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ただ其処に在るということ

こんにちは。現在の外の気温は24℃、天候は快晴です。

緊急事態宣言下での連休が明けた今日この頃、皆さま如何お過ごしでしょうか?

私は無事に引っ越しを終え、何とか生活できるスペースを確保し、来週からの仕事に備えている所です。(この投稿が公開される頃はもう働いているかと思います)

この1週間は、生活用品の買い物や住所変更手続き、体調を整えながらの作業に日数を費やしたので休日を感じる暇も無かった、というのが正直な気持ちです。noteを書く時間が、落ち着いて自分自身と向き合える心の休息になっています。

 これまで自身を取り巻く環境の変化は何度かありましたが、今回大きく異なるのは同居人がいるという点です。留学していた頃ルームシェアの経験はありますが、日本でこれまで実家暮らしと一人暮らしの経験しかない私にとって、未知への挑戦。それはそれは大事件なのです。

この決断に至る経緯は今回は省略させて頂きますが、生活が落ち着いた頃また日を改めて記事を纏めたいと考えております。

「自分のパーソナルスペースに他者を侵入させる」ということは、過去の私の価値観では考えられないことでした。たとえ家族であろうと、自分の中に絶対に踏み込んではならない境界線を引いて、自分を守っていたつもりでした。今思えば、それは酷く臆病で自分本意な選択だったのか、私を社会から守り強くしてくれていたのか一概に答えられませんが……きっと諸刃の剣だったのでしょう。

それから何度も体調を崩し、自分自身の世話すら儘ならない生活を経験することで少しずつ理解したのは、信じる人を選ぶ。依存ではなく人を信じる。という2点でした。

(私は現時点で、結婚願望や出産願望は全くありません。母子共に健康な出産を迎えられる可能性が低いこと、夫婦別姓を望んでいるため現時点の日本で別姓を認める法令が採択されていないこと、自身の家庭事情、それらを一方的に家族以外の他人に強いるのはあまりにも身勝手だと自覚しているからです。)

それでも、今は家族以外の人間を信頼してもいいのではないか、と僅かに思えるようになったので新しい生活を始めてみることにしました。

今後、体調が再度悪化するかもしれませんし金銭面で厳しい時期が生じる可能性は高いです。経済的に自立できるほど十分な収入も、未だ個人で得ることが出来ません。不安要素を数え始めると、思考が強制停止するほどあります。それでも「誰かと人生を共有する経験」は今後決して無駄にならないか、と前向きに進んでみます。

我が家は、広く周囲に知られている通り家族仲が非常に良いです。弟も私も実家を出た後は、ほぼ毎日両親のどちらかと電話していますし、家族LINEでは他愛無い近況報告が日々飛び交います。自分の人生がどのように転んでも、帰る場所があるという安心感が、再び前へ踏み出す勇気になるのですね。

そして願わくば、この選択が私と一緒に暮らす決断をしてくれた同居人にとって、1つでも幸せを増やし良い影響を及ぼす結末に進むことが出来ますように。沢山の迷惑を覆い隠すほどの輝きが生活の中に在りますように。


 ここまで読んで頂きありがとうございました。よろしければまた、いらっしゃってください。

読んで下さって、ありがとうございます。