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【微ネタバレあり】映画『バジュランギおじさんと、小さな迷子』感想【今必要な「願い」の映画】


こんにちは。これです。

早速ですが、今回のnoteも映画感想です。今回観た映画は『バジュランギおじさんと、小さな迷子』(以下『バジュランギおじさん』)。昨年公開された『バーフバリ』や『ダンガル きっと強くなる』に続く話題のインド映画です。評判がめちゃくちゃよかったのですぐにでも見たい気持ちはありましたが、長野ではかなり遅れての上映となりました。

そして、観にいったところボロボロ泣いてしまいました。信じられないほどの大傑作。現時点での今年ベスト1です。本当最高でした。

では、前置きもこのくらいにして感想を始めたいと思います。拙い文章ですが、よろしくお願いいたします。






―目次― ・エンターテイメント性が高い! ・インドからパキスタンへ ・インドとパキスタンの対立について ・「願い」の映画




―あらすじ― パキスタンの小さな村に住む女の子シャヒーダー。 幼い頃から声が出せない彼女を心配したお母さんと一緒に、 インドのイスラム寺院に願掛けに行くが、 帰り道で一人インドに取り残されてしまう。 そんなシャヒーダーが出会ったのは、 ヒンドゥー教のハヌマーン神の熱烈な信者のパワンだった。 これも、ハヌマーンの思し召しと、 母親とはぐれたシャヒーダーを預かることにしたパワンだったが、 ある日、彼女がパキスタンのイスラム教徒と分かって驚愕する。 歴史、宗教、経済など様々な面で激しく対立するインドとパキスタン。 それでもパスポートもビザもなしに、 国境を越えてシャヒーダーを家に送り届けることを決意したパワン。 国境では警備隊に捕まり、 パキスタン国内ではスパイに間違われて警察に追われる 波乱万丈の二人旅が始まった。 果たしてパワンは無事にシャヒーダーを母親の元へ送り届けることができるのか? そこには、思いもよらなかった奇跡が待っていた… (映画『バジュランギおじさんと、小さな迷子』公式サイトより引用)



映画情報はこちらをご覧ください。




※ここからの内容は映画のネタバレを若干含みます。ご注意ください。




・エンターテイメント性が高い!


まず、最初に押さえておきたいのが『バジュランギおじさん』が純然とした「エンターテイメント」だったということです。山の風景の美しさ。祭りのビビッドな色彩。インド映画らしい明るいダンス。時に楽しく、時にしっとりと映画を彩る音楽。パワンとシャヒーダーのロードムービーであり、バディムービーであること。これらが合わさって高い娯楽性がありました。


シャヒーダーはパキスタン人の女の子です。言葉をしゃべれないというキャラクターですが、かわいいんですよね。声を出さなくても身振り手振りで伝わるといいますか、首を振る姿や手を小さく上げる様子がいじらしいんですよ。パワンの服の裾を小さくつかむ姿もかわいらしかったですし、意外と表情が豊かなんですよね。悲しんだり喜んだり。パワンが正直に話すシーンでの「やってしまった」という仕草が個人的にお気に入りです。


シャヒーダーと母親はインドに向かいますが、帰るときにはぐれてしまいます。お祭りの中を一人寂しく歩くシャヒーダー。ここで主人公のパワンが派手なダンスとともに登場します。大人数を巻き込んでの派手なダンスはインド映画の持ち味ともいえるもので、多くの人数がそろった動きを披露するこのシーンは、寺院の赤や黄色といったビビッドな色彩も合わさって、とても楽しいシーンでした。ここで真顔で動かないシャヒーダーは明らかに周囲から浮いていて、彼女の孤独を印象付けていましたね。


パワンはがっしりとしたおじさんで、顔つきは濃ゆいイケメン。高い身長は安心感があって、シャヒーダーが懐くのも納得です。ヒンドゥー教のハヌマーン神に誓って嘘はつけないという、真っすぐすぎる性格が愛おしい。それでもってすごい優しいんですよね。いつもシャヒーダーを家に帰すことを第一に考えていて。その優しさが周囲を巻き込んで動かしていく様子にとても感動しました。


