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映画   「ジョーカー」  感想

文面ラストに動画あり。。


ホアキン・フェニックス主演・トッド・フィリップス監督
公式サイトによると、キャッチコピーは以下の通り。

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「本当の悪は笑顔の中にある」 。
 ついでだから、自前の大まかなストーリーも書いておく。。。

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 アメリカ漫画の正義の主人公にバットマンというのがいる。彼の宿敵、つまり悪役がジョーカー。彼が人間であったころの話らしい。人間時代? の名前はアーサー。職業はピエロ。閉店セールの看板を持って人通りの多い中で踊ったり、入院中の子どもたちを楽しませるのが仕事。急に笑い出したりの精神疾患に苦しみながらもピエロの仕事を愛している。まじめで心の優しい、内気で気弱な青年……いやもう中年になりかけでした。恋人もなく同居の家族は要介護の母親だけ。そんなアーサーが悪の象徴になっていく過程を追っていく。舞台は架空の都市、ゴッサムシティ。ゴミ収集のストの為、町にごみがあふれ、電車は落書きだらけ。町の子供たちの心は荒れ、アーサーの仕事の邪魔をし、面白半分に暴行する……。アーサーの身の上は悪いことばかり、つらいことばかり。でもどうしようもない……成り行きで三人も一気に殺してしまったがやっぱりコメディアンになりたいな……最終的には本人の想像を超えて富裕層を追い詰める象徴となる。ピエロの仕事を解雇されたときはこの職業を愛していると嘆いていたが、ピエロそのものになりきり、崇められる存在になってしまう……という予想外の映画。 

 しかも、最初から最後まで、もしかしたら精神病患者のアーサーの想像内でどこまでが真実かわからぬ曖昧な面もある……。私は本作を結局はアーサーの空想と観たなあ……。空想が進むにつれて、つまり殺人をするごとに承認欲求が満たされ急に笑い出したりはしなくなるなどのサイドストーリーが秀逸で一度も中だるみなく飽きなかった。


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 本作を取り上げた理由は先にも書いたが多面性があって、どういう観方をしても正解がないから。

 鑑賞者がなんとでもいえる作品は間違いなく名作です。しかしR十五指定つき。つまり十五才未満は鑑賞できません。理由は本作に青少年にとってかなり残虐なシーンがあるから。この「R」……レイティングというのは、「基準」 の英語読みです。映画に関しては何種類かある。我が国では映画倫理機構という組織がそのレイティングを決定します。これを国がやると検閲になるので民主主義と言えなくなる。

 多感な青少年は見てはダメです。十五才以上になったら「ジョーカー」 をご覧くださいというわけです。現実にはスマホゲームやネットサイトで残虐なものでも野放し状態で、あってないようなものですけどね。そういうわけで上映中は、小さなお子様は皆無で、大人ばかりの静かな環境で鑑賞できました。以下はバットマンシリーズを知らぬ私が書いた感想になります……こういうことを考える人がいるなあと読んでいただけましたら幸いです。


 何せ大まかなストーリーが、架空の人物の架空のゼロ地点です。一言でいうと悪のカリスマの「ジョーカー」 はいかにしてできあがったかという作品。シリーズをまったく知らない人間から見ても、本作は映画として楽しめました。というのは、構成上の無駄なシーンが全くない。それでいて多種多様な見方ができる。

 ジョーカーの踊りもインパクトがあった。情景と音楽がはまっている。私は彼の踊りを愛している。あのダンスシーンがなければNOTEに書いてない。

 本作にダンスの振付師は存在しなかったらしい。主演のホアキンが監督から好きにやれといわれて本当に好きに踊ったらしい。それがぴったりとはまっている。最初の踊りは、一度に三人を殺人し、逃げきったところ。アーサーはまだジョーカーではなく、ただのアーサー。殺人後の興奮を抑えられず、高揚した気分で手足を動かす。落書きだらけのトイレの中でゆらゆらと一人で踊る……以後、アーサーは人の死に関わるるごとに踊っていく。

