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断片 禁酒によって脳機能は改善されます

 信頼できる情報筋(かかりつけの医者先生)から聞いた話。まずは私の質問。「聞きかじりなんですけど、酒をやめると、あのー、頭の働きみたいなものが……えー、そのへんってどういうふうに……」。医者先生の前で専門用語を使いたくないのでそんなぼんやりした質問になった。答えは、禁酒してビタミンをとっていくと神経細胞の育ち方がよくなり、思考力や記憶力が上がる、みたいなこと。禁酒は脳にいいのだ。で、神経細胞、そのワードを使ったということは、こちらにある程度の理解力があるように思ってくれていたのかと、ちょっと誇らしいような気分。手加減いらねえなこの患者、ということでしょう。まあそれでもだいぶお手柔らかにはしてたんでしょうけど。あと菜食主義は体に悪いって話など。ダイエットしてても肉は食ってくださいと。いろいろ聞いてきました。

 さてよく眠る日々が続く。え、このタイミングで寝るの金井、みたいなビックリもありながらの日常、眠気はどうもあるね。疲れてたりするとえらいことになる。融通の利く日常でよかったというもの。私にはまともな勤め人とか絶対向いてないから。ブルシットジョブばっかりやってきた。出会い系のサクラとかやってたなあ。あんなもん地獄に落ちる職業だと思うんだが。誰も幸せにしない仕事をやはり続けられませんでしたね。ヤンキー崩れの上司たちなど、職場も最低でした。やだなー。あとはゴミ処理場で石を拾うとか、そんなどうしようもない職場や仕事しか知らない。普通に生きられればそれでよかったのかもしれんが、とうとうできなかったな。

 二月の一週が終わりかけている。どういうことだこれは。なにもしてねえわ。いかんわ。何かをするチャンスはしばしばあるものとして、そのチャンスに書いたり読んだり聴いたり観たりしていくんですけど、いやもうチャンス逃しまくり。でもまあ昨日あたり電車でKindle PaperWhiteによる読書などはぶちかました。読める読める。だいじょうぶだいじょうぶ。言葉を読んで吸収する、または言葉を食らうイメージで読書ということをやっておるのだ。金井枢鳴は言葉によって生かされています。よろしくお願いいたします。

 夜中にこれを書いている。シャーンドル・ヴェーグのモーツァルトを流している。これは昔なんとなく買ってときどき聞いていたボックスで、ちょっと調べると名盤の扱いだったので驚く。そうなのかー。まあいいものだからねこれ。弦のつややかさと弾むような軽やかさよ。ディスクをね、買っていって、もっといいものをと望むまでもなくもう既に持っているということはよくある。それでも買うのはもう何かの業としか思えない。こんなに買わなくてもいいじゃんっていう物量のディスク。なんで買ってるんでしょうね。カネの使い方としては悪いもんでもないとは思いたいが。

 本をまた買っている。サルマン・ラシュディの『真夜中の子供たち』が岩波から出てたので買う。確か『悪魔の詩』は古本で買ってあって、書棚のどこかにあるはずだな、というところへの今回の追加。ラシュディはホメイニに死刑判決を受けた作家でしょう。そういうのすげー政治なんですけど、周辺に死者が出るキナ臭さがありつつ、ペンの力でおのれが殺されるかもしれないような事態になる、たいしたもんだな。弾圧されるような書物を書くこと、それは幸せではないかもしれないけど、ある意味の栄光はそういうところにあるわな。早く読みたいもんだが他のもんに追われている。やり方を変えない限り私には時間がない。どんどんいきましょうどんどん。死ぬまでは。



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