【ネタバレあり】映画『さよならくちびる』感想【「歌い継がれる」という音楽の理想】
こんにちは。これです。今回のnoteも映画の感想です。
今回観た映画は『さよならくちびる』。小松菜奈さんと門脇麦さんダブル主演の青春音楽映画です。本当は先週観たかったのですが、仕事終わりに観られるようなじかんにやっていなかったのと、引っ越しで立て込んでいたのもあり、このタイミングでの鑑賞となりました。
で、観たところ個人的にかなり好きな映画でした。でも、そんなに観られていないっぽいんですよね…。先週一日4回あったのが、今週はもう1回に減らされていて、しかも木曜でいったん終了ってどういうことよ…。みんなもっと観てよ…。
では、その悔しい気持ちも抱きつつ、感想を始めたいと思います。いつもの通り拙い文章ですが、今回もお付き合いいただけると幸いです。よろしくお願いいたします。
―目次― ・小松菜奈さんと門脇麦さんがかっこいい ・音楽が映画の内容にマッチしている ・劇的なことは起こらない ・「歌い継がれる」という音楽の理想
―あらすじ― 「二人とも本当に解散の決心は変わらないんだな?」全国7都市を回るツアーへの出発の朝、車に乗り込んだデュオ〈ハルレオ〉のハル(門脇麦)とレオ(小松菜奈)に、ローディ兼マネージャーのシマ(成田凌)が確認する。うなずく二人にシマは、「最後のライブでハルレオは解散」と宣言するのだった。 2018年7月14日、解散ツアー初日から波乱は起きる。別行動をとったレオが、ライブに遅刻したのだ。険悪なムードの中、「今日が何の日かくらい憶えているよ」と、小さな封筒をハルに押し付けるレオ。しばらくして、何ごともなかったかのようにステージに現れるハルレオ。トレードマークのツナギ姿に、アコースティックギター。後ろでシマが、「たちまち嵐」を歌う二人をタンバリンでサポートする。 次の街へ向かう車の中、助手席でレオからもらった封筒を開けるハルを見て、「そうか、今日はハルの誕生日か」と呟くシマに、「違うよ。初めてレオに声をかけた日だよ」と答えるハル。二人が出会ったのは、バイト先のクリーニング工場。上司に叱られ、むくれていたレオを、ハルがいきなり「ねえ、音楽やらない?あたしと」と誘ったのだ。 その瞬間から、ずっと孤独だった二人の心が共鳴し始めた。ハルからギターを習って音楽を奏でる喜びを知るレオ。そんなレオを優しく見守るハル。レオの歌とギターは上達し、二人は路上で歌うようになった。 少しずつ人気が出始め、ライブツアーに出ることにしたハルレオは、ローディを探す。その時、「ハルさんの曲と詞のセンスが好きだから」と名乗りを上げたのが、元ホストのシマだった。売れたバンドが使っていたというツアー車を用意し、「俺らも行けるところまで突っ走る」と煽るシマに、ハルとレオも自分の夢を叫んで拳を振り上げた。 地方ライブの集客も増え、若い女性を中心にさらに人気が広がっていくハルレオ。だが、誰も予期しなかった恋心が芽生えたことをきっかけに、3人の関係は少しずつこじれていく。さらに、曲作りにかかわらないレオが、音楽をやる意味を見失っていった。各々が想いをぶつけ合い、名曲と名演奏が生まれていくが、溝は深まるばかり。ついに、この解散ツアーへと旅立つまで心が離れてしまった。 三重、大阪、新潟、山形、青森と、思い出の詰まったライブハウスを巡って行くハルレオ。もはやほとんど口もきかないが、ギターもコーラスもピタリと息が合い、その歌声は聴く者の心の奥深くへと届いていく。そしていよいよ3人は、北海道・函館のラストライブに向かうのだが――。 (映画『さよならくちびる』公式サイトより引用)
映画情報は公式サイトをご覧ください
※ここからの内容は映画のネタバレを含みます。ご注意ください。
・小松菜奈さんと門脇麦さんがかっこいい
『さよならくちびる』は小松菜奈さんと門脇麦さんのダブル主演が話題の映画です。この映画を観て私が二人に抱いた印象はかっこいいというものでした。可愛いではありません。かっこいいです。
まず、小松菜奈さんは、カリスマ的人気を誇るレオを演じていましたが、スタイルの良さはもちろん凛とした演技で、その人気も納得できる存在感を放っていました。でも、レオというのは持たざる者なので、苦悩も演じなければならない役柄でしたけど、そちらの方もバッチリ。近寄りがたい印象もあるレオを感情移入しやすくしていました。映画を観ていてどんどんレオが好きになっていきましたね、私は。