 階段を下りながら。

 群衆に暴行を受けている刑事を眺めがら。

 ピエロの紛争をしたデモ隊に囲まれながら。

 ここまででもすでに大量にネタバレもしているので、これから本作を観る人はこれ以上は読まないでください。了承された人だけ、下にスクロールしてください。






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もうちょっと下に……

すみませんね……




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 私はアーサー……後のジョーカーを、幼児期の記憶を持たぬ被虐待児童として成長した人間。それでいて承認欲求を抱えた精神疾患のある人だと見ました。そういう人間が追い詰められた結果、ああならざるをえなかったと……同時に最初から最後までが、患者、アーサーの妄想であったと。

 作中にどうとでも受け取れる細かい仕掛けが非常に多い。これがジョーカーだと言い切ってもいない。どういう観方でも正解はないし、間違いでもないようにそのあたりは上手に計算がされていると思った。

 あと一番先に思った感想が私の職業病ですけど、

① 院内で煙草吸うな。

② 院内で殺人するな。

 ですね。言うだけヤボですが、映画ですし仕方ないですね。


 重要なシーンに限って目撃者がいないところはやはり勝手がすぎる。防犯カメラなどがなかった時代という設定なのでこれまた仕方がないけれど、母親を殺してしまっても病死になる時点でこれも妄想だろうと思う。

③ 刑事の登場が非常に都合よすぎ。

 そのため、

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④ 妄想開始は実は最初から。だと感じました。

 テレビ内の著名司会者から観客の中から選ばれて拍手されるアーサー。本当は母親と並んでテレビを見ているのに過ぎないのに、幸せそうな笑顔を見せるアーサー。最初のシーンにそれがある。場面変わって白い部屋のドアに白い服を着たアーサーが壁に頭を打ち付けるシーンが数秒うつされ、「覚えてないの」 とアドバイザーに質問を受ける。アーサーは首を振る。

 徹底的に社会的弱者であった母親に対して忠実で心優しきアーサーがジョーカーとなっていく過程を丁寧に追いながら実は最初から最後まで妄想だと示唆もしている。これって物語を造る側としても、とても都合がいい。すべては観客の意のままにというわけですよ。あいまいなストーリー運びに映像と優秀な俳優を入れ込んで造り込む。で、見事金獅子賞ですよ。

⑤ 最初から空想 …… ⇒ 妄想ではなかった場合、福祉業者が補助金を得られなくなり、アドバイザーとの面会が打ち切られるシーンから妄想開始だと思う。理由は、 ⇒ 精神安定剤などの処方薬が手元になくなるので心配していたからです。それでなくとも、もっと薬が欲しいとねだるシーンもあったので、そこはかなり重要です。最後の砦である薬をくれる福祉機関に見捨てられ、心理的に追い詰められたと推察できる。

⑥ ……そうでなければ、妄想に拍車がかかった冷蔵庫に入ったところから。ここも重要です。冷蔵庫に入るのは大事です。その解釈でそれぞれの感想も変わる。テレビ番組の出演要請の電話がかかってくるときは、アーサーはすでに冷蔵庫から出ている。ベッドの上だ。起き上がる。つまり、つじつまがあってない。ベッドから起き上がって歩いて受話器を取る。矛盾を平気で上映できるあたり、監督の図太い計算と脚本の秀逸さをすごく感じる。この辺も目くじら立てるだけヤボだと思う。

 私自身はアーサーは冷蔵庫のあたりで刑事に見つかって精神病院に収容されたと思った。でないとそれ以前にマークされていた意味がなくなる。尊属殺人後にお悔やみに来た元同僚を殺す時間的なつじつまあわせに無理が出る。

