8月と水木しげる
今年も8月15日がやってきた。
78回目の終戦記念日である。
子供の頃は「まだ60年しか経っていないんだ…」などと少し前のように思えたが、その後なんとか無事日本が戦争に手を染めずに78年経過している。
その経過と共に慢性的で非常に厄介な麻痺が国民病と化しているような気がしてならない。
風化と言うよりは、麻痺だ。
噂では「はだしのゲン」が教科書や図書館から姿を消し……ではない、抹消されたのだ。大人の手で。
金曜ロードショーもいつからか、「火垂るの墓」の放送を辞めた。
教科書やメディアというものは、その時代の政治色があからさまな程に反映する。
私は確か12-13歳の頃だっただろうか、何のきっかけもなく戦争の恐怖に怯えた時期があった。空襲の夢を嫌になる程見たり、その所為で空を飛ぶ飛行機やヘリコプターの音に敏感だった。
異常な恐怖と戦う毎日であった。
それ以降、過去の戦争について知ることにした。
学校で学ぶ世界史・日本史も暗記する為のワードだったものは殆ど戦争に関するものばかりで、人類の歴史=戦争と言っても過言ではないと違和感を感じていたからだ。
前述のように、私は中学校まで殆ど不登校を繰り返していた。今振り返ると学校への違和感の一つとして、このような部分もあったのかもしれない。
そして高校の修学旅行では沖縄の平和記念公園へ赴き、語り部さんの話をまじまじと聞いた。
あんなに恐ろしいと思っていた、沖縄の地上戦を一つの家族にフォーカスして描いたTVドラマ「さとうきび畑の唄」について「テレビ向けにやさしく表現されています…!現実はあんなものではなかった……」と悲痛な声色で語る彼女の顔が今でも忘れられない。
その話を聞いたのちに歩いた公園で、亡くなった方々の無数の名前が刻まれた石板にむごい罪悪感のようなものを感じ圧巻された。
以前は私の学校はガマという防空壕や野戦病院として使われた鍾乳洞へ立ち入り見学する機会があったそうだ。
ガマの中は勿論暗闇でその中で飢え死ぬ人もいれば、米軍に見つかり火炎放射器や手榴弾で無惨にも殺された県民も多かった。
遺骨の破片が今も残っているらしい。
私はそのガマに、是非とも行ってみたい…というと語弊があるが、行くべきだと思っていたので、修学旅行のスケジュールから外されており落胆したことを憶えている。
その後、私は水木しげる先生の戦記漫画を必死で集めた。
素晴らしき画力で、鮮明にそして空気の匂いがするような描写で描かれたものばかりである。水木先生は当時21歳で激戦区であった南方ラバウルに陸軍として派遣された。
戦うべきは敵軍だけではない。日本軍の中での厳し過ぎる下等兵いじめや、マラリア闘病。失った左腕が化膿してウジが沸くも立派な大学病院なんてあるわけがない。
しかし稀にラバウルの現地人との微笑ましい交流なども描かれている。それもまたリアルであり、水木先生らしいと言える。
最前線へ送られた数人の中で唯一生残り、配属された部隊にも玉砕命令が下されたにも関わらず奇跡的に生還した。
水木しげるという男は、戦争漫画を世に描き残す為に残された尊い一人の日本人であったのではないかと、読み返す度にひしひしと感じる。
ーーーパンが無いならケーキを食べればいいじゃない。
そう。
はだしのゲンに文句があるなら、水木しげるを読めばいいじゃない。
世の中の良識ある教師の皆様。
どうか水木しげる先生への敬意と、これからを生きる生徒たちのために、是非一冊でも手に取っていただけませんか。
8月15日、ただ手を合わせればいいというものでは無い。
いま私達が戦うべきはどこの国でもない、この日本という国にジワジワと注入され続けている麻酔だ。
私達がぼんやりくらくらと麻痺に慣れ、気づいた頃にはまた黒い歴史が繰り返すのだ。
その特効薬として、この一冊のリンクを捧げます。
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