穴場を見つけること、その過程

 先週末に京都へ行く機会があった。いつもは鉄道の撮影などが目的であるから、市街地へ行くことは少ない。しかし、今回はそれとは関係ない用事であったため、久々に京都市中心部を散策する機会に恵まれた。

 この日は京阪電車で洛中へ向かった。三条駅で下車の後、鴨川の河川敷を出町柳方向へ、そして再び祇園の方へ戻る一往復。散歩気分で楽しめたが、週末であるからか人は多い。

 NTTドコモの統計によると、4月3日15時における四条河原町付近の人出は、今年の1月7日と比較して71.4%増加したのだという。1月7日は平日であるから単純な比較はできないが、感染症の影響は感じさせない人出であった。

 せっかく京都に来たのだから、何か和菓子でも食べて帰ろうかとなったのだが、店頭の待機列を見た瞬間にその気が削がれてしまった。やはり休みの日に来るような場所ではない。このご時世の影響なのか、外国人の姿はそこまで見られなかった。つまり、大半が日本人だけでこの混雑なのである。平時の状況に戻ったときを想像するのも恐ろしい。

 以上のように心の中で愚痴をこぼしながら鴨川を越えると、人が少ない空間を発見した。街路樹と水路に石の道と木造の建物、いかにも旧市街らしい雰囲気を醸し出していた。求めていた「京都」を見つけた!と少しばかりの充実感を得た。

考えてみれば、皆が有名観光地へは足を運びたいのである。そして、京都と考えて思いつく場所として、鴨川や祇園は多くの人が選択肢として思いつくのだろう(僕の場合、他に嵐山・宇治・伏見が頭に浮かぶ)。観光に限らず、多くの人がイメージするものには多くの人が集まりやすい。東京であれば渋谷や浅草、大阪の新世界、チョコレートはゴディバやモロゾフ、抹茶といえば伊藤久右衛門なのである。

 しかし、そんな人が集まりやすい所で穴場のような場所を発見すると、お得感を感じる。人目を気にせず花火を堪能できるスポットや一等地の格安ホテル、そういった場所を見つけたときの何となくの優越感。しかし、それだけを探して見つかるものではなく、あくまでも正攻法でぶつかったときに、偶然に発見するもの。即ち、今日のような経験は、苦労が報われる一つの形なのだろう。

 今回は特に苦労をしたという訳ではなく、あくまでも中心部の人の多さに嫌気がさしたに過ぎない。しかし、これから長い人生においても、時にはこのような抜け道を見つけたいものだ。もちろん真っ当な努力が必要というのが基本なのでそこは忘れない。しかし、その先にちょっとしたご褒美としての「穴場」が見つかるように、今日も足掻いていこうと思う。

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