嘘とエッセイ#4『心臓』
私の心臓は、売ったらいくらになるんだろうか。
昔通っていた病院に、貼られていたポスター。何十万人に一人の難病を持った幼子が大々的に映され、手術はアメリカでしか受けられない。
「○○ちゃんを救うために募金をお願いします」
確か目標は、二億円くらいだったと思う。きっとSNSが発達した今なら、クラウドファンディングで、あっという間に集まるんだろう。
大体皆、一〇〇〇円くらいなら出せる。リターンとして、その子直筆のお礼の手紙でもつければ効果は抜群だ。周囲も生まれた時代に感謝するだろう。
下卑た話はひとまず置いておくとして。とりあえず名前も覚えていないその子に倣って、私の心臓の価値を二億円と仮定しよう。
過大評価なのは分かっている。どんな医療事故の被害者だって、そこまで損害賠償は貰えない。
海外のセレブは、何億円もの離婚慰謝料を請求しているというのに。
それに、二億円をポンと手渡されたって、贈与税はかかるし、確定申告も大変だ。家を建てれば固定資産税、車を買えば自動車税。
何をしたって国や県に吸い取られてしまう。
私の心臓が巡り巡って、インフラの修繕費になったり、老人の医療費に回されるかもしれない。
もしかしたら戦闘機のミサイルに使われたりして。
私の心臓が人を殺す。生まれてこなければよかったと感じてしまいそうだ。
大前提を忘れていた。
私は心臓を取られたら、死んでしまう。困ったら虫でも食べるのと同じくらい当たり前のことだ。
鼓動を続ける心臓が売りに出されたら、ゴッホやピカソの絵画なんて目じゃないくらいの高値がつくだろう。
だけれど、動きを止めた心臓は世の中に有り余っている。解剖に使われすぎて、もはや半額の豚ロースと同等だ。
私の心臓は二億円の価値もないけれど、投げ売りされるほど安くもない。
人間というのはつくづく矛盾に満ちた生き物だなと思う。
だって常日頃「死にたい」「自殺したい」と言っていても、一度死んでしまったら、もう二度と自分を殺せないのだから。
私は、何度だって自分を殺したいし、心臓を売ってメイクマネーしたい。
だけれど、墓に札束は持っていけない。ゾンビは、クレジットカードの審査に通らない。
心臓は自然発生しないし、一人に一つ、オーダーメイドだ。
ならば、どうするか。
私の答えはこうだ。鬼になる。
だって鬼は心臓を取られても、頸を切られない限り死なないんでしょう。それに切ったか? と思ったら、あの手この手で無駄でしたってなるし。
ボスに至っては、心臓が七つもあるというではないか。七つもあれば、一つ売っても、階段を上るときに軽く息切れするくらいで、大した影響はないだろう。
日本人の平均生涯年収を私は一瞬で稼ぐ。そして株取引や仮想通貨の専門家を雇って、さらに財産を増やす。
夜しか外出できないことを差し引いても、膨大なメリットを享受できる。
問題はどうやって人を食べるかだ。
もちろん私に食人の趣味はない。
食人族が廃れたのは倫理的な問題ではなく、人肉に栄養が乏しいからだと思う。タンパク質の塊で造血にはもってこいだけれど、脂質に欠けてエネルギーにならない。食感もパサパサしていて、砂を食べているみたいだ。
不老不死といえば聞こえはいいけれど、永遠に貧相な食生活が続くだけ。
人間で言えば納豆しか食べられないといったような。良くなるのは便通のみ。まさにくそったれだ。
それに心臓が七つもあったら、聴診器がなくても鼓動が聞こえてきて、眠るのにも一苦労だろう。
確かあのボスの心臓は全て胴体に固まっていた気がする。ならば他の臓器の立場はどうなるのか。
小さい胃では満足な食事ができず、大立ち回りどころか、日常生活を送るのにさえ支障が出る。缶ビールをちょっと飲んだだけでべろんべろんになる。膵臓は一口で飲み込め、ドラマがない。追いやられて縮んだ肺は、酸素を届けるために労基違反のブラック労働。
何より心臓を潰される痛みを、七回も味わなければならない。この体でよくもまあ、あそこまで健闘したものだと感心してしまう。
やっぱり心臓は七つもいらないな。
考えれば考えるほど人間のままでいい気がしてくる。
ならどうやって心臓を売るか。この今も血液を送り出して、一分間に六十回脈動する心臓をどうやって金に換えるか。
ここで私の前に二つの選択肢が用意される。死ぬか、人間でいることを諦めるか、だ。
前者は論外。生まれ変わりなんてこの世にないし、私みたいなぐうたら人間の来世は、よくて海中を漂う藻だろう。
つまりは、人間でいることを諦めるしかない。
手筈はこうだ。まず私を麻酔かで眠らせる。脳波を測るあのぼつぼつを、頭の至るところにつける。
あとは一昔前のSF映画よろしく、私の意識をコンピューターに移動させてしまえばいい。
そして、ロボットか何かに移し替えてしまえば、私は心臓がなくても動くことができる。
突飛な話だと思われるかもしれないが、実はもうこの技術は実用化されている。
街にあるペッパーくんは、密かに人間の意識が移植されたものなのだ。
ペッパーくんを気持ち悪いと思うのは、それがもともと人間だったことを私たちの無意識が感じ取っているからなんだぜ。まあ嘘だけど。
それでは人間とは違うじゃないかと言う人もいるだろう。面倒くさいことに。
じゃあ、逆に聞くけれど、人間の条件って何?
