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歩き地蔵のお江戸面白地蔵物語VOL.43 歩き地蔵になったわけ

おはようございます。

昨日は、忘却のサチコをアマゾンプライムで全話見て、爆笑して寝ました。

面白かったので、ぐっすり眠って、超ショートスリーパーで起きちゃって、今、書いています。昨日、昼過ぎから天気が晴れてきたので、昨日の吉方角は巣鴨方面でしたので、巣鴨まで歩いて行きました。近頃、歩くスピードも速くなってきたのか、巣鴨まで約20分強で到着することも知りました。

自分の足と言う部位がぐんぐん成長している。少し早めの速度で歩くことで、肺もちょっと早めに動く。心臓も快適に動く。歩くことで足の筋肉も血流促進のポンプの役割を果すので、毛細血管の隅々まで血液が流れ、汗もじんわりと体の奥底から外へと押し出される。すると、自分の体の中の毒素が出されていることを再び、私は認識する。ここでの毒とは、体内に残されている抗がん剤における副作用を及ぼしている成分だったり、心の「心配」と言う毒だったりだ。

とにかく歩くことは気持ちがいい。

さて、私が歩き地蔵になった様々なきっかけをここから上げてみますね。

歩き地蔵をはじめたきっかけ

1・抗がん剤の治療が始まっての入院期間、暇だったので絵を描いていました。「一日ヒトサクヒン」と言ってFACEBOOKに絵を上げてました。

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はじめて描いた絵。下手くそですねー!笑

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ど素顔。笑。シミがあって恥ずかしいけど、一回目の抗がん剤で髪の毛が抜けて「これは地蔵みたいではないか?」とポーズとって遊んでいる図。

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自分が地蔵だったらこんな感じかしら?とか絵に描いていましたね。

のんき~~~。

2 子どもたちとの連絡が途絶えて、赤羽で一人暮らしをし、自分を見つめ、環境を見つめ、周りを観察する癖ができました。これは一人暮らしだからできたことかも知れません。もし、息子と一緒、娘と一緒に暮らしていたら、いつまでも母親の目が抜けないで、一番先に子どもたちの言動を「心配」と言う名の自分勝手な正義感で見ていたに違いない。

その頃の作品

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息子から同居拒否宣言をいただき、正直、ショックだったんですが、案外、この時期の私ってこの絵を見る限り「頑張って切り替えよう」としていたんだな。と思います。引っ越しは確か9月17日に完了したはず、、、、。この作品は9月2日。

寂しさや苦しさを抱えながらも「まず、進むしかない」って思っていたんだな~と思います。

絵って不思議です。描いていたのは確かに過去の自分なのだけど、今、その絵を観察する自分は時を経ての自分。過去の自分を絵を通して自分が客観視している。自分の心の成長を自分が再認識できるツールにもなる。

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息子と一緒に暮らしていたのは豊島区南長崎。そして北区赤羽に越してきたら、同じ東京都でも全く環境が違うことを体感しました。

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豊島区のコンビニの店員さんはインド系の外国人。一方、赤羽のコンビニの店員さんは80歳は越えているだろうおばあちゃんやおじいちゃんが立っている。

都営住宅は空き部屋がたくさん。昭和の匂いが残る部屋。けれど、みんな朝道路のゴミを丁寧に片づけている。

昭和時代、憧れてこの都営住宅に住んだお父さんとお母さんが、今、高齢者になっても、赤羽を大事にしている。

自転車がすれ違う時、運転しているおじいちゃん「ごめんなさいね」と言ってくれる。

何かあったかい。

息子の所からは一本のトンカチだけ、勝手にもらってきました。このトンカチはパパの妹が息子にお父さんの形見のトンカチだとくださった貴重な品物なんですが、ちょっとの期間、私のお守りにしたくって、勝手に拝借してきました。

「ママ、トンチンカンにならないでね」

のトンカチだと思って・・・・・

それで歩き、歩き、描いて、描いて、描いてをやってたある日、

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お岩さんのお墓を参拝後、そのお寺に並んで立っていらした六地蔵の絵を描いてフェイスブックにアップしたら、いつも、応援のコメントくださる仙台在住のYさんから「しぶ、これ、いいよ!」ってコメントいただきました!

