強迫性障害について

今ではもうほとんど寛解している(どうにか折り合いがついている)が小学生のころから強迫性障害になっている。当時は医者にはかかっていなかったけれども最近別案件で行った心療内科でも認定を受けた。

きっかけ

あまり初期症状のことは覚えていないが、確か最初は「ニコニコ動画の公告にやけにつっかかる」だったはず。なんかある萌えキャラの公告が出るたびに「僕は男で人間だ」だのつぶやきながら太ももあたりをこするような動作をしなければ気が済まない、そんな感じだった。はたから見たら馬鹿らしいけど当時の自分にとっては大まじめだった。

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そんな状態が数か月続いてから、あることがきっかけで病状は悪化した。たぶんきっかけが、

「さっちゃんの歌の4番目を教えると、殺しにやってくる」

というのを知ってからである。それ以来自分は「自分が話してしまったのではないか」などと記憶を反芻し不安になり…といことを毎日のように、毎時間、毎分繰り返していた。ほんとうに今となっては馬鹿らしいといえるが当時の自分は大まじめである。もちろんそういう都市伝説が本当だと信じているわけではなかったはずだけど…。

症状

ニコニコ動画の広告とさっちゃんのうただけが症状ではない。ほかにも生活に支障がでる病状が多く出ている。と、自分の症状を述べる前にまずどんな症状が知られているかを提示したい。

代表的な強迫観念と強迫行為
不潔恐怖と洗浄
汚れや細菌汚染の恐怖から過剰に手洗い、入浴、洗濯をくりかえすドアノブや手すりなど不潔だと感じるものを恐れて、さわれない。
加害恐怖
誰かに危害を加えたかもしれないという不安がこころを離れず、新聞やテレビに事件・事故として出ていないか確認したり、警察や周囲の人に確認する。
確認行為
戸締まり、ガス栓、電気器具のスイッチを過剰に確認する(何度も確認する、じっと見張る、指差し確認する、手でさわって確認するなど)。
儀式行為
自分の決めた手順でものごとを行なわないと、恐ろしいことが起きるという不安から、どんなときも同じ方法で仕事や家事をしなくてはならない。
数字へのこだわり
不吉な数字・幸運な数字に、縁起をかつぐというレベルを超えてこだわる。
物の配置、対称性などへのこだわり
物の配置に一定のこだわりがあり、必ずそうなっていないと不安になる。
出典:https://www.mhlw.go.jp/kokoro/know/disease_compel.html(厚生労働省)

一般的に有名なのは俗に言う潔癖症、自分の手などを必要以上に洗う行為だが、自分はそれにはならなかった。

自分が一番多く出たのは儀式行為である。ニコニコ動画の件のほかに、曲がり角を曲がるときに曲がり方が気になり、曲がりなおさないと嫌なことが起こる気がしてやり直す、だとか、テレビの音量を13にしないと気が済まないだとかあとは細かいことは覚えてないがものを触るときに○○回タッチするなどがあった。

加害恐怖も症状として出ていて、当時通っていた水泳教室のビート板を盗んだような錯覚に襲われる。だとか店に入るたびにものを盗んだんじゃないかと不安になる。といったものである。加害恐怖に関してはマジでシャレにならなくて自分の行動が信じられなくなった。あとは書き込んだコメントが気になって全消しして打ち直すとか、なんjとかでよく出てくる信号待ちの人を押したらどうなるんだ…とかいう思考も強迫性障害の一種なんじゃないかと予想してる。

本を読んだときに読みこぼした気がして何度も読み直すというのもあった。これは確認行為に入るのかな。おかげでまともに字も読めやしない。

悪化した結果

夏休み家から出られなくなった。何してもさっちゃんのうたしゃべってないか不安になるし、店に入ったら盗んでないか怖くなるし、動画サイト見ればわけわからん儀式しないといけないしで自分の行動すべてに疑問を投げかけるようになったため、家から、もっというと布団から出られなくなった。母親が心療内科調べてたの見たときはショックだったなぁ…。今思えばさっさと治療すりゃよかったけど。

記憶はあてにならない

大學の授業で気球実験という記憶のねつ造の実験を聞いて確信したのだが、強迫性障害において記憶は敵のようなものである。
気球実験とは、ある人に気球の写った写真を見せながら「この気球にのったことありますよね?」と何度も聞く実験だ。回答者は乗ったことがないため当然最初は否定するのだが、何度も毎日のように質問していくと様子が変わり、最終的には搭乗し、どんな風景でどう思ったかなど詳細に話し出した。別の研究でも、人がものを思い出すときには記憶を覚えるときと同じ働きをし、変わっていくというのが判明したらしい。故に強迫性障害が不安になり、物事を思い出すのは対処法としては間違っている。自分にとって都合の悪い記憶が勝手に脳が作りしてしまうのである。

儀式行為の無限ループ

儀式行為は薬物のようなものである。すると安心するが、症状が改善するわけではなく、しばらくするとまた出てくる。しかも儀式行為はおこなうたびに頻度が高くなり、最終的に儀式にかかる時間も頻度も生活に支障が出るレベルで大きくなってしまう。

じゃあどうしたの

強迫行為に対して無視した成功体験を作る。おそらくこれが一番大切。自分の場合は耐えかねて母親にさっちゃんのうたのことを教えたのがきっかけで症状が弱まった。教えても何も起こらない=不安の感情は意味ないという成功体験を生み出したことがきっかけで、儀式行為をだんだんと無視できるようになった。結局のところ自分の不安を無視する勇気が必要なのだ。辛いだろうけれどそうして無視しても問題ないそう認識させるのが一番だ。…ただこれはもしかしたら自己肯定感を失うことにつながるのかもしれない。なにせ自分の判断が間違ってるということが成功体験なのだから。ただ、少なくとも強迫性障害には効き目がある。

おわりに

あまりに病状が恥ずかしいものもあったので詳細に語ったりしたことはなかったが、精神疾患の類は共有したほうがいいとおもいここに書いておいた。今では寛解した代わりに不安障害が出てきてしまった。強迫性障害との相関はよくわからないが今度は医者とカウンターの世話になりながらどうにか解決していきたい。結局のところ精神疾患だろうがそうじゃなかろうが、自分の人生に責任と決定ができるのは自分だけなのでどうにかしたいところである。

この記事が強迫性障害の方の役に立てば光栄です。

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