⑥ 幼児の記憶が抜けているのはアーサーが被虐待児童だったから。その名残が彼の左右非対称の背中、片方の肩を微妙に下げる歩き方、人中の傷、急に笑い出すこと、強い爪を噛むせいでぼろぼろになった指先、ビジュアルにちゃんと表れている。優しい性格だが人への思いやりなどがアンバランスで不器用で伝わらない。同時に人から受ける気配りを感じない。それも被虐待児童の成育故かも。

 三十年前の母親のカルテを強奪して閲覧したアーサー。もちろんショックを受ける。アーサーは若い母親の記憶の中に潜りこむ。アーサーは子供に返っていない。体を震わせて母親が事件を起こし尋問されている様子を眺める。

 アーサーの出生の秘密も何もかもが母親の妄想であったと。アーサーは虐待されつづけ、助けられた時はヒーターに括り付けられていた……その記憶すら皆無、それは生きていくための自己防衛のためだったかも……とてもかわいそうだ。

 アーサーは追い詰められてもなお、母親に優しい。殺し方だって病室にあった枕を押し付けるだけのあっさり風味。元同僚に対する殺人とはまったく違う。一緒にいた小人症の同僚は殺さない理由に「きみだけはぼくに優しかったから」 という。ドアを開けられぬ同僚の為に開けて逃がしてやる。殺した元同僚だって母親を亡くしたアーサーを心配して友情からお悔やみを言いに来たのに……アーサーならばそのままありがとうというだけだろう。でもアーサーはもういない。ジョーカーになりかけているので、実はお前を嫌いだったからと感情爆発させ殺す。

 で、話がそれるが、同僚らはアーサーの母親の死をいつ知った。アーサーをマークしていたはずの刑事は? 

 本来ならば、時間の経過に矛盾がありすぎて単なる駄作に終わるところが、踊りと脚本と監督がよすぎてヒットしたのだと思う。

 基本アーサーは優しい人格を持ち、ピエロの扮して人々を楽しませたいという欲望がある。しかし人生は思うようにいかない。母親に対しては献身的に介護をしていたが、出生の秘密もわかった時点で期待を込めて動く。「お父さん」 だとされる男性に笑顔で「パパ、ハグしてほしいだけだよ」 という。でも、殴られただけ。

 相思相愛だと思っていた女性もアーサー自身の妄想。それを自覚した直後、元凶の妄想癖の母親をあっさり殺す。いや、諸悪の根元はこの人だったから。虐待していたしアーサーの身体的特徴も彼女とそのパートナーの虐待によるものだと知ったら、そりゃもう殺すしかないよねえと同情する。アーサー自身にもリアルな妄想癖があるのもまた哀れなり。

 母親を殺したアーサーは真実を改めて直視する。同時に反社会的な部分が逆に前に出てくるところが映画だなあとしみじみ思う。アーサーとしての気弱な部分が消えていく。ということは人間味も消えていく。怖いものと失うものがなくなったからだ。

 すでに三人の男性を電車内で殺しているがそれも下地になっている。いや、それ以前に元同僚から銃を渡された時点で冷静すぎた。おまけにそれを小児科病棟まで持ち込み、ピエロの演技の途中で銃を落としてしまうからやはり注意欠陥だなと感じる。だからこそ最初の殺人でうろたえるどころか、解放感を感じてゆったりと踊る。これがジョーカーとしての最初の踊りですね。最初は腕がクローズアップされたので、酔拳を連想したが、すぐに完全なオリジナルだと悟った。この時の伏目がちの笑みが絶妙。そこだけ時間がゆっくり流れているような不思議なシーンでしたね。

 ついでピエロのデモが起きてアーサーは自信を持つ。殺人をしてこそ本来の承認欲求が満たされたから。デモの象徴となったことに喜びを感じる。もうアーサーは急に笑い出したりはしない。彼の承認欲求は匿名の誰でもない正真正銘のピエロとなり得たときに完全に満たされた。そのあたりの心理が脚本も俳優も背景もすべてが秀逸で飽きさせなかった。

