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読書ノート 「河合隼雄全対話Ⅱ ユング心理学と東洋思想」

 河合隼雄対話集の第二弾。この第三文明社からは、十冊の対話集が出版されている。第二弾は昔読んだ(かもしれない)記憶があるのだが、今回はヒルマン・井筒俊彦との鼎談を再読するために読む。それ以外の対談者は梅原猛、湯浅泰雄、ジョセフ・ニーダム、川田洋一。


  • ヒルマン───元型心理学には(チェスの盤上の)指し手というか、特定の定石的動きがいくつかあるんです。ひとつは〝脱直解主義〟(真相透視)つまりは、現象次元に顕現されたものを通して、真相を透視しようとする試みで、これは深層心理学の原点です。第二の基本指し手(ムーブ)は、サイキ、つまり心の人格化。心の世界を、もろもろの人格(個的存在者)の集合の場として思い描くことです。精神力学的空間だとか、心的エネルギーの磁場だとか、不可視の心的機能の機能空間だとか、そういった言葉で表現されるようなものとして見るだけではなくて、もろもろの人格の複合体としてとらえ、それを生きた映像として思い描く。これは当然、人格なるものの、複合的多元性の感得にもつながります。


  • ヒルマン───ユングは、複数焦点を持った多元的意識野を、人間の心の基底であるとしています。


  • 井筒───特にユングが(元型という)言葉で何を意味したかについて。

  • ヒルマン───人間には基本的な内的行動のパターンがあって、これらの行動パターンは、いずれも、ひとつの形象的特性を持っていて、それが象徴的イメージとなって、顕現するのだ──というふうに、ユングは考えていたんですね。

  • 井筒───ああ、その〝形象的〟というのは、つまりは〝想像的〟(イマジナル)。アンリ・コルバンが〝イマジネール〟と区別して使った〝イマジナル〟ですね?

  • ヒルマン───ええ、ええ、まさにそのとおりなんです。

  • ヒルマン────〝元型〟の形象的性質というこの問題は、ユングの思想構造においては、また同時に、アリストテレス的な意味での形相因を非常に重要視した考え方でもあるわけです。…これら形相因は、人間の内的経験の世界では、元型構成の鋳型として機能します。ユングの思想の中では、したがって、結果的には、機動因や質量因は───ユング心理学以外の心理学の分野ほどには───重要な役割を果たしていない。それに、哲学的観点から言えば、〝形相因〟という考え方を再生復活させたことで、ユングは非常に重要な存在です。つまり、これら種々さまざまの形相因が、想像機能の元型イメージにほかならないと、私は思うんです。

  • 河合───元型的イメージは、西洋と日本では異なってくると思います。…たとえば、アニマという用語は使いにくい。あるいは、使えるにしても、アニマは心のどのような働きを示しているのか、その働きはどのような言葉であらわされるか、などについて注意深く点検する必要があると思います。

  • 河合───私の態度は、ただ観察する。

  • 河合───たとえば、「自己(セルフ)」のイメージであれば、西洋人にとってそれを人格化することは容易でしょうが、日本人にとって、それは「石」かもしれないし、「影」といっても、日本人にとっては必ずしもそれは人間の形をとらないかもしれません。

  • 井筒───実存的統一体。

  • 河合───日本人は言語によって話すよりも、「見る」ことによって、よい統合性を生み出していくのです。


  • 「イメージから離れるな」


  • 河合───西洋人の「目」は意識の中にありますが、東洋人の「目」は、いわば無意識の中にあるとさえ言えます。

  • リヒャルト・ヴェルヘルム(中国学者)トニー・ウォルフ(ユングの弟子であり友人)

  • ヒルマン───〝元型的なるもの〟は、人間の人格的領域を超えて展開している。

  • ヒルマン───プラトンのアニマ・ムンディー(世界霊)、世界に宿っているという意味での世界の心。

  • 河合───私は患者さんに合っているときに易経に描かれているイメージを持つことがあります。しかし、患者さんのために易をたてることはしません。…私にとっては、事象はもっと複雑で、患者さんの来る日が晴れているか、雨が降っているか、そんなことすべては、その人の治っていく過程に関連しているかもしれないという態度をとっています。これが易のアイディアだと思うのです。

  • 河合───日本人の意識は、男性像ではなく、女性像であらわされる。これが私の結論です。

  • ヒルマン───(ドラゴン神話は)実は、それは、人間の本能的想像機能の世界そのものだ、と私は思うんです。…それはまさに想像的動物なんです。…つまり、想像的機能の活力そのものにほかならないんです。…それなのに、西洋の哲学者たちは、アリストテレスに始まってデカルトに至り、さらに後世までのこの長い年月、かのドラゴンを殺害し続けたんです。

  • ヒルマン───西洋人は、さまざまな直接体験を、たちまち概念に変えてしまうという傾向がある。

  • 抽象的概念から俯瞰するということは、上から下の「無」へ向かって下降する恐怖がつきまとう。

  • 「鬼」という字のもう一つの意味は、「帰る」。鬼は帰ってくるもの。抑圧から、排除から。

  • ヒルマン───神々は病に転身した。そして病人たちの病気を通じて帰ってきた。

  • 河合───ああ、そうなんですかねぇ。それで、西洋人であるあなたがたが、本来的なバランスを取り戻すためには、オニのところに出かけてゆかなくてはならない(笑)というわけですね。

  • ヒルマン───夢を支配することができるとか、夢を解釈することができるとか、夢を完全に理解できるとか、そんなふうに考えている意識そのものを論破するために、夢は、まさに、そこに存在しているんだ、ということなんです。夢の研究とは、夢を意味づけることができるという意識の能力を否定することによって、夢がついに、夢自身の、理性的意識に対する優位性を確保するに至るまでの長い修業過程にほかならない、とも考えます。

  • 夢によって意識が解釈される。

  • 河合───私はいまだ禅の過程を、われわれの精神分析の過程と比較して考えています。井筒先生の下降と上昇という考えに従いますと、分析においてはその両者を混ぜ合わせているように思います。ひたすら下降した後に上昇するのではなく、両者を混在させています。


古い本だからといって読まないのはもったいない。
まあ、この貴重な鼎談を記録し記憶することで、私は何を更新しようとしているのだろうか。そう、「集合的無意識」と「元型」と「夢」と「神話』と「自分なるもの」について、何度も何度も更新するのだ。忙しさにかまけて大事なことを忘れてしまう日々の中で。

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