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読書ノート 「9条入門」 加藤典洋他1冊

「9条入門」 加藤典洋 創元社
「この一冊、ここまで読むか」鹿島茂他 祥伝社

 

 鬼籍に入った加藤典洋の、最後のことばの一つを記す。

「私の信じていることがあります。それは、歴史をいったん非専門家の目で振り返ることは、人間が未来をまっさらに構想するうえで欠かせない作業なのではないかということです。その結果、無数の混乱が整理され、多くの謎が解けます。
 そのあと、そこに姿をあらわす可能性は、私たち全員に共有されるべき内容と質をもっています。人は過去を新しく獲得し直すことで、未来への態度を新しく更新するための足場も得ることができるからです」

 私もそう信じたい。


「9条入門」を、高橋源一郎とフランス文学者の鹿島茂(ALLREVIEWS主催)が書評講演する「この1冊、ここまで読むか!」の文章が大変わかりやすいので、ここから要約を作成してみる。

  • フランス現代史の大きな問題として、ヴィシー政権をどう考えるかというのがある。

  • ヴィシー政権は、ヒトラーの要求を受け入れながら、一応はフランスの独立を保った形で成立した政権。フランスの北をドイツに占領され、南側にヴィシー政権ができた。ドイツの意向を忖度し、ユダヤ人虐殺にも手を貸している。パリが開放されると共に政権も消え、以後フランス人はヴィシー政権はなかったことにしようとした。現在のフランス高校の教科書では、この政権について「二重人格としてのフランス」とのタイトルがつく。フランスはレジスタンスによって勝った国だと思いこんでいるけれど、実は抵抗せずに対独協力したという暗部がある。それをごまかすことでフランスの戦後を作ってきたんだけれど、アルジェリア戦争以後はそれが保てなくなってきた。だから自分たちの過去に向き合わなきゃいけない、というのがその教科書のテーマ設定であり、現在のフランスの公的な基本姿勢。

  • 日本も同じ。フランスがファシズムのナチだったが、日本は民主主義のアメリカであった。どちらも占領軍に屈服し、その価値観を受け入れたことには変わりはない。

  • 加藤典洋の9条入門について。この本のいちばんすごいところは、憲法1条と9条をワンセットで考えろという提案。1946年2月の、1条と9条がワンセットで生まれた瞬間を知らずに、天皇や9条について議論するのは虚しい。

  • 9条についてのいくつかの意見

 現実に憲法を合わせろ
 理念に現実を合わせろ
 二重人格でいい(高橋のしばらく前の立場)
 長谷部恭男「憲法は『準則』で、外敵と戦うのは『原理』である」
 もう一回、考えろ(加藤の立場)
 改めて選ばせろ(鹿島の立場)
 今はヤバい(社会全体が右寄りになっている)(高橋の今の立場)

  • そもそも戦争放棄条項は日本だけのものではない。第二次世界大戦終了後、イタリア、フランス、ドイツも戦争放棄条項を作っている。他の国と日本が違うのは、日本だけが「絶対放棄」であること。

  • 幣原喜重郎はマッカーサーにイタリア、ドイツ、フランスと同様の戦争放棄条項を提案したが、マッカーサーは知らないふりをし、わざと絶対放棄(交戦権も軍隊ももたない)の条文にしてしまった。これはマッカーサーの本国・大統領選挙を見越してのポイント稼ぎであった。

  • 憲法9条は、天皇という「国体」の後継である。天皇が人間宣言をし、国民主権になった後の「国体」としての位置に9条がおさまった。故に国民はこの条文に熱烈な支持をしたのではないか。日本人の心に生じた空白を埋める効果があったのではないか。

  • 天皇制同様、9条も不合理。不合理だからこそ、国民は熱狂した。

  • 唯一この憲法に反対したのは美濃部達吉。冷静であった。

  • アメリカは開戦後すぐに日本の研究を始めた。人類学的研究の結果、日本人は天皇制を認めてやりさえすれば支配しやすいという結論。

  • 幣原案も天皇の全責任説も、実際に言ったことは「0.5」ぐらいのこと。天皇は「東條の責任だけれども、一応その認可責任は自分が負う」と言ったのが、「天皇が全責任を負う」となり、幣原案も「0.5」の戦争放棄が「1」の絶対放棄になった。この「0.5」と「1」の差を加藤は問題にしている。

  • マッカーサーは平和主義者ではなかった。憲法9条も、結局は自己の政治家としての名声のため。自己愛のため。

  • その後、権力の指し示す方向に一斉に転向が起こる。宮沢俊義などもすり寄る。憲法普及会を作り、一斉に憲法を称賛しだす。憲法普及会は4年前までは戦争遂行の歌を作っていたが、今度は憲法普及の歌を作り出す。同じメンバーが戦争から憲法に横滑りし、それを反省している人間がひとりもいない。そうやって、1946年から4年かけて記憶の喪失と書き換えが進んだ。

  • 原爆研究も戦前は庶民も周知の事実だった。それが戦後は、それをなかったことにし、被害者の側面だけを強調する。これも典型的な記憶の書き換え。

  • つまりは、憲法の受け入れは、日本人とマッカーサーの共犯である。その歴史が忘れられることによって、今の状態になった。それをきちんと認識していないと、護憲派、改憲派の不毛な対立は解消されない。

