【1$とカタチ】その6「羊を数える数字、王を称える数字」

立体造形作家の長野です。今回は「1」という数字のデザインについて、の予定でした。

嫌な予感がしつつ調べてみたが、案の定、「1」のデザインの元になった古代数字も、デザインは棒一本。

そもそも太古の人類にとって数とは、生活の必要から生まれたものだ(例:羊を数える)。
そうなると人類は指を使うに決まっているし、それを書こうとすれば「1」のデザインはほぼ「|」になる。

またしてもネタの当てが外れる。

ちなみに、現在私たちが使っているアラビア数字(1,2,3...)の元になったのは、インドよりもたらされたブラーフミー数字。
これは紀元前三世紀頃のアショカ王の碑文などに見られる。

ブラーハミー

ブラーフミー文字の一例


その後、ゼロの発明や代数の使用等、数学の発展を経た825年頃、アル=フワーリズミーとアル=キンディ、それぞれ二人の著作によってヨーロッパへ広まる。特にフワーミズリーの著した「アルゴリトミ・デ・ヌーメロ・インドルム」は以後数百年にわたってヨーロッパで教科書として使用された。

それ以降、アラビア数字は文化交流や植民地化によって世界中へ広まっていった。

(完)


だとマズいのですが、これ以上詳しく数字の生い立ちを掘り下げると、おそろしく長くなるのも事実。
数とは火、道具、に続く最古の発明物だ。
生活から生まれ、建築などの計算へ発展し、数そのものを研究する数論へと繋がる、長い歴史を持つ。

さらに地域ごとに様々な発展を遂げており、その資料数も膨大。


今回は、ワタクシが図書館でかっぱらってきた、各地の古代数字を一部ご紹介するにとどめたい。

*数字の表記は時代ごとに変わっていく。ここではその一部をご紹介します。

バビロニア(紀元前3100年)

バビロニア


ワイングラスのようでなかなか可愛い。十進法を採用しており、桁が上がると「く」みたいな図が隣に追加される。いかにも「何かを数えるため」なデザイン。


エジプト(紀元前3000年)

エジプト

神官文字の一つ。ぐねり感がいかにもエジプト。もとは「うさぎ」等の図案を省略してデザインされた。


中国(紀元前1400年)

中国

現代まで続く長い歴史を誇る中国。「一、二、三」のブレなさも流石。


ヘブライ(紀元前800年)

ヘブライ

古代言語の初代チャンプ。アルファベットの萌芽が見える。


アルメニア(紀元5世紀)

アルメニア

ギリシャ文字とヘブライ文字をお手本に作られた数字。それぞれがアルファベットに対応している。解説書には「君も聖書を数字にしてみよう!」などと書いてあり、資料の選択の重要性を痛感する。


マヤ(紀元6世紀)

マヤ

古代文明のキング、マヤ。さすがの貫禄を見せつける。西洋の数論を鼻で笑うようなこの装飾性オンリーのデザインには、当時の超王権社会が垣間見える。


いかがでしょうか?
歴史に「if」は存在しないと言いますが、もしバビロニアやマヤが歴史の勝者になっていたら、僕たちの数学のノートはくさびや顔面で埋め尽くされていたのです。

早めに数字を広めてくれたインド、アラブの数学者たちに感謝しつつ、今回はここまで。

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