見出し画像

趣味について

趣味とは、なんだろう…

自分は、バスや鉄道といった公共交通機関を現地に赴いて撮影したり、色々な情報を調べたりすることを趣味としている面が大きい。
とは言っても、ここ1~2年はどちらかというと撮影よりも後者の方ばかりしていたうえ、最近はどちらもロクに何もやっていないが。。

もともと鉄道に興味をもったのは車や鉄道が好きだった父親の影響だろう。とりわけ、僕自身は幼い頃に母親に連れられて近所を散歩したり、近所の公園へ出かけたりしていた。地図上北側の繁華街ではなく、南側の住宅街の方に行くことが多く、そこに行く道中には都電が走っていたから、それをよく見ていた。その影響も相まって都電が好きだった。

都電も多数の種類の電車が走っていたが、特に好きだったのは、当時大多数を占めていた7000形だった。中でも、通常塗装+正面LED細字+シングルアームパンタ化(一時期)されていたトップナンバーである7001が好きだった。

小学生も高学年ぐらいになり、一人で出かけられるようになると、やはり近所で都電を撮りに行ったりした。次第に早稲田や王子のあたりまで足を延ばすようになる。特に飛鳥山で撮ることが多かった。これが2014年のこと。

ここで都電を撮っていると、次便までの待ち時間中に沢山の都バスが走っていく。暇つぶし的な感覚で都バスを眺める。そして、次第にバスにも種類があることを知る。

ある時、祖母の家へ行く道中、1台の東武バスが自分の正面から横を走り抜けていった。そのバスは非常口が何故か前中間にあった。飛鳥山で撮った都バスは、非常口はみな後輪後ろにあるのに、何故このバスは前中間にあるのか、不思議だったがとても印象的だったのを今でも覚えている。デザインもかっこいいし、好きな車になるには時間がかからなかった。

記憶を頼りにネットで調べると、どうも日野のレインボーHRという車らしい。そしてあの都バスにも存在する。実物見たさに所属を調べると、近所だと小滝橋と巣鴨にいることが判明。小滝橋と言えば、早稲田電停の直前の交差点で曲がって来るよな……そう思った自分は、早速現地へ向かう。
(実はこの時、自分は全く意識していなかったものの、どちらの所属車もL代であり、今考えると後のフラグである)
(因みに、この時点で既に無意識ではあるが形式撮り+効率にこだわっていたらしく、早大の撮影地を試し撮りしようと調べて巡る予定だった)

現地について早々、目的の車が…!見てみるとD-H216という車らしい。調べて出てきた車と装備品が所々異なっており、これまた印象に残る。ほどなくしてまた同型車が…!こちらはE-L666という車。本命である。一通り撮れたので、撮影地を移動する。道中で交差点を左折するE-L668を撮影。第二の撮影地では、E-H117、E-H121、E-H122などの幕車を撮影することが出来た。
(E-L666という車を最初に撮れたということについても、これまた盛大なフラグであることには、当時の自分は全く気付いていない)これが2015年冬のことである。この後、自分は暫く都電と都バス(近所)両者を撮っていくことになると思っていたが、そうはならなかった。

中学に進学して通学路が変わり、毎日都電や都バスを見るようになる。今でも鮮明に覚えている。あの光景はとても好きだった。大体同じ時間に家を出るので、毎回同じような地点でF-L109やF-L744を見かける。時たま幕車が走って来たりする。練馬の池65系統の配車が固定だと気づいたのはこの時である。ただし、実際に自身で調べて証明したのは、F-L109やF-L744が廃車になる直前だったが。

変わって都電荒川線、この時だっただろうか、新型車両導入が発表。2015年5月には7007が運用離脱してしまう。7000形の完全置き換えがスタートしてしまったのだ。7000形自体は度々置き換え計画が浮上するものの、幾度となく計画変更に見舞われ、20両近くが生き延びていた。だが、今度こそは完全に置き換わってしまう。廃車になる前に記録を重ねる。ラッピングが更新される度に記録する。自分が調べた情報を基に、離脱順を推測し、離脱しやすい個体を優先的に撮影していった。

一番記憶に残っているのは、7015である。当該車両は現在7704として大規模改修されて現在も活躍しているが、この車の除籍時の動向は珍しかった。というのも、運用離脱して広告を全撤去し、後はラッピングを剥がして搬出待ちという状態であったにもかかわらず、事故(軽度)により運用に入れなくなった9002の代わりに数日復活したのである。当時中学生だった自分は、この日は平日で普通に授業があった。しかし、授業中ふと窓の外を見ると、何故か離脱したはずの7015が走っていた光景にびっくりし、放課後ロケーションを確認しつつ、急いで乗車&撮影に向かった。この時のモチベーションは、今では絶対に出ないだろう。

これほどまでの行動力があったのも、やはり7000形だったからだろう。幼いころから見て聞いて乗ってきたあの路面電車。記念乗車券も買ったし、イベントにも参加して、記念グッズを一通り買った。自分が好きだった7001は運用最終日に全区間往復乗車もした。今でも都電の運転手になるという夢は諦めてはいない。けれど、7000形が在線しない都電をこれだけの行動力をもって撮ることはないだろう。薄々そう思っていたが、実際はその通りであった。都電を撮ったのは、7000形のさよならイベントが最後だった。2017年6月のことである。

その後しばらくは鉄道の撮影をしてみるものの、機材の望遠の具合がよくなく、思うように撮れなかった。高校進学の兼ね合いで撮る暇が確保できなかったという背景もあったかもしれない。高校進学後に改めてバスを撮って見ると、機材的にも無理が無く、撮影技術も上がったため、都バスの撮影にのめり込む。この気づきを得るまでに2年近くかかってしまったため、既に古参車はL代しか残っていない状況だった。学校帰りに定番撮影地で練習しつつ、夏休みには前述した日野レインボーHRを撮るべく、怒涛の形式撮り修行と題して臨海と青梅のHRを連日撮りに行った。2019年のことである。

心配性の自分、ネット上に作例がない場合、何事も予行をしないと安心できないので、修行前に現地の下見に行き、テスト撮影なるものをやってみるのだが、この時に来たのがまさかのR-L666だった。他にも、R-L779というイケメンな車を撮れたりと、何かと満足した結果になった。臨海車の修行は予行含め計3日行ったが、全日ともR-L666が来た。これは唯一の事例だったが、ミスらずに撮れたのも何かとすごい。青梅でも似たようなことがあり、それがW-L780という車だった。

こんな具合だから、そりゃあL代が一番印象深くて好きですよねって話。初めて都バスを撮った車両の一つがL代、中学の頃からずっと見続けてきた練馬の車両もL代、都バス撮影全盛期に撮った車両もL代。
この流れが一つでもズレていたら、違う展開だったかもしれないよねとは思う。幸い、都バスは都電と違って大半が移籍するものだから、他の事業者にも興味を持ち、次第には事業者単位ではなく、車種単位で興味を持つようになり、全数調査などをやりだすようになる。

こうやって、今まで父親の影響で鉄道が好きだったのが、今ではバスが好きという具合に変化していった。

勿論、昨今Twitter上で日々散見されるような事態になることを事前に察知して、丁度いいタイミングで趣向の対象を移したと言われればそうかもしれないが、あくまでもそれは同時多発的に偶然発生した事象に過ぎないだろう。世の中の風向きがどうであれ、自分の好きなものは自分が好きだと思っている限り、変えたりはしない。永遠に。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?