見出し画像

断片 絵画は狂気に対する避雷針である

 タイトルの言葉をいったのはゴッホだ。たぶんあの人、狂気をコントロールすることも含めて画業をやっていたのだろう。描かねば狂うと。そうやって大量に描いていても病むときは病んでしまったのだが、そして自ずから死んじゃうのだが、少なくともそこまでは持ちこたえたのだ。芸術によってなんとか生きていた人。そのギリギリの人生で、正気と狂気の間で描かれた作品たち、観てみれば燃焼する命が感じられはしませんか。イノチガケってあのことだよね。だから極端な話、画家のみでなく芸術家は狂気を持ち合わせてもいいんではないのか。どうせ世間一般とはうまくやれないのなら、取り立てて正気でいる必要はない。狂うほどの熱量を抱えて作品を作ったらそれは傑作になるだろう。などなどと自分を思う。

 たったいまのこと、気がつけばこの断片を書いていた。体力を残して読書をしようと思っていたのだが、読むよりも書くほうへ行った。アウトプットをやるのはもう自然なことになりつつある。何を語るでもないので、読んでくださる方に提供するものもないんだけれども、そこは申しわけないんだけども、金井が書きたくて書いているなんらかの文章、という以上のものではないからねこれは。小説もこのくらいのノリで書いていければと思う。書きたくて書くのが最もすばらしいことなんじゃないの。わくわくとしながら新しい作品に向かいたいというもの。書き手が楽しんでると読み手に伝わるんだってよ。

 スプーンとカフェインで両目をこじ開けろ。黒夢の歌にそうある。カフェインは大事だ。中毒になってでも飲む価値はある。飲めばやる気が出る。眠気も遠ざけられる。それになんかコーヒーにはポリフェノールが入ってるとかいうじゃないですか。まさか体にいいのか、どうなのか。ともあれいま現在はコーヒーを飲んでいる早朝であって、こうしてなにやら書いていますけれども、この断片も残すところあと四回、書きたいことを書き散らすのができなくなると思うとちょっと寂しい。これときどき書くかもしれないね。別にバッサリやめずとも思い出したように書くとか。三十件目のあとのことはまだ決めてない。

 シューベルトを聴いている。ヴァイオリンとピアノのための作品集。シューベルト、最近好きなのである。好きといってもあんまり深掘りしていなくて、交響曲の全集もシュタインのものひとつ持ってるだけで、あとはなんだろう、ピアノソナタ全集がふたつ、弦楽四重奏全集がひとつ、あとはぱらぱらと単品で。そんななので聴き込んでいるとはいえない。一時まったく手を伸ばさなくなったのだが、いまになってその魅力がわかってきているというもの。美しくうら寂しく、フレンドリーで温かい。そのような音楽といえるかいえないか、ともあれ突き放したようなところはこの人にはない。目線が聴き手と同じというのか、同じテーブルで親しく話しているような感じというのか、いいものです。

 書棚を見る。じっくりねっとり見る。何を読もうかと思いつつ。おもしろそうなのが揃ってるんだわ。読めるうちに読んでおかねばならんので、つまりいまのうちに読むこと、仕込みとしてやっておくことの必要性を考えているところ。おもしろそうだとはいえ半分は義務的な読書だったりする。最も純粋に楽しめたのはティーンエイジの頃でしたね。あの楽しかった日々。近所の古本屋をチャリで回って、安い文庫本を買いあさり、読みあさりとやっていたあの頃、そこに幸せはあったな。別にいまが不幸なわけじゃないんだけど。幸せだけど。でもなんだろう、純粋で輝かしい読書生活がはるか過去になってしまってるね。



サポートありがとうございます!助かります。