食べて糞することか。起きて寝てを繰り返すことか。
違う。
人間の条件とは、愛し愛されることなのだ。
異性愛も同性愛も関係ない。愛情こそが人間を人間たらしめているのだ。
生物の必要条件とも言っていい。その愛情こそが、私には決定的に欠けている。
私はキスをしたことがない。セックスもしたことがない。
別に愛情のないセックスがあることも分かってはいるけれど、それでも愛情を行動で示すにはキスかセックスだろう。心臓の高鳴りは相手には分からない。
二六年も生きてきて、未経験なんて全く恥ずかしいのだけれど、不思議としたいとも思えないのだ。
おそらくこのまま誰とも交わらずに死んでいくのだろう。
私の性器は無用の長物。金属に変えて、誰かを殴りたくなってくる。
また、ロボットは血を流さない。
たとえば私の手首を切ってみよう。刺すような痛みとともに、心臓が作り出した黒ずんだ血が染み出てくるだろう。
想像しただけで気味が悪い。私は屍のような生活をしているのに、心臓は無駄に動いて、血液を送り出している。
アンバランスさに吐き気がしそうだ。
その点、ロボットなら手首を切っても傷がつくだけで、何事もなかったかのように動き続ける。せいぜいオレンジ色のオイルが溢れてくるだけ。
あの猫型ロボットもオイルで動いているそうだし。二二世紀になっても案外技術は進歩していない。
流れるオイルを見たとき、私の意識は何を思うのだろう。
気持ち悪さを感じたとしても、それはプログラミングされた意識だ。いくらでも書き換えればいい。
作動にいくらか影響は出るけれど、痛みも感じなければ、ロボットだから涙を流すこともない。
安っぽいSF映画と現実は違うのだ。いくらでも自分に刃を向けることができる。何度でも自分を刺せて、疑似的に自殺をすることができる。メインエンジンを傷つけたって、何とかはなるのだ。
終わりも自分のタイミングで選べる。良いことずくめではないか。
残る問題は、心臓を売って手元に残った二億円だ。
ロボットは物を食べないから食費はゼロ。機械になった私を周囲が受け入れてくれるとは思えないから、交際費もゼロ。眠らず時間を持て余しそうだけれど、ネトフリやアマプラに入って旧作を見返していれば、出費は最小限で抑えられる。
家賃と水道光熱費と携帯料金。あとは毎週買っているジャンプ。
合わせて月八万と試算しても、向こう二〇〇年は生活できる。大鏡の世界だ。
社会の役に立っていないことが苦になって、それまでに幕を降ろしてるんだろうけど。
ならまるごと親にあげてしまおうか。
でも、たぶんあと三〇年くらいしたら戻ってくるだろうし、休みの日は一日中家でテレビを見ているような人たちだ。金にはさして困っていない。
次の選択肢は弟。
だけれど、社会人として今の私以上の給料を得ているから、こちらも必要性は薄い気がする。結婚祝いや出産祝いといった節目ごとに、百万円くらい与えておけば十分そうだ。
もちろんどうやって大金を得たのかは内緒。宝くじに当たったとでも言っておけばいい。
心臓を売って得た金は、この世で一番黒い金だ。真実を知ってしまったら受け取らないだろう。
まともな感性を持った人たちだから。
となると最善は、慈善団体への寄付だ。
心臓移植ならたった一人しか救うことはできないけれど、二億円もあればそれこそ何百人といった人数を助けることができる。住む家を用意し、しっかりと三食を与え、仕事探しもバックアップ。
これだけで一体何人が、人間らしい生活を送ることができるか。
これならたとえロボットになれずに、命を投げ打ったとしても、後悔することはないだろう。
私みたいな何もないクソ野郎でも、いてもいなくても同じのゴミ人間でも、心臓を売ることで人の役に立てるのだ。
なんて良い気持ち。小惑星の中で起爆スイッチを押したブルース・ウィリスも、こんな気分だったのだろうか。
どこにいるかも分からない神様に感謝したくなる。
さて、意志は固まった。だけれど、どうやって心臓を売ればいいのかが分からない。
ネットで検索しても、フィクションの話ばかりで、実際のところは表立ってこない。炎上を避けるためには当然だけれど、やっぱり物足りなさは残る。
皆生きることは強制するのに、死ぬことに対しては知らんぷりだ。
だから、ここで募集をしたいと思う。
私の心臓を買い取ってくれる方、または心臓を売買する方法を知っている方は、どうぞご連絡ください。日時や金額等の詳細は相談の上、決めさせていただきます。
あなたの情報提供をお待ちしております。
完
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