いません。

「この考え方に立てば、こういう解釈もできるな」
という感じです。

つまり、教師として駆け出しの頃の私は、
存在論的な考え方でした。
「かならず正解の指導がある」
と。

今は認識論的な感じです。経験を通して、自然とそうなりました。
(存在論・認識論という考え方は、30代の終わりにようやく知りました…)

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