一方の門脇麦さん。個人的に門脇さんは今日本でもトップクラスに好きな女優さんなので、今回『さよならくちびる』を観に行ったのも、門脇さんが出ているからというのが主な理由だったのですが、まあ最高でしたよ。才能はあるんだけども、その才能に絡めとられていて、3人の中で一番将来像が描けないハルというキャラクターに見事にマッチしていました。純粋無垢な役柄よりも複雑な役柄を演じるのが門脇さんの真骨頂ですね。ぶっきらぼうな口調がよかったです。
そして、『さよならくちびる』が持つ険悪で退廃的な雰囲気がさらに二人のかっこよさを際立たせているんですよ。本番以外だと表面上はドライ、互いに互いを思っているんだけど不器用なゆえに結果的にドライになってしまっている関係性がとにかく良くて。特にお酒とタバコが多く登場しているのが最高でしたね。
まず、門脇さんはいま日本で一番タバコを吸う姿が似合う女優さんです。制作側もそのことを分かっていたのか事あるごとに吸わせていて、特に社内でタバコを吸っている姿にやられました。さらに、小松さんもかなりタバコを吸っているんですよね。私はタバコそのものは嫌いだけど、美人がタバコを吸っている姿は好きというわりとろくでもない人間なのですが、そんな私の性癖にガンガン刺さりまくりました。
また、小松さんはお酒もかなり飲んでいるんですよね。ステージの上ではそんな素振りは見せないカリスマ的存在なのに、裏では酒は飲むわタバコは吸うわで人間臭くて、そのギャップにグッときます。二人ともある種のアウトロー感が感じられて、親近感がわきます。『愛がなんだ』もそうでしたけど、溺れない程度にお酒を登場させるのは、キャラクターとの距離を縮めてくれる働きをしてくれますね。
それに、二人がギターを持って歌う姿は、計り知れない切なさがありますし、歌声も爽やかなんですけど哀愁が感じられてグッとくる。さらに、予告にもある通り二人の百合的展開もそれなりに用意されているのが清涼剤になっていて良い。映画の序盤の回想で二人がハルの部屋でギターを練習したり、カレーライスを食べたりするシーンがあるのですが、そこのキラキラっぷりよ。控えめに言って最高ですし、キラキラしているだけでなく切なく苦しい百合もあって、その落差にやられました。これは何としても観てほしい。
また、『さよならくちびる』ではハルレオの二人に加えて、二人のローディーを務めた成田凌さん演じるシマもよかったことに触れないわけにはいきません。個人的に成田さんは今年だけで『チワワちゃん』『翔んで埼玉』『愛がなんだ』に続いて4作目で、まさに今をときめく俳優さんなのですが、『さよならくちびる』の成田さんは、今年一番頼りがいのある成田さんでした。まあダメな男なんですが、他の三作がダメダメな男だったこともあって相対的にですね。ハルとレオの間に入ってうまくバランスを取りながらも、自らも苦悩を抱えているシマを少ないセリフで見事に演じ切っていました。誰もが挙げると思いますけど、ハルレオのラストステージ直前のシーンが好きですね。今まで溜めてきた感情を吐露していてカタルシスを感じました。
・音楽が映画の内容にマッチしている
さて、『さよならくちびる』の最大の特長といえば、秦基博さんとあいみょんさんが手がけた主題歌・挿入歌でしょう。この映画を語るうえで欠かせない音楽面について、ここで軽く触れたいと思います。
秦さんが提供した「さよならくちびる」。映画のタイトルと同じ名を持つこの曲は、いい意味で「秦さんの曲」ではなく「ハルレオの曲」になっていました。映画用に書き下ろされたということで、歌詞が展開と密接にリンクしているんですよね。「灰色の後悔が~」や「あふれそうな言葉を~」など。映画の結末も「二秒後の私たち~」そのものですし。自分よりも映画に合うことを優先したであろう秦さんはこの映画の功労者の一人です。
一方のあいみょんさんが書き下ろした「たちまち嵐」「誰にだって訳がある」。こちらは笑ってしまうくらいあいみょんさん感が爆発していました。ハルレオが歌っているのにあいみょんさんの顔が浮かんでくるくらいです。でも、女性でギターの弾き語りをされている方は多数いて、曲もオーソドックスなものだったんですけど、いの一番にあいみょんさんが浮かぶのは、それだけ売れて認知されている証なのかなーとも思います。
