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【ネタバレあり】映画『まく子』感想【大人になるのも悪くない】


こんにちは。これです。


いつものように今回のnoteも映画の感想です。今回観た映画は『まく子』。『サラバ!』の西加奈子さん原作ですから、一定の面白さは保証されているようなものですし、何より鶴岡慧子監督が上田市出身。『あみこ』の山中瑶子監督もそうですが、長野県出身の監督は無条件で応援したいのです。


それもあってか、今回地方の長野では、この規模の映画にしては珍しく公開日と同時に公開。観たところ、少年の成長をボーイミーツガール風味で描いた良作でした。観終わった後に幸せな余韻が残るいい映画ですね。


では、感想を始めたいと思います。なお、西加奈子さんの原作は未読ですので、そのつもりでよろしくお願いします。







―目次― ・大人になりたくない少年とボーイミーツガール ・「未来」を肯定する映画 ・「再生」と「許す」ということ ・おまけ




―あらすじ― ひなびた温泉街の旅館の息子・サトシは、小学5年生。自分の体の変化に悩み、女好きの父親に反感を抱いていた。ある日、美しい少女・コズエが転入してくる。言動がどこか不思議なコズエに最初は困惑していたサトシだったが、次第に彼女に魅せられていく。そして、「ある星から来たの。」と信じがたい秘密を打ち明けるコズエが、やがて町の人々みんなにまいたものとは...。かけがえのない思春期を生きるサトシの葛藤とコズエとのせつない初恋を軸に、家族を愛しながらも浮気をしてしまう父親、それを知りながら明るくふるまう母親、道ならぬ恋をする若い女性、訳あり親子......小さな町のどこか不器用な人々を映し出す。 (映画『まく子』公式サイトより引用)



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※ここからの内容は映画のネタバレを含みます。ご注意ください。





・大人になりたくない少年とボーイミーツガール


小学生とは多感な時期です。今までになく他人と過ごす時間が長くなり、異性と接する機会も多くなりますよね。低学年のうちは、本人にとっては重大ですが、まだ惚れた惚れたは一種のジョークで済みます。しかし、これが高学年ともなるとそうはいかなくなります。第二次性徴思春期。喉仏が出だし、体もガッチリとしてくる。胸が膨らみだし、月経も始まる。異性に対する意識も高まり、その視線は生々しさを増していきます。第二次性徴が早く表れた子をいじるのは小学生の常。映画でも心無い男子がある女子のことを「生理」とからかっていたのにはリアリティがありました。


今作の主人公・サトシもそんな思春期の真っただ中です。筋肉がつきだし、体は勝手に大人になっていきますが、声変わりはまだしないまま。精通も開始時点ではまだのようです。このサトシを演じていたのが「真夏の方程式」などに出演した山崎光さん。映画撮影時は14歳だったそうですが、ちょっと大人びた11歳を等身大に演じていました。


サトシは大人になりたくない少年です。小学生にもなると現実が見えてくるわけですよ。夢はほとんど叶わない。毎日の仕事にくたびれてばかり。晩酌をしながら愚痴をこぼす父親の姿には夢も希望もあったもんじゃありません。要は大人になることへの楽しみが見いだせない。明るい未来が描けない。サトシの周りにも浮気性な父親・光一や昼間から子供たちに向かって漫画を読んでいるドノなどいわゆるダメな大人がたくさん。「この街にはなりたいと思える大人なんて誰一人としていない」と幻滅し、子どものままでいいと未来を拒絶しています。


それに説得力を持たせていたのがこの映画のロケーション。『まく子』は群馬の四万温泉で撮影されています。「世のちり洗う四万温泉」で有名ですよね。この四万温泉の雰囲気が抜群なんですよ。いい意味で寂れていて、こじんまりとしていて閉鎖的。四方を山に囲まれていて、閉じ込められている感があります。冒頭に映る険しい崖が少年たちの飛躍を阻んでいるようで、この狭い場所から出ていきたいと思わせるには十分でした。これが開放的な海辺の町ならこうはならなかったはず。最高の選択ですね。





ある日、サトシの通う学校に謎の少女・コズエが転入してきます。このコズエを演じたのが、今作で映画初主演を果たした新音さん。イギリス人とのハーフでその整った顔立ちはどこかエキゾチックで、寂れた田舎町ではいい意味で浮いていました。初登場時の白いドレスが印象的です。演技は少しぎこちないところもあったのですが、全体的に静かな役どころを控えめに演じていましたね。高身長からくる存在感といい塩梅でした。


