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断片 墓石にはただ「人間」と

 書くこと、書きたいことがある限り書かねばならないと思う。つまり、書くこと/書きたいことがあるという人にとってはそれがそのまま使命なのであるから、それはやる義務があるという考え方。使命にも人それぞれいろいろあるだろうけれども、書く使命を割り振られたなら書くしかない。その使命は書きたいという個々人の欲望を超えた何かなのだ。

 なにができるかなあ、と我が身を見、戯れに手相なんぞを眺めてみたりもする。これまでにできたことがある。そしてこれからできるかもしれないことがある。何がどうであれ、生きているうちのことなのよ、とふらりふらり。死んだら墓に入れてもらう手筈なのだろうが、一族と共に陰宅にいるには申しわけが立たず、できれば新規に、安い墓にひとり入りたい。姓ではなく、ただ「人間」と刻まれた墓石の下に、私は安らぐ。

 あの若き日の罪や失敗の数々が、いまや遠くなりもした記憶のそれぞれに、血糊のように張りついているのを知る。私を殺す権利が誰にでもあるような気にさえなる日が時折来る。だが安楽椅子にくつろぎ、ただ音楽に陶然となっているようないまこのとき、私は私を許している。私にとって、音楽とは許しの契機だったのだ。ピアノに聖別され、ヴァイオリンに救われ、ソプラノに祝福され、そして指揮者のもと、オーケストラは巨大な喜びの兆しを示す、生きなさいと叫ぶかのように。

 みたいなことを金井がいってて。ほら、この店でもなんかチャラかったり暗かったりして、二面性? っていうの? 気分でふざけたり悩んでみたりしてるけど、金井がまじめなときは深刻ぶってるだけだよ。悩んでみせるのが趣味なんじゃないか、じゃあそしたらふざけてんのも趣味だね、ってあたしらはよく噂してる。よく、じゃないな。たまにかな、あいつの話をするのなんて。別に重要人物とかじゃないもんね、あたしらにとっては。だって金井って名前のくせにカネ持ってないんだから。詐欺だよね。どうでもいいけど。

 スーパーや何かに入るとき、置いてある霧吹きで指輪をつけたままアルコール除菌をするのだが、これは銀を痛めたりしないのだろうか。いまのところ問題はないのだけれども、燻しの加工が剥がれたように見えなくもない。この指輪とも二十年ほどのつきあいだ。指輪にはめ込まれた、十字の光が走る黒いダイオプサイトは私の石だ。私の象徴だ。ここに宿ったものもあるだろう。これが物語ることもあるだろう。おもしろい話であればいいのだが。



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