  • 憲法は9条までが前文。前文で書くのは「国体」、ナショナル・アイデンティティなのだから、9条も含め主観的な主張で良い。

  • 日本人は熱しやすく冷めやすい。感性の貯金を過剰にする癖がある。しかもその貯金の解約をしない(吉本隆明)。

  • 憲法の天皇条項は天皇に対しての人権侵害。職業選択、移動の自由もない人間が国の象徴であるのはおかしい(高橋)。

  • 天皇制を廃止し、国民の定義を変える。しかし今そんなことをすれば、もっとひどいものが出てくる。だから、現段階ではとりあえず護憲(高橋)。

  • ただし9条に関しては、このまま矛盾を放おってはおけないような気もする。

  • アイディアとして、自衛隊をすべて国連軍にしてしまう。

  • 大学生に憲法、9条のことを教えようとすると時間がかかり、遠回りになる。それは、みんな社会的に洗脳されているから。長年に渡り社会的に教えられる言葉や概念をそのまま内面化している。それを解きほぐすのは容易ではない。

  • 日本人は突き詰めて考えることをしていない。また、ギリギリの判断とともにその時反対の立場を選んだ場合のことも考えなくてないけない。そうした考える訓練をしなければいけない。


次に、加藤典洋「9条入門」太字のセンテンスをそのまま抜書きしてみる。

【はじめに ー 憲法9条に負けるな】

  1. もし9条がなかったら、日本人は戦後、どのような平和についての思想をもっていたのでしょう。

  2. かつて私は「そうか、そうか、平和憲法がなかったら、戦争に反対しないのか」と書いてしまい、護憲派の人々の心をひどく逆撫でしてしまいました。

  3. ほんとうに憲法9条を大事に思うなら、その弱点もしっかり見すえる必要があるのではないでしょうか。

  4. 護憲派はなぜか、過剰防衛の姿勢をとりがちなところがあります。

  5. ただ有り難がるだけで、一切の批判を拒んでいては、「憲法9条に負けてしまう」ことになります。

  6. いま憲法9条にしか、できないことはなにか。この本ではそのことについて、考えてみたいと思います。


【第一章 せめぎあい】

  1. GHQの作成した憲法草案は、それまでの大日本国憲法に比べて、格段に近代的・民主的なものでした。

  2. 民主的な憲法を、占領軍が「超法規的に押し付けた」という大きな矛盾は、その後もずっと尾を引き続けることになります。

  3. 憲法9条は1条と共に、昭和天皇を護るために作られたものでした。

  4. 「国家主権の放棄」という側面を持つ憲法9条(戦力放棄条項

  5. 悲惨な戦争を体験した日本国民から、強く支持されました。

  6. 占領が終わったあと、憲法9条は、日米安保とセットで存在することになりました。

  7. これから私たちが憲法9条をどう活かしていけばよいか、歴史をさかのぼって考えて見る必要があります。

  8. 占領下での憲法改正は、最初から、どこかあやふやな形ではじまりました。

  9. いわゆる「押しつけ」の主体とは、なんだったのでしょうか。

  10. 日本の占領をめぐっては、連合国内で激しい主導権争いありました。

  11. アメリカは日本占領において特権的な地位を確立しようとしますが、当初、他の国はそれを認めませんでした。

  12. マッカーサーの特異な個性に、憲法9条のあり方は大きな影響を受けることになります。

  13. 高い能力と、過大な自尊心、そしてバランスを欠いた性格。マッカーサーは若き日、偏りと弱さを抱えるマザコン青年でありました。

  14. マッカーサーは戦争中から、すでに有力な大統領候補になっていました。

  15. マッカーサーの軍事司令官としての能力には、実は大きな疑問符がついています。

  16. その一方、マッカーサーは、並外れた自己宣伝能力を持っていました。

  17. 「ダグラスは、ベドのなかではただの兵隊さん」などと社交界でからかわれるような、意外な私生活の側面もありました。

  18. 日本国憲法草案のGHQによる執筆は、マッカーサーが日本に「独立王国」を築く大きなきっかけとなりました。

  19. マッカーサーは日本や連合国に対してはポツダム宣言無視の無条件降伏政策を押しつけ、一方、アメリカ本国に対しては、ポツダム宣言遵守を理由に指示に逆らって、連合国からも本国からも独立した、独自の政治的立場を築こうとしていきます。

  20. アメリカ本国は、日本占領は「ポツダム宣言」ではなく、「無条件降伏」政策にもとづいて行いたいと考えていました。

  21. 日本での「無条件降伏」政策が認められたのは、江藤淳のいう「アメリカの陰謀」というよりも占領管理権限をめぐるさまざまな「せめぎあい」の結果でした。

  22. きっかけは、些細なできごとでした。

  23. いくつかの偶然をへて、「無条件降伏」政策がアメリカの国家としての正式決定となります。

  24. 以後、日本占領の権限をめぐる、アメリカとその他の連合国の対立が深まっていきました。

  25. 加えて有力な大統領候補であるマッカーサーと、アメリカ本国の対立も激化します。これら二つの対立の中で起こったのが、「密室での憲法草案の作成」という異常事態でした。


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