断片 突如書き始めた
昨夜から小説の原稿をやり出した。オープニング部分だけとりあえず書いたところ、腕のなまりがちょっとキツいもんとして感じられた。言い回しの的確さに欠くところあり、描写に乱れあり、説明しすぎてしまうのもそうだし、リズムはこれでいいのかどうか、もう要するに下手になってましたね。やっぱ継続は力なんだよ。断片でなく小説を毎日書いてたら違っていただろう。この断片って身辺雑感だからね。エッセイというか。だから上手下手でいえばいまはエッセイのほうがうまい状態なんじゃね。とはいえやらねばならぬのは小説。秋までにやりきりましょう。書き始めつつ創作ノートも並行して書いていく形だ。規定は七十枚以上百五十枚以内だったか。ちょうどよくやろう。
承前。だもんで、小説をやり始めたらいきなり断片が難しくなった。先ほども一ブロックごっそり消したり。チャンネルがいま小説のほうに行ってるねこれは。さて、そんなら小説を書いていくしかないな。オープニング部分というのも一二〇〇字くらいを書いたまで、原稿用紙換算だと三枚だか四枚だかというところか、いじくり回してようやくですよ。果てしない推敲。気がつけばやり続けて首の辺りガチガチ。眠ろうにも冴えて眠れないという夜。開き直ってコーヒー飲んでましたよ。そうしてこのままエッセイというか断片にチャンネルを合わせられなくなったらいったん休みます。どうせ誰も読んでねえよ。少人数だよ。ビューとかメチャメチャ落ちてるからねえ。
名画座に映画を見に行きたいのだけれども、今日あたり関東が梅雨入りしちゃって出かけるのもちょっと大変である。あと神社にも行かねばで、二社ですね、お礼参りとお守りの新調とをやってこなければならない。こちらも雨がネックのところ。雨が降ってなくてあまり暑くない日、というのを狙ってみたい。六月中、できれば六月上旬のうちに行きたいですな。神頼みは大事でしょう。そうでなければ世界に宗教などなかったはずだ。神社仏閣教会モスク。絶対何かある。有神論、無神論、不可知論とありますけれども、それぞれの論理と立場があるんでしょうけれども、金井は不可知論寄りの有神論という立場ですよ。じゃなきゃ神社仏閣には行かないでしょう。神様仏様っつってね。
ブラームスのザンデルリング盤を聴いている。ブラームスでは最初にこの交響曲全集から入って、さっぱりわからんかったので苦手意識を持ってましたね。のちにフルトヴェングラー盤を聴いたら、ああこういうことかとすっとわかったんだけど。わからん楽曲は別の指揮やオケやソリストで聴き直すといい、みたいな教訓として私に残った。バルビローリ盤とかも積んでるからそのうちいってみよう。バルビローリいいんですよねー。あとなんだっけ、もうひとつボックスがあったはずなのだが、所蔵しているディスクを把握しきれなくなってきた。何やってんだろうな。現状でも十年は楽しめるほどの物量があるゆえ、じっくりとやりますか。新しいCDラックが欲しいけど。
資料が届いてこれを読もうというところ。ある人物の暮らし、その人生での大きな楽しみと喜びのところをね、モチーフとしていただいて改変して小説に使うのだ。クラシックファンならピンとくるところだと思う。そんな彼らに目配せしつつ、仕掛けをスルーして普通に読んでもおもしろいというのを書こう。だいたい私の小説の仕掛けは気づかれにくい。わかる人だけわかる、というのが全体にわたって展開されては困るだろうが、ちょっとだけそういう箇所があるくらいならいいでしょう、と思うよ。
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