で、『バジュランギおじさん』はこの二人の関係を主軸に描いているんですよね。おじさんと少女の組み合わせって最高じゃないですか。『ペーパームーン』しかり、『レオン』しかり。どこか情けないところのあるおじさんと、しっかり者の少女がそれぞれを補完しあって影響を与えていく。おじさんが悩んでいるときは少女が励ましてくれるし、少女が子供らしい一面を見せれば、おじさんが大人らしく引っ張っていく。最初は他人同士だった二人に、親子のような関係が芽生えていくのがいいんですよね。物語の中で生まれるこの絆は至高です。







・インドからパキスタンへ


ヒンドゥー教の寺院で出会った二人。行き場のないシャヒーダーをパワンは、婚約相手であるラスィカーの家に一時的に預けます。パワンはシャヒーダーの親を探していくのですが、その過程で彼女がチキンを食べたり、モスクに入るなどイスラム教徒のパキスタン人であるということが発覚します。重大なシーンなんですけど、全然重く描かれていないんですよね、この辺り。

シャヒーダーが他人の家に勝手に上がり込んでいくシーンは、何度も同じ動きが繰り返されてコントのようでしたし、なんといっても食堂でシャヒーダーを慰めるダンス。大の大人が鶏の鳴き真似をするのがとてもおかしくて、シャヒーダーは思わず笑顔になっていく。展開が少し重くなっていたところに挿入されていて、フッと気持ちが軽くなりました。


大使館にビザの発行を拒否られたり、裏ルートで行けるかと思いきや騙されたり(ここパワンが殴った相手がスローモーションで飛んでいくのが面白かった)、シャヒーダーを親の元に帰すには困難だらけ。どのルートも断たれたパワンは自らシャヒーダーを親の元へと送ることを決意します。


案内人の助けを借りてパキスタンに密入国するパワンとシャヒーダー。パキスタン軍の許可を得て、町に辿り着きますが、ひょんなことから警察に捕まってしまいます。そして「インド側のスパイ」だと決めつけられ、逃げ出したはいいものの追われる身になってしまいます。この「警察に追われている」というのが展開に緊張感を与えていて、ハラハラドキドキしました。


パキスタンパートではパワンとシャヒーダー、それにチャンド・ナワーブというカメラを持った追加おじさんの3人が、少しずつシャヒーダーの村に近づいていく様子が音楽に合わせて流れていきます。トウモロコシの積まれたトラックで寝たり、バスから顔を出したり。正しくロードムービという感じなんですが、パワンは「シャヒーダーを送り届けたら必ずインドに帰る」と言っているんですよね。ということはパワンとシャヒーダーが最後には別れるっていうのは分かっているわけじゃないですか。そのことが悲しくてちょっと泣いてしまいました。もっと2人の旅を見ていたいって。


さて、警察に追われる2人ですが、すんでのところで追手をかわし、少しずつシャヒーダーの村に近づいていきます。なんで二人が警察から逃げられたかっていうと、出会うパキスタン人がみんないい人だったからなんですよ。


2人がまず密入国して最初に出会ったパキスタン軍は、パワンの正直さに根負けして2人を先へと通してくれています。バスの乗組員は2人がいることをはぐらかしてくれますし、ムスクの主人は3人をかくまって逃げる手立てをしてくれました。そして、何よりチャンドは2人の逃亡を何度も助け、2人のことをインドとパキスタンに広めてくれました。シャヒーダーが親の元に帰れたのもチャンドのおかげです。


このように道中のパキスタン人がいい人だらけだった理由。それは「願い」です。







・インドとパキスタンの対立について


この「願い」ということを語る上でまず、インドとパキスタンの対立について説明しなければなりません。昔、インドとパキスタンはイギリスの植民地だったんですね。1947年にこの二地域はインドとパキスタンに分かれて独立するんですが、その当時それぞれの国にはイスラム教徒とヒンドゥー教徒が混在していたんです。ここで、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の間で衝突が起こり、実に100万人以上が亡くなりました。


さらに、インド北西部でのカシミール地方では、藩主がヒンドゥー教徒、住民の多くがイスラム教徒という複雑な状況にありました。藩主はヒンドゥー教徒の多いインドに所属を決めますが、当然イスラム教徒の多いカシミール住民は納得がいきません。パキスタンもカシミールは自国の領土と主張し、1947年から1949年にかけて第一次インド・パキスタン戦争が勃発しました。


