会社に行けなくなった日①

会社に行けなくなった。
会社のことを考えると涙が止まらない。
こんな状態ではとても働けない。
まさか自分がこんな風になるなんて。学生時代には夢にも思わなかった。


就活

就職活動は至って順調だった。
学生時代、地方創生事業に興味を持ち、将来は地域の暮らしや第一次産業に関わる仕事に就こうと決めた。

確からしい他者貢献のビジョンを、接客のアルバイトで培った外面の良さを以て語り、持ち前の真面目な性格をアピールした所、学歴はそこそこの私だが、希望の会社ほぼ全てから内定を頂くことができた。

思えば、あの頃が私の人生のピークだったかもしれない。


入社

私は内定を頂いた中で、就活中は第二志望にしていた企業への入社を決めた。

第一志望の企業からも内定を頂いていたが、選考途中の社員面談で、自分はこの雰囲気には馴染めないのではないかと不安になり、結局、社員さんや同期の子達の雰囲気が自分に似ていると感じた第二志望の企業に入ることにした。優しい先輩や気の合う同期と働くのが楽しみだった。

学生時代は、勉強はできても、自分が社会の役に立っていると実感できる機会が少なく、物足りなさを感じていた。だからこそ、組織の一員となり、社会の役に立てるようになるのがとても楽しみだった。

自分をこれまで育ててくれた両親、友人をはじめとする大切な人達、そしてそれを内包する社会に対して、やっと恩返しができるのだ。やっと、人から与えられるだけでなく、人に与えられる人間になれるのだと希望を抱いていた。

そして、自分の労働の先に、学生時代、特に多くを学ばせて頂いた、地方の方々が多くいらっしゃるというのが、何より嬉しくてたまらなかった。

今どき珍しいほど、夢見がちな若者だった。


配属

3週間の新人研修を終え、人事部の社員さんから部署希望調査票を渡された。

困った。

私は3週間、会社の様々な部署の業務説明を聞き、気づいていた。

やりたい仕事がない。

そもそも私は、第一志望の会社で明確にやってみたいと思う仕事があった。
しかし、社員さんの雰囲気に気圧され、半ば逃げるように、人の雰囲気だけで今の会社に入ってしまった。
第一志望の企業も、今の企業も、”誰のために働くのか”というビジョンに似たところはあるが、”どんな仕事をするのか”という点ではかけ離れていた。

私の入った組織は、利用者の方々と直接関わる機会を得ることが難しい場所だった。
でも私は、その、ここではできない仕事を望んでいたのだ。
(正確には、利用者のために働くのだから、関わりが全くないというのはあり得ないのだが、あくまで、「私の望む形で」関われないという意味)

結局、配属希望書には、そんな組織の中でも唯一、利用者との関わりがある程度できそうだった一部署と、あとはとりあえず興味がなくはなさそうだったニ部署の計三部署を記入した。

結果的に、私は、とりあえずで書いた二つのうちの一部署に配属された。
資産運用部。
全く知識はないが、新しいことを勉強できるならいいかな。と軽はずみな気持ちで書いたのが大間違いだった。

(続く)

思ったより長くなりそうで分割。
こうして思い返すと、あまりに脳内がお花畑な過去の自分に反吐が出そうだ。
ここまでだけを書くと、自分が今苦しいのは、今の仕事が思い描いていた仕事と違ったからで、単なる甘えなのではないかという気になってくる。

でも誤解しないでほしいのが、私は、たとえやりたい仕事でなくても、何とかやりがいを見出そうと出来る限りの努力はした。
早く一人前になって、先輩に迷惑をかけずに仕事ができるようになりたい。と毎日、頑張って、頑張って、頑張って…
気づいたら息切れして会社に行けなくなった。

でも、そう思っていたのは間違いだったのかもしれない。自分はどこまでもあまちゃんで、嫌になる。

でも、それでも、誰かに、ほんの少しでいいから私の頑張りを認めてほしい。
何をやってもダメだ。と自分で自分に刃を向けることを止められない、私の手を止めてほしい。
そんな思いでノートを書くことにした。

同じような境遇にある人には仲間として、就活を控えた学生さん達には反面教師として、ちょっとは役に立つ文章が書けたりしないかな。
こんな私にも。なんて。

②へ続く。

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