オタク文化のリアリズムの未来についての雑感

 先日、『冴えない彼女の育てかた Fine』を見る機会があり、そこで目にしたのは、まんが・アニメ的リアリズムの終焉、いわゆるリアルへの接近だった。ギャルゲーのパロディ的なラブコメとして始まった冴えカノであるが、『Fine』においてはキャラクターが現実の人間に接近している。例えば、ヒロインが食べかけのサンドイッチを一瞬捨てようとし、すぐに思い直して口に含むシーン。また、主人公とヒロインがためらいながらも指を絡ませて恋人繋ぎにするシーン。些細な動作が繊細に描き込まれており、現実にあり得そうな人間の動きである。したがって、これらは自然主義的リアリズムと言うことができる。ギャグシーンでのキャラクターの表情の変化はまんが・アニメ的な雰囲気なのだが、真面目なシーンでは以上に「リアル」な描写が印象を残し、自然主義的リアリズムが作品の中心になっているように見える。

 また、ヒロインをゲームよろしく「選択する」というテイストが見え隠れしたアニメ一期から大きく飛躍している。二期において、主人公とともにゲーム制作を行っていたヒロイン二人が、才能を買われて別のプロジェクトへ引き抜かれる。その二人は幼馴染キャラ、先輩キャラであり、いささか記号的(本人たちも自らのキャラ性に言及する)であった。引き抜かれる以前は、主人公が無自覚に形成するハーレムの一員で、メインヒロインに選択される可能性があるキャラクターという雰囲気だったのだ。しかし、引き抜きが起こったことにより、微温的なハーレムは崩壊し、現実が顔を出す。『Fine』はその状況を引き継いでおり、物語の流れが既に「リアル」なのである。そして、「選択する/しない」の万能な世界は存在しないことが明らかになる。主人公と幼馴染ヒロインとは過去に想いが通じ合っていたが結ばれなかった。それは幼馴染ヒロインに対する嫉妬などの感情、それを処理しきれない幼さの問題が関わっている。タイミングが悪かったのであった。結ばれる/結ばれないは偶然に左右される。「選択する」というゲームプレイヤー的な全能感は斥けられている。特に個性がないヒロインであっても、タイミング、様々な状況など、不確定要素によって知らないうちに「そのような関係」になる。だが、現実というのはそのようなものではなかろうか。誰と結ばれるのかなんて分からない(これはシンエヴァの最後とも通じるものがあるだろう。シンジが結ばれるヒロインは意外な人物であった。人生は偶然に満ちている。『Fine』は2019年公開だが、シンエヴァをたまたま先取りしているように見える)。

 このように、『冴えない彼女の育てかた Fine』からはオタク文化の変容を見ることができる。実は、自然主義的リアリズムが主流になっているのではないか、と。オタク文化におけるまんが・アニメ的リアリズムは過渡期の現象であり、技術の進歩によって自然主義的リアリズムに接近するのではないか。かつて、ゼロ年代批評の論者が、まんが・アニメ的リアリズムだからこそ描けるものがある(例えば東浩紀に関しては、『ゲーム的リアリズムの誕生』や『セカイからもっと遠くへ』でそのような立場をとっている)としきりに語っていたが、製作者側はどんどん自然主義的リアリズムを取り入れており、それが成功している。京都アニメーションの「リアル」な描写が人気を博していることがそれを象徴している(もちろん、『鬼滅の刃』は主人公の内面の葛藤などがなくて「リアル」でないと言えるかもしれない。しかし、それは「友情、努力、勝利」が主題の「週刊少年ジャンプ」の文法だからであろう。そして、登場人物たちが鬼によって死を迎えるという点、その殺伐とした世界観が「リアル」であるとも言える)。

 そしてこう思うのだ。もはや人間関係を緻密に描くという技術は、映像(アニメ)で十分にできるということを。小説は下位互換になる。特に純文学。近年芥川賞をとりがちな、リアルな感情、繊細な心の動きを描写する作品(綿矢りさ『蹴りたい背中』、村田沙耶香『コンビニ人間』などを想定)は、わざわざ純文学という形をとらなくとも、『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている』、『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』などで達成されているのではないだろうか、と。戦後、日本が豊かになり、文学で政治を描くことが難しくなっていくとともに、第三の新人や内向の世代のような、人と人との関係性や日常生活を細かく細かく書いていく動きが生まれて受け継がれ、芥川賞もそのような傾向の作品が受賞するようになった。安岡章太郎、古井由吉、...。『蹴りたい背中』、『コンビニ人間』、そして『推し、燃ゆ』もその系譜ではないだろうか(もちろん同じ作者の別の作品ではそのような傾向が無いこともある。それはまた考えていきたい)。

 もはや、見るもの次第では、小説を読まずにアニメで人格形成しても全く問題はない時代に入った。

 これは個人的な問題ではあるが、小説に、純文学に拘ってしまう身としては、死刑宣告に等しい。自分の今まで追いかけてきたことは、全て過去になってしまうのだった。それは今後の課題とならざるを得ない。

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