その後もインドとパキスタンの衝突は幾度となく続き、それは今日でも収まっていません。今年2月にはそれぞれの国が相手を空爆しあうという事態も起こっており、緊張は依然続いている状況です。未だに両国、両教徒は憎しみ合っているのです。


それはこの映画でも描かれています。両国は柵によって仕切られ、厳重に鍵がかけられています。インド人の暴徒がパキスタン大使館を襲っていますし、ラスィカーの父親はそういった対立意識の権化のような存在で、シャヒーダーがイスラム教徒と分かった瞬間に追い出そうとしていました。


でも、『バジュランギおじさん』では、パワンとシャヒーダーの周りにこの憎しみはあまりないんですよね。インド人だろうがパキスタン人だろうが、イスラム教徒だろうがヒンドゥー教徒だろうが、人と人同士ならきっと分かり合えて、助け合えるはずだという「願い」が込められているんですよ。もし、パワンや2人を助けてくれたパキスタンの人々のように優しい人ばかりだったら、戦争もしないで済むのにという「願い」がこの映画には託されていると感じました。








・「願い」の映画


そういった「願い」が最もよく表れていると感じたのが、パワンとシャヒーダーの変化です。パワンはヒンドゥー教の猿の神様ハヌマーン神の敬虔な信者でした。肉は一切食べないですし、猿を見つける度に手を合わせて祈るほどです。イスラム教のモスクに立ち入る際もハヌマーン神に謝っていましたしね。


でも、パワンはシャヒーダーと過ごすうちに、少しずつイスラム教を受け入れていくんですよ。パキスタンのモスクで主人に「モスクは誰でも受け入れる」と言われ、イスラムの女性が被るブルカを被って逃げる。そして、最後には勇気を出して聖廟に踏み入れる。シャヒーダーを家に帰したいという良心や、彼女に対する愛情が彼を変えていきました


また、シャヒーダーもまた変わっていくんですよね。最初は見様見真似でパワンの祈る姿を真似していましたが、最後には自らの意志になっています。互いが互いに影響を与えて変わっていくというバディムービーの王道がしっかりと取り入れられて、ジーンときました。この二人の変化はいわば「良心や愛情があれば、宗教を越えて分かり合えるはず」という「願い」です。


そして、その「願い」は周囲にも影響を与えていきます。現実は憎しみ渦巻く「厳しい世界」です。でも、この映画ではその「厳しい世界」がパワンの良心や愛情によって「優しい世界」に塗り替えられていくんですよ。パワンの行動が両国の人々の心を動かしたように、「願い」が波及していく様子に涙がとめどなく溢れました。


ここで重要なのが、あくまで「国」の対立姿勢は崩せていないこと。最後まで警察や軍の上層部はパワンを「インドのスパイ」に仕立て上げようとしています。すなわちこれはフィクションが変えられない現実。それでも現場の人間、つまりフィクションはパワンのことを認めるんですよね。これは「人と人同士ならきっと分かり合えるはず」という切実で純粋な「願い」と「希望」です。


もちろん現実はそんなに甘くありません。『バジュランギおじさん』で描かれた「願い」は所詮きれい事です。現実だったらあんなに上手くいくはずがありませんし、そもそも密入国した時点で銃に撃たれて終わりです。でも、あくまで『バジュランギおじさん』はその「願い」を力強く肯定するんですよね。フィクションの中でぐらい「優しい世界」があってもいい。変えられない現実の中で、切実で純粋な「願い」が輝いている。映画の、フィクションの持つ計り知れない大きな力に最後の方はずっと泣いてました。これは評判がいいのも頷けます。『バジュランギおじさん』は多くの方に観てほしい「今必要な映画」なんだと強く感じました。







以上で感想は終了となります。『バジュランギおじさんと、小さな迷子』。紛れもない大傑作ですので、全力でオススメです。絶対に観た方がいいと自信をもって言い切れます。馴染みのないインド映画だからと敬遠せずに、ぜひ映画館に足を運んでみてください。劇場情報はこちらです。


お読みいただきありがとうございました。


参考:
インドとパキスタンはなぜ対立してきたのか?(BLOGOS)
https://blogos.com/article/157320/

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