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断片 遊んでる場合

 それではダメなのだ。遊んでいては。でもまあ遊ぶよね。なんの遊びをしているのというと音楽とか聴いてる。ダラダラとやっている。遊びの範囲ではない作業としては無印良品のノートに三枚、Amazonベーシックのノートに三枚、これらを日課として、雑感雑記を書き連ねているのが、なんだ、文章修行になればいいなあと。これすらさして意味のない遊びだとしたら、私のやっていることはぜんぶ無駄であるなあ。けっこうガンツッパで書き続けてるんだけどな。何かのプラスになればいいと願う。こうやって断片を書くのもそうね。書いてて楽しい以上の何かになればいい。私は言葉のウィザードクラスにならねばならんのだ。読んで書いてとやっていく日々。

 承前。日々は遊びと作業とに分かれているので、遊びの部分を減らして作業をもっとがんばれば、って話はもう自分に言い聞かせまくっている。音楽を聴くことがあまりにも楽しすぎるゆえ、ついついそればかりになってしまう。でもまあ無理くり書いているのが前述のノートの三枚+三枚だ。あとはこの断片と、日記帳くらいのもの。日記はえらいもんで、十五年くらいは書き続けている。いやほんとに。ある日突然書き始めたものがここまで続いているという、まあいわば不可思議、書くという作業が好きなのだろう。書くのが好きならなんとかなるな。読むほうがおろそかな最近ではあるけれど。読書を含めた作業面、しっかりやろう。

 承前。遊びといえば昨日また酒を飲んでしまった。酒の席だったのだ。場をしらけさせるのも悪いので、という自分へのいいわけのもと、いやもう飲んだ飲んだ。禁酒を完璧にやれていたのは正月明けから三月後半まで、約三ヶ月と、あとはその次の日から一昨日までの三週間ほどというところ。一生飲まないでいられるのかと思ってたよ。スリップしたら一発でアウトだな。困るわー。自分が軽度のアル中であるという自覚はあるので、そういう家系や血筋だからね、今後はまた控えていきたいけれども、日常的に飲むことはやめて、なんかの集まりでだけ飲めばいいんじゃねと思う。

 サブスクは便利だけれどもありがたみがない。古いタイプの人間なので音楽はディスクがないと落ち着かないというか、しっくりこない。満足感がない。そういってアレクサンダー・ガジェヴの新譜を落とせたりしてるのがもうね。ショパンコンクールの録音ですね。十分元は取れてんじゃないのってことだし、じゃあ何が不満かっていうと、さっきも書いたがやっぱ物体としてのディスク、CDへの物欲の面であろう。身を滅ぼしかねないほどにディスクの沼にはまりこんでいる私である。音楽はディスク込みで嗜みたい、というだけのことで、ごらん、このように貧乏。ディスクを手に入れてニッタリと舌なめずりするこのキモさで生きていきたい。

 用意してある必読書は五冊か六冊か。専門書も入ってきているのでなかなかにヘヴィな読書となろう。ただこれらを片づけてからの執筆開始としたく思い候えば、初夏、六月中までには仕込みとしてのその読書をやっちまって、真夏の執筆としたい。もうあれだもん、読めば絶対に力になるとわかっているような本たちだもん。読んでおけば強い。私もさっさとデビューして筆で食えるようにならねばならない。芸術だろうが通俗だろうが、やれることならそれをやってですね、書くことでメシを食う、霞を食うタイプの生き方で今後やれたらいいなあって話。私はきっといいものを書くであろう。



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