母親と一緒にサトシの実家のあかつき荘に住み始めるコズエ。ボーイミーツガールの始まりです。コズエはサトシに「一緒に帰ろう」と一気に距離を縮めてきますし、口調もサトシに興味津々といった様子。振り向いたらすぐ後ろにいるという近さと、二人一緒に木の根元にちょこんと座っている姿がとてもかわいらしかったです。落ち葉を撒くコズエの姿も。


ここで11歳っていう年齢設定がいいんですよね。9歳だと子供過ぎるし、13歳だと生々しくなる。適度に重みのある年齢で、二人が過ごす一瞬一瞬には瑞々しさがありました。落ち葉や冬の枯れた景色を二人の色彩が上書きしていて、地味な画面でも明るさを感じます。移り気な瞬間がスナップ写真のように閉じ込められていて、きれいでしたね。


ある日、コズエはサトシに「自分は宇宙人」だと告白します。「自分の住んでいる星では年齢という概念がない」「人口がどんどん増えていって、『死ぬ』という選択肢が出てきた」「でも『死ぬ』といったことがどういうことか分からないから地球にやってきた」と。『まく子』ではこれらのことが砂を用いたサンドアートで説明されるのですが、細かい粒子が一つの絵を作る姿はとても幻想的で神秘的でした。







・「未来」を肯定する映画


さて、小学生になると訪れる変化がもう一つあります。それは「死」を認識するということです。いつか自分の命も終わってしまうということを知る。目を閉じると真っ暗闇で「ああ死ぬときってこんな感じなんだろうな」と感じ、怖くて眠れない夜を過ごしたという経験がある人も多いのではないでしょうか。一日一日が終わるごとに自分が一歩一歩死へと近づいていく。自分の時間を今日で止められればもう老いることはないし、死ぬこともない。


そして、サトシも同じように感じていました。「死ぬために成長していくなんて残酷だよ」と。大人になるということはゆっくりと死んでいくのと同じこと。「死」により一層の恐怖を感じる小学生のサトシならなおさらです。いつまでも子どものままで生きていたい。


ただ、コズエは大人になることを肯定するんですよね。地球人は体を構成する粒がどんどん変わってまるで別人のようになっていくけど、コズエを構成する粒は変化することがない。コズエはそれを羨ましがって「体が変わるのって面白いよ」「それが大人になることなら私は楽しい」と予告編でも語っています。ここでの「変わる」ということは「大人になること」=「未来」なんですよ。


そしてコズエの理論に従えば、大人である私たちの粒もどんどん変わっていっているはずなんです。つまりは子どもと同じく大人にも「未来」があるということ。でもってコズエはその「未来」を肯定してくれるんですよね。それもとびっきり力強く。その力強さが私たち大人にもまだ希望はあると示唆しているようで、前向きで暖かい気持ちになりました。








・「再生」と「許す」ということ


また、この映画のテーマの一つとして「再生」というものがありました。この映画では「サイセ祭り」という行事がありました。子どもたちが自分たちで作った神輿を担いで、担いだ神輿を岩にぶつけて壊し、火にくべて燃やすという「サイセ祭り」。最初は、なんじゃこの奇祭と思っていたんですけど、この祭りが人生のメタファーとして機能してるんですよね。「壊される=死ぬために作られた=生まれた」という点で。


そして、「サイセ」はお気づきの通り「再生」です。『まく子』では、サトシと父親・光一との関係や光一とその妻・明美との関係、そしてひいては町全体が「再生」されていきました。ここで触れたいのはサトシと光一の「再生」ですね。先にも書いた通り、光一は浮気性のダメ男です。この光一を演じていたのが草彅剛さんですが、かつての爽やかなイメージとは一変して、実にどうしようもない男でした。おにぎりを握るシーンの一方的さはひどいですよね。タバコを吸っている姿には色気がありましたけど。


サトシも父親である光一を最初は嫌がっていましたが、最後には「許す」ことになります。それは、どうしようもないドノにもいい面を見つけたりして、大人はそんなに悪いもんじゃないと思い始めたこともあるんですけど、私はそれよりもサトシの精神面での成長が大きいかなって。サトシはコズエと交流していくうちに「死」を受け入れられるようになっていくんですけど、私はそれは「死」が終わりではないということに気づいたからだと考えています。


