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オレンジジュースは要りますか?

私を語る上で、めちゃくちゃ重要な登場人物を私はこのnoteに出していなかった。私は現在進行形の人間関係を書くのは結構戸惑うのだ。

私の電話帳から気軽に連絡が取れる人間の中では、一番付き合いが長い。誤差レベルの人も中にはいるけど、それでも一番付き合いが長いことには変わりない。

今でこそ私の友達にこんな考え方で生きている人がいるんだけどね、かっこいいでしょ!!と出会う人出会う人に謎の宣伝をしているのだが、出会った時の硬直感は今でもよく覚えている。

春のうららかな日差しの差し込む中で、私は頭に疑問符を浮かべながら自分のはいているスカートのチェックを何度も何度も見返した。不安と絶望の時間だった。向こうもそれは感じていたようで、「お前の表情は見たことのないものを見る顔だった」といつだか酔っ払ったついでに言っていた。所謂出会い方が最悪なパターン第一位だと思う。

なんだかんだ、色々なことがあって、大人になった私たちは再会した。

なんだかんだの部分が大事なのに、語れない。それは色んな理由があるんだけれど、結局のところ友人に配慮したところというかそんな感じだ。過去の人だったら多分書けた。間がない方が実は話としてはまとまりがいいというのは私の話を聞いている別な友人たちの総意だったりもする。

私の中でこの人が生きている様を見届けたい(ごめん、勝手に私より先に死ぬ設定になっている)と感じる人だ。

私は私であり、私の物語の語り手であるので、主人公の顔をした、戦隊物のレッドみたいに真ん中を歩いていく感じの人を見ているのが好きだ。

本人には否定されそうだから言ったことないけど、すごくストーリーの主軸にするには王道っぽい感じの陽の雰囲気がする。生きてきた道が陽だとは決して思わないけれど、絶対この人は生きていくという強さがある。人懐っこさが私にはない天性のもので、それはそれは眩しい。愛嬌が服を着ていると言っても過言ではないぐらい、集団においての愛されキャラなんじゃないだろうか。笑い声がとても可愛い。

再会した時に多分それより驚くべきところは一杯あった。外見とか煙草とか住んでいる部屋とか知らないことが山ほどあった。マウンテンバイクに跨るさまが妙に似合っているとか冷蔵庫の大きさが妙にでかいとかそんなことでもよかった。

でも私の中で、この人はオレンジジュースを飲むのだということを認識させれたことが一番大きな再会のインパクトだった。

グラスに注がれた濃縮還元のオレンジジュースの色は私の中でとてつもなく心に残っている。すさんでいた当時の私に染み渡る色だった。何を飲んでもいいじゃない。大人ぶってコーヒーとかお茶とかジンジャーエールを一番に出さなくたっていいじゃない。

紙パックのオレンジジュースは私の世界には初登場だった。その色はしょうもない私が少しだけ許されている気がした。

それ以来数年が経った。ちなみにこの人の中ではオレンジジュースの方が実はレアな選択だったことを知った。アップルに気圧されている感が否めないし、一緒に買いに行くときに私が選ぶと大体グレープフルーツだから、台所から出てくるオレンジジュースには最近めぐり合えていない。二番手だったアメリカンのブラックコーヒーは主戦力になってきた。残念な気持ちと私がすさんでいないことを祝う気持ちと半々だ。

そんな後書きを付け足しながら、もしなにか困ったことが起きて私を頼ってくれるような人がいたら、オレンジジュースを出す人でいたいなと、そう、思っている。



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