さらばプレーヤーの自分

マネージャーになった日

その日の事は今でも覚えています。夜の7時半くらいに、自分の学年のリーダーから電話がかかってきました。今日マネージャーを誰にするか話し合って、田村にやってもらうことになったからって内容でした。覚悟は出来ていたので、やると返事しました。数分で電話は終わり、悔しさよりもホッとした自分がいました。怪我して走れなくなって憂鬱になったり、ポイント練習で離れて惨めな思いをしなくていいんだ。体重気にしなくていいんだ。そんな事を思っていました。悔しさは全くなかったです。ただ、マネージャーになると拘束時間が長くなるって聞いてたので、自分の時間が無くなるんじゃないかという不安がありました。

新しいパソコンを買っておいた

実は、夏休みの時から自分はマネージャーになるんじゃないかと予測していました。現実的にはここから大幅自己ベスト更新は難しい。でも諦めたくない。この二つの感情で揺らいでいました。正直しんどかったです。しかし、9月中旬に自分のノートパソコンが壊れた事をきっかけでもうマネージャーになるしかないのかなって強く思いました。パソコンが壊れることとマネージャーってなんの関係あるの?って思うかもしれないですが、研究室でマネージャーがパソコンを使っているのを見ていたので、マネージャーになるとパソコンが必要なんだなと思っていました。選手時代も授業のレポート作成や動画鑑賞で使っていたけど、キャンパスのパソコンでレポート作成は出来るし、動画もスマホで見れるので、ノートパソコンの必要性がなくなっていました。でも、これからマネージャーになるとしたらパソコンは必要となる。しょうがない。買おう。オフを利用して秋葉原を歩き回ってレノボのノートパソコンを買いました。同時に、マネージャーになる覚悟も決めました。

マネージャーになってからの目標

マネージャーに転向してから正直何を目標に頑張ればいいのか分かりませんでした。チーム・選手を支える事にやりがいをまだ持ててなくて、仕事も覚えられず目標を立ててる余裕がなかったです。まずは目の前の仕事がんばろうってなって、一生懸命取り組むしかないと切り替えた覚えがあります。転向後すぐに箱根駅伝予選会があったのですが、チームの事よりマネージャーの仕事でいっぱいいっぱいで結果の事とかよく覚えていません。仕事早く覚えて、チームを支える。これが最初の目標だったのかもしれません。今までいた世界を別の視点から見たり取り組んだりしてこなかったので、当時の自分を振り返ると大変だったんだろうなと思います。もし、当時の自分に声をかけるとしたら「今は大変だけどこれから面白くなるから!」って言ってあげたいです。


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