この絵を私の絵のファンの方にプレゼントしたく100均で額を買って入れてみたら、結構額に入るだけで絵の品格って上がる?みたいな・・・・

ですが、なかなかコロナの影響でその方とお会いするチャンスがなく、まだ、私の手元にあります。

つまり、「一日ヒトサクヒン」と言う、一日一回は絵を描こうと言うことがきっかけですね。はじめは本当に見ての通り、下手くそな絵ばかり。あと、テーマが閃かないと適当に描いてました。日々の絵、ちゃんと残してあるのですが、これらは自分の成長記録だと思っています。それと、リハビリの意味を含めての歩き。それと、禿げ頭。この三つの要素がうまく絡んで生まれたコンテンツが「歩き地蔵のお江戸面白地蔵物語」です。あ、プラス、歴史好きってこともあるか・・・・

歩き地蔵をしての日々の変化

1 モノを観察する観察眼が鍛えられる。

観察眼が鍛えられると、心も見れるようになると私は思います。例えば、やたら威張る人とか、、、最近はあまり見なくなっているけど、、あ、私がそういう人が苦手で避けているからかもしれないけど、威張る人には「承認してほしい」と言う「寂しさ」があるんだな?とか。

けど、ここで私が承認する役割をすると、勘違い、特に男性に、勘違いされる場合もあるので、気を付けないと面倒なことになるかも、、、、とかも思う近頃。以前はそんなこと全く気にせず、なんでもしていました。それで振り回される自分もいたと思います。

2 深く考えての行動をするようになる。

ここでの深く考えるとは、長く深く考えるとダメなのです。水泳でいうと、深く素潜りして空気薄くなる寸前に水面上に上がってくる勢いがないと鬱になってしまうから、バランスとって。深く考えて、考えて、ある程度でこの作戦みたいなことが生活の中でできるようになる。すると、小さな事も面白くなって、生活の実践していることは大して変わってないのだけど、中身の充実度が変わる。そして普段の生活、そのものが楽しくなる。

3 歩く場合方角は意識した方がいい。

なぜ?って、、、、実際息子から破断のメモをもらった前日、私、無意識にめちゃくちゃ悪い方角で一泊してきていました。部屋番号も404とかで。(笑)お部屋も綺麗ではなくって・・・。

ま、断絶があったから気付きもあったとも言えるのですが、孤独な気持ちは相当辛かったです。
できれば、突然のびっくりがない方がありがたいです。なので吉方角大事!!

方角とか迷信と思う方もいらっしゃると思いますが、昔、昔からで残っていることって価値があるから残っているんじゃないかな?と思うこの頃です。なので、いつもお地蔵さんに会いに行く時には、吉方角に向かって歩き、おトイレで必ず用を足して、軽くお茶飲んできます。身も心もすっきり~~~。

4 娘や息子に執着しなくなった。

以前の私は、知人からも「お母さんホルモン減らした方がいい」ってアドバイスいただいてたんですが、これ、本当に不思議なんですがあまり心配しなくなりました。心配しなくなるって楽チンだな~って思います。

5 よく再婚したら?と友人が言うのですが、全く恋も興味なくなった。

これ、本当なんです。で、つまり、寂しくないんですね。充実しているから。昨日も女子友と電話しててはじめは「アケちゃんも(彼女は私をそう呼んでくれる)いい彼氏できるといいね~」って言うので「あ、それはいいや~~~。ごめ~~~ん」と。なにかにかにかに、と話すと(ここで具体的には話さない)「あ、そうっか~~~だよね~~~」って。で、また、ノリノリでおしゃべり。楽しかった。

6 お地蔵さん好きな方と出会える。しかも高齢者さん。その方々のお話をお聞きすると人生の勉強になる。

そんなこんなで、今日もお地蔵さんに感謝して、読者の皆さんに感謝して、あと、自分の細胞に感謝して、日々を大切に過ごしたいと思います。

ありがとうございま~~~~~~す。


本日はこのあと、昨日の巣鴨散歩のレポートを上げます。

雨も降っているので自宅の日。創作の日。ありがとうの日。

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