 長じてアーサーはジョーカーとなる。人気司会者と対等以上にわたりあい、三人の若者を殺したと告白し続いてその司会者も躊躇なく殺す。その前になぜ年配の女性にキスをしたのだろう。受け狙いでもなさそう。司会者が渋い顔をしているのをしり目にゆったりと座る。場面を支配するぞという表れかな。その時のメークもやや左右非対称だったがこれも意図的にやっているのだろう。

 結果的にテレビ放映中の殺人を観たゴッサムの若者たちもピエロの仮面をつけ暴動を起こす。逮捕され護送途中のアーサーは途中で事故に会う。デモ隊による意図的な事故かどうかまでは知らない。アーサーは失神するがピエロに扮したデモ参加者に助けられる。救護者のピエロはアーサーがどういう人間かをもちろん知らぬ。双方面識がないものの、アーサーの「ジョーカーとしての行動」 の殺人に心酔し、その元凶となった議員夫妻を追いかけて殺す。残された子供、ブルームがバットマンになるらしいが、ラストでそれすらも、妄想かどうかあいまいな感じに仕上げられている。

 ここまで読んで不快にならなかった人だけ再度スクロールして続きをお読みください。なぜこんな書き方をするかというと、感想がずれていると認定されると本気で怒る人がいるからです。クレーマー除けです。

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 ありがとうございます。では続きます。




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 アーサー扮するジョーカーは精神病患者だと診たがそれでもなお、惹きつけられるのは、私自身が今現在失意の状態にあるからだ。アーサーのような境遇ではないが、精神的に追い詰められているところは一緒。介護と子育てから端を欲して私の人生ってなんだろう? というのを毎日考えている。そのなか、ジョーカーを見かけてふらりと映画館に入った。満席のため、次の放映を予約しようとしたらそれも残一席で一番前の端っこしか空いてない。私はそれを予約して代金を支払う。最前列の席は首が痛くなるのね……しかし本作を観て気分がすっきりした。

 殺人者に好感をもつことはまずない。だが、映画だとそれが可能になる。創作という安全地帯ができるから。社会に切り離されたアーサーの人間としての生き方を振り切った殺人者ジョーカーがカッコいいという感想をあげても攻撃されぬ。

 私自身の現在が精神的にいろいろありすぎて、事情を知っている人からため息交じりに「苦労性ねえ」 と言うぐらいです。フラストレーションがたまっている状態の中で見ると、ジョーカーぐらいになって憎い人々を銃で撃ち、英雄と称されるのも悪くないとまで思います。つまり私自身も、ジョーカーのように思い切ったことをしてしまうかもなあ、そして踊るかもなあと嘆息しました。

 色彩は妙なインパクトがある。ラスト近く、ジョーカーが目覚めたのは青色が禿げたパトカーの上。それに赤いシャツにピエロメーク。目覚めたアーサーはジョーカーとして、己の血でもってメークをやり直す。口周りをもっと赤く彩り、耳元まで色鮮やかに染める。そしてデモ隊の前で優雅に踊る……私はそういった承認欲求は持たぬ。でも、いいと思った。本作は

① 単なる精神疾患患者が銃を入手してトチ狂っただけ

② 最初から最後までの妄想を映画にしただけ

③ ジョーカーは元人間でこういう生い立ちだったというだけ

 かもしれない。どれでもいい。なんでもいい。何かにふっきれて何かをする人間を鑑賞するのは、私自身の精神の健康に良いと感じたことを告白します……ありがとう、ジョーカー。でもこれ以上は殺さないでと思う。もっと暗闇に落ちるだけだから。落ち切っても何もない。でも彼は明るい場所でも生きられない。どこへ行っても生きづらさはある。ジョーカーの本当の居場所は白いあの部屋にしかないのかもね。そして毎日飛び跳ねるようにして脱走を試みるのよ。


                                  下記は有名な階段シーン、30秒のみ



最初の殺人を犯した後のダンス。



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