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不便なコト・モノが流行るこの世の中で

 不便さを愛そう。今日はそんな話がしたい。

「矛盾」と「前置き」
 難しそうな話は導入のみで。
 しあわせ、と人々が感じる国は発展途上国が多く、日本はそれを感じている人が少ない。いわゆる幸福度の話。実に不思議だ。
 途上国は遊びの種類や生活の形が限られてるから、多くを求めない。逆に日本は多様化、便利化して満たされてるから、不満も出やすい。

 日本人はどこか他人と比べたがりで、人の目を気にする。水準が高いからこそ、他人が羨ましいという思いを抱く。ぜいたくものとでも言うべきか。
 だけど、これも変わってきているんじゃないか。新たな風は吹いている。

「不便さ」と「趣」
 
レコードに写ルンです、銭湯。レトロブームが今、熱い。
 アンティークなものは感じる年月の分までいつだって魅力的で、フィルムカメラやら写ルンですやら、撮ってみないとわからないのに使う人が増えている。言ってしまうとスマホの方がよっぽど楽だ。(かくいう自分も一眼レフは持っているが)
 ただ、一手間かかることで、愛おしさが増す。手がかかる我が子を育てているといった感じか。
 人間が作り為す文明は進化してきた。無駄は省かれ淘汰されたはずだ。なのにどうして、と思う。
 昨今、謎の感情が人々に芽生えている。「エモい」。この感情がレトロブームに拍車をかけている。今から読み解こう。

逆転の発想1
 
西武園ゆうえんちが2021年5月、新たにリニューアルする。さぞかし新しくなるのか、と思いきや...

タイムスリップしたかと思うほど、真逆な方向に行っている。大丈夫か!西武園ゆうえんち...
 まだ早とちりか。テーマは「1960年代の懐かしさ」だ。

今年開業70周年を迎える西武園ゆうえんちの再生に向けた改装のコンセプトは「心あたたまる幸福感に包まれる世界」。(日本経済新聞)
メインターゲットは、1960年代の世界観になつかしさを感じる年配の世代ではなく、若者を想定している。プロジェクトにおける調査の結果、「そういう世界に魅力を感じて、最も来場意向を強く示すのは10代後半から20代の若者。なぜかと掘り下げると、1960年代を幸せと感じるように脳内の回路に刷り込まれていた。若い方は非常に斬新に感じながらも、懐かしいという反応をする」(東洋経済オンライン)

 言葉にはされていないが、これが「エモい」なのではないか。エモい、を冷静に考えたことはないが、「昔って良いな」という懐古と羨む心。そして心ドキドキする幸福感。と置き換えてみる。
 戦後の日本は貧しくも、幸せだった。とよく聞く。映画「ALWAYS 三丁目の夕日」を見ていると、良い時代なんだな、と思わせられる。
 コンセプトに戻ると、「心あたたまる幸福感に包まれる世界」。先の「矛盾」と「前置き」で話した幸福度の話と似ている。
 今、幸せじゃない日本だからこそ「エモい」は存在する。そんな気がしてならない。

逆転の発想2
 ユニクロがなぜ人気になったかを知っているだろうか。ターゲットを「服に興味がない人」に絞ったからだ。
 服を選びたい、ファッションが好きだ、という人より「服を選ぶことがストレス」という人の方が多い。実際の業績は推して知るべしだ。選ばない、を選ぶ。これも一種の矛盾か。
 「逆転の発想」を代表するような、面白いお店がある。

「注文をまちがえる料理店」

 認知症の方が働くレストランだ。注文が思い通りに来るかは分からない。普通なら食べたいものを食べるために、料理店は存在するのに。
 違うご飯だけど、美味しそうなご飯だしいっか。なんておおらかな心が日本中で広がってほしい、というコンセプトがあるそうだ。
 今日話したことで、共通点がある。

不便さは人の心を豊かにする

 ということ。人間は「かもしれない」という状況で興奮する生き物なのだそうだ。
 写ルンですで、ちゃんと写真が撮れているかもしれない。注文をまちがえる料理店で、料理がちゃんと来るかもしれない。好きな人と、もう少しで付き合えるかもしれない。昔って、良かったのかもしれない。
 全てが揃っている世の中だからこそ、不便さを愛そう。不便さって、良いものなのかもしれない。

※$hougekiさんがさらに深く考察してくれました。自分の考えとまた違っていることもありためになる...ありがとうございます!良ければご覧下さい。

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