2222年を生きて迎える方法
お久しぶりです。片山順一です。
新年あけましておめでとうございます。2022年ですね。
で、タイトルです。2022年は、ゾロ目として惜しいので、いっそのこと2222年について考えて書いてやれ、と思いました。
200年後いろいろ
表題です。200年後について考える以前に、そのときを私は生きて迎えられるのでしょうか。
現代の人間の寿命からいうと、不可能でしょう。めちゃくちゃ健康で老衰ギリギリまで生きたとしても、人間の寿命は最大130歳かそこらが限界だったと思います。70年足りません。しかもある程度健康で、時事とか政治とか文化がある程度理解できるような状態を保つとなれば、ますます不可能です。
それ以前に、私には大した所得がないので、合法から非合法含めたあらゆる医療資源を我が身に投入して生き延びることも不可能なわけです。となると、とても寿命の極限なんて達成できないことになります。
でも本当に、完全に不可能でしょうか。
思いついた延命法①IPS
ips細胞という、万能細胞が実際に存在します。これはその名の通り、脳、神経、内臓、骨や筋肉など人間の身体のあらゆる部分に変化させることが可能な細胞です。
少々グロテスクですが、私自身からこの細胞を培養し、だめになった部分を次々に移植して体を入れ替える形で、部分的に若返らせていけば、理論上かなり長期間死なずに生きることができるのではないでしょうか。
ただ、まだまだこの技術は一般的には普及していません。確か数年前(2019年くらい?)に目の一部の細胞を作って移植する治験が行われた程度だったと思います。全身を若返らせるほど、身体のあちこちをくまなく変えていくことは費用的にも技術的にも不可能でしょう。
しかも、この技術で移植された万能細胞は、予期せぬ変化を起こすことがあり、分裂が止まらなくなってしまうこともあるのです。つまり、がん細胞と化してしまうらしいんですね。
現状、IPSを使って寿命を延ばすというなら、こういうリスクを気にせず、しかも日本政府が認めていないような形で実行することになります。
となると、違法な人体実験の形しかありません。設備は、実行する狂った医療者は、そいつが居たとしてどうやって接触するのか、あるいはそいつが要求するであろう報酬はどう用意しましょう。
仮に成功したとして、それがバレて、政府の実験体にされない保証はどこでしょうか。せっかく寿命が延びても、一生実験施設に閉じ込められて、わけわからん実験を受けつづけるなんて、リアル地獄の刑罰ですね。寿命を超えようとした罰でしょうか。
まあ、現実的ではないでしょう。下手をすれば、ゴジラになってしまうかもしれません。この方法は却下です。
方法その②記憶移植
体が無理なら、頭を、意識、記憶、感情だけで生き残るというのはどうでしょう。
めっちゃくちゃざっくり乱暴に言うと、脳というのは、神経ニューロンの中を電気信号でやり取りして、いろいろな感情や感覚、意識を生んでいたはずです。私たちが生きていると感じる自我とか意識とかは、この脳の電気信号のやりとりで、一応再現可能なはずなのです。
莫大な経路をもつ脳の神経細胞のどこをどう信号が伝わることで、人間の意識や感情や感覚の何がどうなるかは、あまり詳しく分かっていないのですが。
ただ、本質は電気信号の凄まじいペース、量のオンオフによるらしいのです。
この電気信号のオンオフ。これは、無理やり理論的に言うと、今これを打ちこんでいるパソコンの中で計算しているパーツ、CPUと大体同じことをしています。
ってことは、デジタルデータに起こせないでしょうか。
今私が生きているということ、生きている意識、記憶、人格、そういうものをハードさえあれば無限に複製可能なデータとして、あっちこっちに保存して置いておくことはできないでしょうか。
そして、それを人口脳的なものにインストールし直す。
そうすれば、今これを考えて記述している私自身の体と脳が傷ついて消えようが、つまり死んでしまおうが、ほかの所で私の意識や感覚、記憶は保存されていくということになります。
これは、寿命を延ばしていることになりませんかね。
問題は、脳の信号のどういうパターンをどう記憶すれば今の私が、この先の私が再現できるかどうかさっぱり分からないことでしょう。というか複製できたとして、その複製された側は、今の私ではないんだから、その複製されたデータが生きてても、今の私は死んでしまうということになります。
それにこの脳のデータ化プロセス、本当に私が生きている間にできるかどうかも全く不明です。出自の分からない動画とかで、やろうとしている人が居ると小耳にはさんだこともあるのですが、確実かどうかは分かりません。
なんか、もう考えるだけで現実的ではなさそうですね。
まだまだ、一般庶民の私がウルトロンとして生き延びることは難しそうです。
方法③……あるのか?
200年生きる、ってことは、どうも私のポンコツな頭で考えた限りでは分かりません。いろんなものを楽しみながら、身体も心も健康なままゆるゆると2222年を迎えるのは、どうも難しそうです。
ありえないとは言い切れませんけど。
じゃあ、伝統的な方法でしょうか。つまり、世のため人のため、役に立つことで、今の世を良くしていくということです。
ど単純な話、二百年後に人間がまだ生きていたら。あるいは生きていなくても地球が生きていれば。
それは、私が生きた結果を含んだ人間であり、地球なわけです。
私の行動なんて、まったく大したことがないように思えるけど。
たとえば今この瞬間に私が爆散して消滅した場合には、今年私が書こうと思っている小説は進まないでしょう。耕す畑も放置されるでしょう。
家族や友人とするはずの会話も行われないでしょう。
様々な社会的事実に対する感想や言葉は、発されないでしょう。
私が生きて行うはずの全てが、今日今ここから先、まったく存在しない2222年か。
私ができるだけ精一杯生きて、死ぬまでにいろいろやった後の2222年後か。
少しでも、200年後も私が生きている状態に近い2222年は、どちらでしょうか。
これは、結構簡単でしょう。
たぶん、一生懸命生きた後の2222年の方ですよね。
というわけで、できるだけ健康に。
小説を書いて、畑を耕して、私の文章を読んでくれる皆さんや私の周囲の方々を大切にしつつ。
Noteも更新してみようかと思います。
あとは、何か新しいことも始めてみましょうか。
というわけで、2022年もよろしくお願いします。
意外と難しいと思います、生きているだけというのも。
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