ただ、隠し切れないあいみょんさん感でも、やはり映画の内容に即しているのは流石だなと感じました(書き下ろしな以上、即してないと意味がないけど)。「たちまち嵐」はライフゴーズオン的な希望を歌っていて、映画の大筋のストーリーそのものでしたし、「誰にだって訳がある」はハルとレオが音楽をする理由を多いに語っています。あまり説明が多くないこの映画でも、大事なことは歌に込められており、なんか正しく音楽映画だなって感じました。
あとは劇伴もよかったですね。ギターのしっとりとしたストロークが多くて、3人の苦悩を浮かび上がらせていました。こちらもオススメです。
・劇的なことは起こらない
『さよならくちびる』はハルレオが解散するという説明から始まります。映画の冒頭で既にハルとレオの二人の関係は壊れてしまっていました。シマを加えた3人で、全国を解散ツアーで回ります。最初はお客さんも入らないのですが、解散ツアーと分かった瞬間にライブハウスは満員になる(ここ辛いよね。解散にならないと来てもらえないなんて)。そして、最後のステージを終えた3人の行く末は―というのがざっくりとしたストーリーです。
まず、冒頭のシーンが個人的にはものすごく好きでして。最初に車内でハルはタバコを吸って、レオはハンバーガーを食べています。飲食禁止、禁煙なはずのルールはすっかり形骸化してるんですけど、注目したいのはこの後。次のシーンではレオがタバコを吸って、ハルはリンゴを食べています。ここに二人の同一性とはいかないまでも近似性を感じて、一気に映画に引き込まれました。
また、私が『さよならくちびる』を好きな理由に、ハルとレオ、それにシマの3人がちゃんと苦悩しているというものがあります。レオはハルに誘われて音楽を始めた、才能のあるハルとは違ういわば「持たざる者」。自分が音楽をやる理由は何だろうと悩んでいて、その苦悩がレオをとても魅力的なキャラクターにしていると感じました。
そして、ハルはレオが好きです。なので、ハルにとってレオの苦悩は自分の苦悩も同然です。「これ以上ボロボロになっていくレオを見るのが辛い」と言っていましたしね。また、ハル自身もレズビアンということで良識的な家族の中で苦労しているようでしたし、将来像が描けていないことも含めて、3人の中で一番悩んでいる印象を受けました。逃げるようにタバコを吸う姿がよかったなぁ。
また、シマはシマで過去に自身のバンドが解散していますし、自分のせいで他のバンドも解散させたりしています。3人とも音楽のせいで苦悩しているんです。だからこそ、ラストライブ前のシマのセリフが生きてくるんですが。
そして、ここが一番のポイントなのですが、この映画って劇的な事件が起こらないんですよ。いきなり普通のアパートの遠景で映画は始まりますし、その後も3人の旅路とライブをただ映しているだけ。わかりやすく分岐点となる大きな出来事はついに訪れません。ハルレオの解散ツアーという特別な展開の普段を切り取ったのが『さよならくちびる』という映画であり、エポックメイキングな騒動を映画に求めている人には受け入れられづらいと思われます。
でも、個人的にはこのスタンスがとても好きでして。だって生きていくうえで劇的な瞬間ってそう何度も訪れるものではないじゃないですか。ハルレオが解散を決めた理由だって本編中に明かされることはないですし。「ちょっとしたことが積み重なってなんか嫌になった」みたいな感じだと思うんですが、それってすごいリアルだなって思います。
で、『さよならくちびる』はそれをわざわざセリフで説明するのではなく、演出で醸し出すんですよね。3人の車の中の様子や歩き方一つをとっただけで、今3人に何が起こっているのか分かるのは凄いと思います。説明しすぎないんですけど、最低限分かるだけの情報は提示されているところが好きですね。
はっきり言ってしまうと、『さよならくちびる』は3人の関係性の修復、再生の物語なんですよ。3人が解散ツアーの中で自分と2人を見つめ、前に進んでいくというプラスのエネルギーが『さよならくちびる』の物語を形作っています。
でも、劇中で起こる展開は決していいモノではなく、むしろ悪いモノばかり。普通なら映画の雰囲気はますます険悪になっていくところなんですが、『さよならくちびる』では、不思議と良好なものになっていくんですよね。スタートが最低でゴールが最高になっているといいますか。気づくと化かされたみたいに、爽やかな展開になっているんですよ。3人がそれぞれの苦悩をさらけ出し、本気でぶつかっていったからでしょうか。音楽青春映画と謳っていましたけど、その名に恥じないだけの爽快感がありました。
