祖父が亡くなったはなし

寝たきりだった祖父が老衰で亡くなったとの事で急遽帰省した。痩せ細った祖父、幼い頃抱きしめてくれた時のゴツさはなく冷たかった。
記憶の中にある元気な祖父は壮漢な人だった。優しさよりも怖さが強い、でも孫のことを可愛がってくれた。両親が共働きということもあって隣の祖父祖母の家で平日は晩ご飯を食べていたこともあってかなり関わりも多かった。

数ヶ月前から容態の悪さを聞き頻繁に帰省して会っていた事もあって寂しさは少し和らいでいた気がした。それでもぴくりとも動かない祖父は安らかな顔をしていて、もぬけの殻のような、電池が入ってないリモコンみたいな感じ。凄く奇妙な感覚だった。人が死ぬってなんなんだろうと、火葬場で考えていたが答えは出なかった。

喪主だった父はこの日が来る事を前から想定して動いており寂しさのようなものはあまり感じられなかった。悪く言えば機械的にイベントをこなしていった。少し認知症が進行しつつある祖母は当初祖父の死をあまり認識していなかったようだが、火葬され骨になった祖父をみて初めて祖父が亡くなった事を実感したようで、何度も「お爺さんが骨になってしまった」というワードを繰り返していた。母は最後のお別れの時涙ぐんでいた。関係性としてはそこまで仲がいい感じではなかった母が泣いている事の意味をずっと考えていた。
兄と弟はひょうひょうとしていて、なんだよってなったのはひみつ。

納骨を終え、東京に帰るために空港に向かうまでの車内で父が堰を切ったかのように祖父について語る姿を見て初めて「ああ、この人にとっては父親だった」という事を自覚した。父親を亡くす、母親を亡くす、どんな感覚なんだろう。覚悟を決めてから迎える死、突然迎える死、これから降りかかってくるであろう死に対しての怯えが強まった私が松山空港にいる。

温度感のある死、ちょっと怖かった。
自分はどんな死に方をするんだろうなんてちょっと考えたくないけど、死というゴールに向けてどう進むかを私たちは日々選択しているのだと気づかされた。いい死に方したいなぁ。

おわり

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