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いかに責任逃れして働くかに全力を注ぐ人たちとどう闘っていくのか?について考えた

仕事でもやもやしたことがあり、記事にしたいと思います。

現在の仕事は新規事業創出。
新年度に入り、昨年度よりさらに社内関係部門との調整業務が増えてきました。

幸い、チームメンバーや上司には恵まれ、日々働けているのですが、この関係各所との調整に疲弊することが多く。

というのも、哀しいかな、いかに責任逃れして働くか?という人たちが多いのです。

ある部門に仕事を依頼しました。
当初、快く引き受けてくださり、アウトプットイメージ、スケジュール感も整合した上で業務を開始してもらいました。

ところが、こちらが想定していた以上に出来が芳しくない。
そのため、こちらとしては妥協して要望のレベルを下げました。

依頼された部門の担当者は、やり直し要求がくると思っていなかったらしく、端的に言うと臍を曲げてしまいました。
(非常に丁寧にお願いしたいにも関わらず、です)。極め付けには「やっぱりできません」との回答。

正直、怒りを通り越して呆れてしまいました。

依頼した内容に対して、その部門はプロであるべき集団でした。にも関わらず途中で投げ出すと言うのです。

私であれば、出来ない理由や対応できる範囲をすりあわせた上で、なんとかして決められた納期にアウトプットを出すために努力します。それが仕事を引き受けた以上の最低限の責任だと思うからです。

この話を夫にしたところ、
「そんな駄々をこねる人たちが平気で生き残れるような会社、辞めちゃいなよ」
と。

色々と言い訳をして、いかにして自分の責任、仕事の範疇を減らそうとしている人が多いことか。
若いときに自分であればこのような人たちと直接闘ってしまったでしょう。

過去を振り返ると、直接闘った結果、うまくいった試しがなく。
どんなに相手が間違っていて、こちらが正しいケースだとしても、「自尊心」を傷つけられたと感じた相手は決して心を開こうとしなくなります。正しい議論は決してできなくなります。

最終的に自分が得たい結果を得るために
(気持ちよく、こちらが望んでいるアウトプットを出してもらう)
どう動くか?
歳を経るごとに闘い方を変えていかねばならないと感じています。

子供達が好きな映画「アーヤと魔女」


主人公のアーヤは孤児。
魔女とあやしい男に引き取られ生活することになるのですが、まるで奴隷のような扱いを受けます。
段々と彼女の才能である「人を操る」能力を発揮し、最終的には魔女も男も彼女の虜となり、何でも動いてくれちゃうようになるという 笑
ストーリーです。

この映画の主人公のように、強かに周りの人たちを操れるように(というと言葉の響きが悪い)、気持ちよく動いてもらえるように、コミュニケーション能力を高めていかねば、と感じる日々です。

以下の書籍も読んでとてもよかったので近々感想をあげようと思います。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。





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