それに、終わり方も最高で。映画の展開的に続行は嫌だな、もし続行を選んだら論外だなと思っていたんですが、映画を観ているうちに解散はしてほしくないなとも感じてくるんですよね。どうすんだろこれと思っていたんですけど、ハルとレオの答えが、この映画に限ってはパーフェクトなもので。スッと胸に落ちて、良好な気分で映画館を後にすることができました。頭の中で「たちまち嵐」の歌詞が思い起こされて、幸せな余韻がありました。展開は大概クソなのに観終わった後は幸せになれるのは素晴らしいですね。
・「歌い継がれる」という音楽の理想
さて、いきなり別の映画の話で申し訳ないのですが、『さよならくちびる』と同時期に公開された音楽映画に『小さな恋のうた』があります。こちらも傑作なのでぜひ観ていただきたいのですが、『小さな恋のうた』では「やさしい歌が世界を変える」と歌われていました。音楽の一つの理想や希望が提示されているのですが、『さよならくちびる』もまた音楽の理想や希望が提示されています。しかし、それは『小さな恋のうた』とはまた違っていて、『さよならくちびる』で提示された音楽の理想は「歌い継がれる」ことです。
ハルレオのラストライブで、一曲目の「たちまち嵐」の際にホールではシンガロングが発生しました。会場が一つの生き物みたいに歌う姿は『ボヘミアン・ラプソディ』を思い起こさせて、とても感動的なものでしたが、ここでのポイントは「ハルレオの歌が他の誰かの歌になっている」ということなんですよね。
劇中でハルレオのファンに対するインタビューが行われました。私はここを極めて重要なシーンだと捉えていまして。なにが重要かというと、答えた人が全員「なんというか…」で始まっていて語彙力が低いところです。語彙力が低い、ヤバいとしか言えない人でも「なんかいいな」って感じて、歌うことができる。聞き手のレベルなんて関係ないですよ。
それに、リポーターがハルレオの歌の解釈を長々と述べていましたけど、独自の解釈ができるというのも音楽の魅力だと思うんです。これは音楽に限ったことではないんですけど、自分の中で咀嚼して、宝物にできる。作り手を離れてその人のものになる瞬間っていいですよね。
たぶん、私が考えるに音楽って最も手軽な芸術表現だと思うんです。手を叩くだけで音が発生し、声帯を持っていれば、誰だって歌うことができる。そこに道具は必要ないわけですよ。人に紹介するにしても、道具がなくたって自分で歌えばいい。子守唄などはそうやって伝承されてきたわけでしょう。他の芸術表現よりも音楽は残すハードルが低いと思うんです。
ただ、残すハードルが低いということは忘れられやすいということも意味していて。実際この瞬間にも世界で数多くの歌が生み出され、その大半は記憶に残ることなく消えていきます。現実は厳しいものです。
でも、ハルレオの歌はホールで多くの人に歌われているんですよね。会場外でも生配信でライブを見ている人が多くいましたし、その人その人にハルレオの歌は自分の歌になっているんですよね。そして、自分の歌になったハルレオの歌を他の人に紹介して、さらに歌い継がれていく。簡単なことではないですが、クラシックの古典なんかはもう何百年と演奏されているわけですし、不可能ではない。
ハルは「私たちは今日、私たちの歌を手放します」とラストライブのMCで言っていましたけど、『さよならくちびる』で描かれたのは、作り手の手を離れても音楽は歌い継がれる、生き続けるという希望や理想。作り手の祈りや願いにも感じられます。私も好きなバンドが解散した経験があるので、この理想に共鳴しましたね。なので、『さよならくちびる』は私にとっては大好きな映画になりました。もう一回観たいです。
以上で感想は終了となります。『さよならくちびる』、全然観られていないのが信じられないくらいいい映画だったので、みなさんぜひ映画館に足を運んでください。音楽が好きならきっと好きになると思いますよ。本当にお願いします。
お読みいただきありがとうございました。
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