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短歌合宿に詰まっていたもの

 伊藤紺さんが講師の、短歌合宿に参加した。SHIGOTABIのイベント「時間が濃くなるまち 〜富士吉田・短歌合宿〜」。結論から言ってしまえば、短歌を始めて以来もっとも凝縮された2日間。解放されたくない時間から、あっけないほど簡単に解放された。たやすく空間に恋したことは初めてだった。

自分の言葉と向き合う時間
 「目的は短歌の上達ではなく、時間をかけて自分と自分の言葉と向き合って、自由に切実に作る」。紺さんはこう打ち出していた。
 僕は綺麗な短歌を作ろうとするあまり、実景と離れたり自分が使わない言葉で短歌を詠んだりしてしまうことがよくあるから、参加することに迷いはなかった。
 憧れの歌人と近い距離で触れ合えて、考え方を知れる。最初は浮き足だっていたけど、紺さんと時間を共有するうちに、紺さんの短歌には理由や意味が素晴らしいほど密接に結びついていることに気づいた。一つ挙げるとすれば、「なんとなくの感覚をとことん掘り下げるところ」。
 例えば、楽しいってスポットライトに照らされてる感じ、と思ったとする。そのときに「それは消えたりするのか、光の色は温かめか、どんな強さか」みたいな感じ。

液体の気持ちのままで会うときは心の中で「ごめん」と思う
歌集『満ちる腕』より

 液体の気持ち、もそうだけど、紺さんの短歌は自分が言語化できないことを代わりに昇華してくれるような寄り添う力があると思っていて、それの裏付けなのかもしれないと思った。

富士吉田に抱きしめられて
 時間が濃くなるまち、富士吉田。ストレートに、ここを大好きになってしまった。
 人のよさとどこからでも富士山の見える通り。雪解け水が力強く流れる川。短歌は一瞬を切り取ってその前後を想像で補完させるもの。つまり時間を極限まで凝縮していて、富士吉田はそれをさらに濃くさせる場所だからもう大変だ。特濃ミルクだ。
 人間って、こんなに気づくことが多かったっけ。まちをおもむろに散歩した。濃縮された3時間で、気づけばカメラロールの写真は50枚を超えていた。
 シンデレラ通りに愛というスナックがあったり、手づくりのパンケーキ「クロワッサン」という名前のパン屋さんがあったり、インドに修行しに行って帰ってこないインドカレー屋さんがあったり。普通なら、ツッコミどころが山ほどあるし、自然から受け取るものも多いから気疲れしてしまう。だけど、どこか安心するのは富士吉田というまちに抱きしめられているからだろうか。

人は帰らなければいけない
 二日間とは思えないほど仲良くなった人たちも、もしかしたら二度と会うことはないかもしれない。短歌に向き合ってつくることから解放されて、また日常へと帰ってしまう。
 初日の夜、ゆるやかな時間に守られていた。受講者に何気なく「短歌なしで生きられますか?」と聞いたときに「考えたこともなかったけど、やってなかったら生きてなかったかもしれない」と話す人がいた。
 僕も紺さんの歌集から短歌にハマり、辛いことも昇華させてきた。帰る場所にも短歌が待っている。この短歌合宿の目的は、あくまで短歌との、自分の言葉との向き合い方の気付きに過ぎない。
 富士吉田も時間を濃くする方法を教えてくれるまちだった。だからこそ、また帰る場所に戻ったとしても、そう薄まるものではないんじゃないか。
 一過性のものではなくて、記憶に残り続けるもの。短歌のような、短歌合宿だった。

2/23 短歌合宿で詠んだ短歌

RPGの最初の町なのにもうラスボスが見える富士吉田

自販機で買ったあんこを手で食べるついたすべての正義を舐めて

この星が荒廃してもシャトレーゼきみの明るいままのショーケース

車両記号「ワフ」の貨物はおいでって鳴らせば「ワフ」と寝起きで走る

桂花茶ができるまで待つうれしいね季節もやがて右に灯って

2/24 短歌合宿を終えて詠んだ短歌

角の折れた半券をまだ持っていて富士山みたいで美しいんだ

2/11 NEWoManワークショップで詠んだ短歌(題:うれしい気持ち)

沈黙のあとに返事を聴くときに遠い花火のようなうれしさ

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