金魚の面影。
花子。太郎。次郎。
数学の問題に出てきそうな、いかにもありきたりな名前を持つのは、目の前の水槽の中を悠々と泳ぐ金魚たちだ。
三年前の夏。
彼は羽織っていたシャツの腕の部分を捲くり上げ、子どものような無邪気な顔でポイを水の中に入れた。
紺色に朝顔の咲いた浴衣を着て、普段は絶対にしないヘアアレンジをした私も、隣で泳ぐ金魚を眺めていた。
「ねえ、あのおっきいのとってよ。」
「はあ、あんなの狙ったらすぐに破れるって!」
「それは圭介がヘタクソだからでしょー?」
あの時の会話を、何故か今でも鮮明に思い出せる。
結局彼は、私がリクエストした一番大きい赤の金魚を狙い、見事に撃沈した。
「あーぁ、やっぱり。」
「あれだけ張り切ってたのにね。」
子どもに混じって、子どもの様に落ち込む彼を見た金魚屋のおじさんは、ゲラゲラと笑いながら「オマケだ」と、一番大きい赤の金魚と小さい赤の金魚と小さい黒の出目金をくれた。
そのあと彼は、無駄に大きな水槽を買い、自分は生き物を飼うのが得意ではないから、と私の部屋に金魚を置いた。
無駄に大きい水槽は、引っ越す際、無駄に大きすぎるせいで運ぶのにとても苦労した。
女ボスって感じだから一番大きいのが花子。
次の赤いのが太郎。
その子分っぽいから黒い出目金が次郎。
滅茶苦茶な理由で滅茶苦茶な名前を付けられた金魚たちは、私の甲斐甲斐しい世話のおかげで、二倍ほどの大きさになり、特に花子は一段と女ボス感が増した。
部屋の中、金魚を見ていると、花火の音が鳴り始めた。今年も始まったのだ。
三年前にこの金魚たちを受け取った彼は、今、私の隣には居ない。
でも、金魚たちは今も私の目の前で悠々と泳いでいる。
きっと、彼と出会わなければ、私は花子と太郎と次郎の世話をすることはなかった。
人生は、きっとそういうことなのだ。
花火の音と、泳ぐ金魚を前に、私はぼんやりそんなことを思っている。
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