コズエは映画の中で「小さな永遠」について語っていました。不老不死である自分たちには「小さな永遠」はあるが、星の存続という「大きな永遠」は果たせないと。人間は死ぬので「小さな永遠」はありませんよね。そんな人間がどうやって「大きな永遠」(この場合は種の存続)を成し遂げようとするかというと「子孫を残す」ことなんですよね。


そして、サトシは気づくわけですよ。今の自分があるのは光一のおかげだって。ダメなところもあるけど「許し」て「受け入れ」ようって。最後には歩み寄って「再生」していくサトシと光一の関係。このときのサトシの顔は映画開始時の子どものような顔から大人へと変貌を遂げていました。


サトシは映画の中で精通も経験し、だんだん大人へと近づいていきます。それは自らが子孫を残せる側に回っていくということ。これは大人になるという大きなメリットです。コズエは落ち葉や紙で作った花など様々なものを「撒く」子でしたが、子孫を残すことはできません。しかし、サトシは次世代に種を「蒔く」ことができます。その変化を前向きに受け入れられるようになったサトシは、肉体面以上に精神面で大きな成長を遂げました。『まく子』は私の大好きな少年の成長物語を実に正しく描いていました。良作です。



そして、『まく子』は私たちにも良い影響を与えてくれます。この映画では「許す」という言葉が一つのキーワードになっていました。この「許す」ということには優しさが必要になりますよね。この映画は「許す」シーンが何度も登場し、最後も「許し」で幕を閉じるんですよ。それはすなわちこの映画が優しさで溢れていたということ。さらに、前述したように「未来を肯定する」といったエネルギーもほとばしってるんですよ、『まく子』には。


こうした二つの正のエネルギーによって、疲れていた私たちの心も「再生」されていく。観終わった後の爽やかさは今年観た映画の中でも屈指で、『まく子』は私たちに希望を「撒いて」くれる素敵な映画でした高橋優さんの主題歌もバッチリ合ってます。「若気の至り」っていうタイトルからして最高ですし、歌詞も思春期の名状しがたい感情が歌われていてジーンとくるんですよね。今年観た映画の主題歌の中では個人的には一番です。


もしかしたら、コズエは普通の人間かもしれない。最初から存在していなかったのかもしれないし、みんなが幻覚を見てたのかもしれない。全てはサトシの夢の中の話だったのかも。でも、いいんです。「信じたいことを信じる」。『まく子』で描かれた触ると壊れてしまうような淡い一瞬一瞬を私は信じたいです。だってその方が綺麗だから。幸せな気持ちになれるから。生きていくのは、大人になるのは、変わっていくのは悪いことばっかりじゃない。「未来を信じる」強さを『まく子』に撒かれた思いです。観終わった後は暖かい気持ちになれる。疲れた大人にオススメしたい素敵な映画です。








・おまけ


最後になりますけど、この映画を見たときに私は懐かしい気持ちを感じたんですね。観終わった後の爽快感。これは身に覚えがあるぞ、と。そして、考えた結果分かりました。『ペンギン・ハイウェイ』です。『まく子』は『ペンギン・ハイウェイ』と同じ系統なんです。



まず、少年の成長という大本のテーマが一緒ですし、サトシよりも高身長でエキゾチックなコズエは、同い年ですけどお姉さんです。お姉さんがおっぱいならコズエは脚。さらに、どちらにもSF要素があり、同じ「死」を扱っていて、何よりどちらも主題歌が最高。これらの共通点を考えれば、去年『ペンギン・ハイウェイ』を年間ベストに推した身としては、『まく子』にも高評価以外はあり得ません。


どうしてもエンターテイメント性では『ペンギン・ハイウェイ』に軍配が上がりますが、ボーイミーツガールの関係を描くという面では『まく子』も負けていません。個人的にラストは『まく子』の方が好きまであります。『ペンギン・ハイウェイ』が好きな方はきっと気に入ると思いますので、強く強くオススメしたいと思います。ぜひ観てみてください。







以上で感想は終了となります。映画『まく子』。心がほんわかと暖かくなる映画ですし、大人になった、もしくはなりきれていない私たちの心に爽やかな風を吹き込んでくれる良質な108分でした。鶴岡監督はこれが商業映画デビューということですが、これだけの良作を作り上げたということで、これからも注目したいですね。


公開規模はそこまで大きくないですが、今の季節にオススメしたい映画『まく子』。よければ観てみてください。劇場情報はこちらです。


お読みいただきありがとうございました。

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