高校生の時、作文を盗作された思い出話をしてみる。私は、この被害を訴えなかったことを40年間後悔している。
学生の頃の私は自己卑下感が非常に強く、いつ死んでも良い人間だと思っていました。そういう態度が災いして周囲の人からは終始、格下に見られていました。今でも格下だと思われている方が気楽なところもあります。小学生の頃から孤独感に慣れて「ぼっち系メンタル」 だけは鍛えられていたので、別にどうでもいいやと思っていました。対人関係に投げやりで、修復の時間が惜しいのでフェイドアウトしてしまう。その分読書や落書きに時間が費やせています。良いのか悪いのかここで判断はしません。何をやられても平気でしたが、絶対に許せなかった思い出話をこれから書いてみます。
ぼっちの私でも「おはよう」 ぐらいはいう相手がいました。斜め前の席にいた古川恵美子です。いつも髪を真ん中分けにして両肩あたりで二つにくくっていました。寒がり屋さんなので冬場はストッキングを二重にして履いていました。古川は私をバカにすることはなかったので、私も普通に接していました。
しかしある授業で事件がおきました。先生が課題の作文に優秀作が出たので、これから読みますと言いました。そして実際に読み上げました。
……それは私が書いた作文でした。夏休み中にプールにいってそこに潜った時の水面の様子を書いたものです。じっと聞き入る同級生たち。私はどきどきしていました。優秀作……書いた甲斐があったとうれしかったです。
ところが先生は作文を読み終えた後、「この文章を書いたのは古川さんです。本当によく書けていました」 と褒めました。皆は拍手しました。呆然とする私。そこへチャイムが鳴りました。授業終了です。
当時の私は先生には「あれを書いたのは私です。古川は私の作品を盗作した」 と訴える考えは微塵もありませんでした。今でも言うべきだったかと思いますが、どうせ私のいうことは信用しないだろという考えがこびりついていたのです。
斜め前の席にいる古川は、私から顔をそむけています。意図的な態度でした。古川は私の作文を見てそのままそっくりに書き写したのです。でも古川は、いつ、どこで? 私の作文を見たのか。写したのか。
また先生は提出された作文のうち、そっくり瓜二つであった作文を見たはずです。私と古川の席の位置関係で教壇から見て前の方の古川の作文を優先したのでしょう。つまり、盗作したのは私だと判断された……斜め後ろの席からは古川が書いた作文が読めるだろうと判断したのでしょう。先生は私に一言でも聞いてくれたら私だって話せたのに。古川からも話を聞いたらよかったのに。私は先生からもバカにされている……さすがにぼっちに慣れていた私でも屈辱の涙が出ました。数十年たっても、あの時の悔しさが思い出せる。あの先生は盗作した古川を優先し評価し皆に拍手を求めたのです。
後日返されてきた作文には何のコメントもついていませんでした。先生の態度はおかしかった。あの一作だけを読み上げたのはなぜか。先生はなぜ、そっくりの作文を前にして古川や私のどちらかに事情を聞かなかったのか。あの先生はクズだと今でも思う。私はそのまま卒業しました。あの時に主張もし、騒ぐべきであったと今でも思います。当時の己に自己嫌悪を感じ、かつ古川や先生への憎悪も四十年たっても激しくなるばかり。思い切れぬ私が悪いのだろうか……盗作はこんなにも人の心を傷つけることができるのをわかって欲しいです。
こちらのサイト、NOTEは何らかを生み出す創造力のある人ばかりです。だからこそ書いてみました。
盗作してまで評価を得たい人にとっては、古川のしたことは大成功の完全犯罪です。盗作者さん、どうですか、羨ましいですか……。
今度そういうことがあれば、本当に毅然とした態度で臨みたい。私はもう昔の自分には戻りたくない。
ありがとうございます。