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性的少数者について

この連載はNPO法人わっかの月次報告7月号に寄稿したものです。

性的少数者を表すことば

 第三回の今回は「性的少数者」がテーマ。当事者としての私がどこまで客観視して書けるだろうか。

 みなさんは、ゲイやレズビアンといった言葉を聞いたことはあるでしょうか。聞いたことがある人もいるかもしれません。では、バイセクシャルや、トランスジェンダー、アセクシャル(またはエーセクシャル)、エックスジェンダー、ノンバイナリー、LGBT、SOGIといった言葉は聞いたことがあるでしょうか。これらは、全てここ10年で広く社会に浸透してきた言葉だけど、まだまだ知られているとはいい難いです。

各種調査での人口比より大切なもの

 電通ダイバーシティ・ラボによると全人口の8.9%が性的少数者であると調査結果を公表しています。また、名古屋市男女平等参画推進室は1.6%、「働き方と暮らしの多様性と共生」研究チームは8.2%とそれぞれ公表しています。値にばらつきがあるのは、簡単な調査方法を取ることによる実態とのズレや、地域を限定したり、調査対象の年齢を限定したりすることによる偏りが指摘されています。特に最近は大学の卒論などでもWeb調査が使用されることがありますが、同一人物が何回も答えることができることや、相似した値を複数回にわたり入力することも不可能ではありません。そうした穴がある以上、Web調査では外れ値をはじいて集計をしたとしても、信憑性に欠ける場合があることは否定できません。

 同時に学術的に、どの状態であるならエックスジェンダーで、どの状態であるなら〇〇であると確定している話であるとも言い切れにないのが実状(少なくとも用語定義の根拠となる論文やエビデンスが探し出せませんでした)です。ただ、大切なのはそうした数値の蓋然性ではなく「確かに社会の成員として存在している」という事です。

どの様な人であっても

 ここでは、冒頭に挙げた用語のひとつひとつを解説し、みなさんに理解をしていただくことは紙幅の都合上も、また言葉の定義が確たるものであると確証が持てないために正確性のある記述ができるとはいいがたいので、残念ですが控えざるを得ません。

 しかしながら、数字が多いから社会問題にしなくてはならない、数字が少ないから社会課題としてとらえなくても問題ないという事ではなく、ただ一人でも苦しんでいるならば、つらい思いをしているならば対応するということが「人権の尊重」であり、より良き社会を構築していく一歩でしょう。そうした意味では知識を付けることも大切かもしれませんが、大前提として、どの様な人であってもひとりひとりが大切にされる社会であり、人権があるという視座に立つことが必要でしょう。

セクシャリティは4つの要素

 とはいうものの、全く触れないで本稿を終わらせるにはあまりにも概略にすぎるというものですから、少しだけポイントに触れたいと思います。性を理解する際には、セクシャリティというものを理解しなければなりません。近年、セクシャリティは4つの要素からなり立っているといわれています。曰く、体の性である身体的性、こころの性である性自認、どの様な性をふるまうかといった性表現、そして好きなる性の性的指向(※嗜好ではありません)。

つまり、体の性別である身体的性は女性であっても、自分自身の性別に対する認識である性自認が女性の場合もあれば、男性の場合もあることもあるし、また不定性であったり、中性であったりするエックスジェンダーで、かつ性表現は女性である場合も、男性である場合もあり、同時に好きになる性である性的指向は性的欲求などがない場合も、女性に向く場合も、男性に向く場合もあるという状態がひとりの人の中で起こりうることなのです。

そして、それらのひとつひとつ、ひとりひとりが多様であるというのが性のありようです。

苦しい。

 この話を書いただけでも、混乱される方がおられるかもしれません。ただし、今の子どもたちは、私たち30代、40代よりも柔軟性があり「ごく普通」に受け入れている場合も多くあります。では、なぜ苦しいのでしょうか。私の元には、性に悩む多くの中学生~大学生世代から相談が寄せられます。

その中でも、同級生や学校の人が理解してくれるか分からないこと、また親と同居する世代が多いことからか、実親に理解をして欲しいという相談があります。そして、ここで課題となってくるのが、どう伝えるかという点、次に否定されるかもしれないとの不安が挙げられます。

怖い。

2010年代に入り、親世代も「どう接したらよいのか学びたい」との姿勢をもち、当事者会等へ参加する姿も出てきましたが、その行動へ至る前提として「子どもからの告白」という過程を抜きには語られません。

そうした否定されるかもしれない、理解されないかもしれない不安感は、1990年代においては、まさに「否定されたら死ぬしかない」という状況で、性的少数者であることがばれて自死に至った例も私の周囲だけでも少なからず存在します。そうした不安感に常に包まれて生活をしている子どものストレスはとても過大なものであり、今にも押しつぶされそうになっている子どももいます。そして、そうしたストレスから身体症状が出ているにも関わらず、「怖いから言えない」ことがあります。

皆さんにお願いです。

中ほどでも述べたように、ひとつひとつの言葉や定義を理解し、知識を増やすことも大切な事です。ただ、それ以上に、目の前の子どものあるがままを同じ人として認知し、良き隣人として接することを忘れないでほしいと思います。
なお、岐阜県関市、岐阜市、愛知県名古屋市では20代の若者たちが当事者同士のピアサポートとして、集まりを開いていたりもしますし、滋賀県でも相談窓口がありますので、少しでも気になった方は、お繋ぎすることもできますので連絡をお待ちしています。

性的少数者の社会課題は20年前より確実に前進していますし、偏見も少なくなってきています。その点では生きていてよかったといえるかもしれませんが、まだまだクリアすべきことも、なにより今を生きる当事者から生きづらさが拭い去られたとは断言できません。いまから20年後には、きっと2021年時点では思いもよらない社会状況が生まれているかもしれませんが、そうしたこともひとつひとつの積み重ねです。ですから、どうか目の前の子どものあるがままを大切にしてください。そこから、考えましょう。

次回は「進路」について触れてみたいと思います。

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眠れない夜に

現場から現代社会を思考する/コミュニティソーシャルワーカー(社会福祉士|精神保健福祉士)/地域の組織づくりや再生が生業/実践地域:東京-岐阜/領域:地方自治|政治|若者|子ども|虐待|地域福祉|生活困窮|学校|LGBTQ