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読書ノート 「プロティノス全集 第四巻」 中央公論社

【エネアデス】

6-1、2、3

有るものの類について

 ※プロティノスによる、アリストテレス『カテゴリア(範疇)』批判。プラトンの最高類の妥当性とアリストテレスの不当性を明らかにし、プロティノス自身の考える感性界の最高類を明らかにする。

 「実体」ということばが知性界と感性界に同名同義的に用いられることは不可能である。すべては知性的な実体に由来する。
 「量」を連続と不連続の観点から考えるのは誤りである。
 「関係」様式のあるものは、われわれの思考のうえでも産物にすぎず、別のあるものは、知性界に起因する。
 「質」について。「種」がなければ「質」は類たりえない。

 (ストア派の主張)非物体的なものとしての第一義かつ厳密な意味における一なるものがなければならない。

 素材は知性も魂も持っていないのに、いかにして自己自身の「有る」を認めるのであろうか。
 「関係」は、「有るもの」ではないのだから、これを一つの範疇にするのは誤りである。
 「有るもの」と「有るものと思われているけれども、本当には有るものではなくて生成せるものにすぎないもの」とを混同しないように注意しなければならない。 

 「有るもの」は「多様なる一」である。
 魂にとっての「有」と「生命」は二つで一つ。
 「有」は「一」の源泉である。
 「類における一」は、「多に内在する一つの全体」としての「一」である。
 「関係」は「有」に付帯する蘖(ひこばえ)のようなもの。(蘖:切り株から出る若葉)

 善①…第一者としての善なるもの。「有」よりも先なるもの
 善②…善きもの。「~の善きもの」であり、①とともに第一義的な類ではない
 美…第一位の根元的な美としての一者を意味する時は、「有」よりも先なるもの
 真実在の世界における類と種の関係は、全体的知性と個別的知性の関係に等しい。

 知性の活動が自己自身の外へと発する時に、魂が生ずる。魂が類として活動する時に、他の諸霊が種として生じて、その活動の末端に素材が生じる。
 感性界の持つ諸々の映像は、知性界に含まれる諸々のイデア(有)の映像であって、有は知性界にあるのである。

 「実体」と「実体に関わりのあるもの」
 「実体に関わりのあるもの」は、「述語的な役割しか果たさないもの」と「付帯的なものでもあるもの」に分けられ、「述語的な役割しか果たさないもの」は、「関係」に置き換えることができ、「付帯的なものでもあるもの」は、最終的に、量、質、「あるところに」、「あるときに」、動、場所、時間に分けられることができる。

 魂は感性界の「有」に算入することはできない。魂は知性界の「有」である。
 「動」は間断なく異である。
 「時間」は静止することのない、測定されている動である。
 すべての動に共通することは、「可能態からの、即ち可能なるものからの、現実の活動への発出の行程であり、現実態への導きである」
 プラトン『ソピステス』「形相(類)の内で最も重要と言われているものは、有、静、動、同、異、である」 


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