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#自己探求 はずかしさの感情とにらめっこ

今日もいい日です。
2月7日が近くなってきました。
整わないあれこれを手からこぼしながら、テスト前に部屋を片付ける学生のごとく
向き合いきれてないものがあることを、ただ感じて落ち着きません。

起業に抵抗がある

たくさんのキラキラ女子を見てきた。
それにはなりきれない。
そこに行きたいのかわからないけど、飛び込めない感は否めない。

やりたい事と抵抗

蜜蝋エコラップを伝えるワークショップをやりたい。
その為には講座を決めねばならぬ。
場所、日時、価格、、どれにも言い訳がまとわりつく。
場所代はいくらかかるのかな、個人で借りるとお金がかかるし、誰も来なかったらどうしようかな、、、突然にこどもの用事がないだろうか?いくらにしよう?
それを、村の広報に載せるために役場に行って、どんな説明をする?
上手に説明できるかな。。

やりたい事をいざ実行しようとすると、その抵抗に沢山つまづかされる。
これを突破するだけなのに、億劫になってくる。

そこまで考えちゃう?

何なら、
私の理念って言えるのか?
個人事業主の登録ができるのか、税金のあれこれはどうするのか、それをわかるのか?できるのか?
どこか遠い妄想の世界に消えて、今宵はひとまず眠ってしまいそうな勢い。
それを叩き起こして書き出している最中である。

やりたい事の抵抗って

じゃあやりたくないんじゃないの?とも思える、抵抗のそれらは
「やってみて〇〇なったらどうしよう」という不安が巡っているだけである。
何も起きてもいない。
何なら行動に全くうつせてないじゃないか。この通り。

不安はGOサイン

わかっている。
とても好きな事だから、失敗した時のショックから逃げているんだと思っている。
不安があるなら、それを一つ一つ消していけばいいこと。
不安がない時にはさっと先に進んでいくことに、一々感情が絡みついてくるだけだ。
出来事に進むのは同じなのに、一々な感情があるかないかで、こうも状態が変わってしまっている。一方の恥ずかしい方は、本当に恥ずかしくて泣きそう。
え、
蜜蝋エコラップの講座を、広報で募集したいだけなのに?笑

進めないことにもメリットがある

ここに留まっているのには理由がある。
ここにいたほうが心地良いから。確かにショックが起きたり、予想外の展開に晒されずに済むのでしょう。
いつまでも痩せれない人にだって、痩せないことにメリットがあるから留まっているのだと言われている。

変態ですね

まぁ、おそらく。
この恥ずかしさの狭間で、何かを区別しようとしている私が
大変に変態かもしれません。

恥ずかしさの向こうに

泣きながら恥ずかしい中に躍り出てみたらどうなるかの実験をするわけです。
役場の人の目が。。。知ってる人が。。。←まだ言ってる


鼻笛の体験に学ぶ

この恥ずかしさの向こうにいけば
新しい世界観が展開しているのは、私の鼻笛の体験からわかっていること。
すれ違う人を前に、鼻笛をふくのをやめてすれ違ったあの時、
恥ずかしいからだと気づいて、トライしてみた。
すると、会話が生まれ、なんだか恥ずかしさが吹っ飛んだのだ。
鼻笛の説明などをし、演奏をしてみせ、
気付けばステージに立つことがとても楽しかった。

そのように、おそらくは
恥ずかしさの向こうには新しい世界が待っているのだ。
それも、大きな自分の悦びに向かって。

余裕のようなもの

ここにはまだ誰も、蜜蝋エコラップのワークショップを開く人はいない。
しかも、金継ぎまでしたいとか、高齢の方の技と貢献を継ぎたいというような想いまである始末だ。
それは、持続可能な暮らし、農的な暮らし、持久的な暮らしといったようなもので地球にも、この村にも、自分にも負担をかけすぎない、
優しい社会を作っていきたいのではなかったか。

どこかで生活に取り入れて、遠回りでもこれらが所作のようになり
上手い下手を問えば、それは下手でも良い。私は上手じゃないと思ってる。
(完璧主義の強さが、私にそう言わせてる)
丁寧という無駄のような時間をひとつひとつ過ごすと
小さくも余裕が生まれ始めるのを感じた。
それを広めたいのではなかったか。

抵抗のその後

さて、少し俯瞰できたことで、落ち着きを取り戻したのですが。
他人の評価を気にしていて、変に思われたら恥ずかしいわけで。
私は常のようなものにハマれば恥ずかしくはないのでしょうが、
それは、私が「常じゃない」という叫びでもあり。

恥ずかしかったらどうなるの?

他人の評価として、私が恥ずかしいとか常じゃないんだとして、
そしたらどうなの?
他人からの意外な感心とかジャッジとか、噂なんかが独り歩きしたりして
嫌われたり、線を引かれたり、これまでの関係が壊れたりするのはショックだ。

離別する悲しみに心を痛めるであろう予想だろう。


書き換えてみる

恥ずかしくても良いよ。だって、他にやってる人がいないんだから、
周囲から見てとてもいい影響になると思うよ。
刺激によって、感じたり考えたりするキッカケの波を与えられるんだ。
勿論、はじめて触れた人には良し悪しのジャッジがあっても良いし
私だって、初めて触れた人のジャッジをしたって良いんだ。
沢山の人が、自分の中の好きや大切に気づきながら
同じように悦ぶ可能性を秘めてる仲間を探ってみたいんでしょう?
なら頑張ってみたらどう?私さん^^




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